2012年07月28日

やまだの作文

岩手県の山田町、太平洋に面する小さな町です。
昨年の東日本大震災で大きな被害を受け、
町内にある、JRの駅舎も流出しました。

その町で「やまだの作文」という小冊子が
山田ロータリークラブ、山田町教育委員会、
やまだの作文実行委員会で毎年発刊されています。
おりしも、今年は40集目ということでしたが、
震災の関係で発刊が危ぶまれたそうです。

しかし、関係者や全国のロータリークラブの支援で
発刊することが叶ったそうです。
被災から復興へ希望を捨てず生き続ける姿を
全国に伝えたいと、私の所属するクラブにも送っていただきました。

小学1年生から中学3年生までの入選、佳作作品
76作品の中には、震災を題材にしたものも多くあります。
町内には漁港を有し、それゆえ、津波の影響も大きく
家族を亡くした人も多くいました。

表紙には6年生の三浦美桜(みうらみお)さんが描いた
桜の花と「越えられない試練はない だから少しずつ
桜のように毎日を がんばっていこう」というコメントが
掲載されています。

いじめ一色の大津市ですが、東北では今も行方不明の方がいます。
転落死した中学生の命も、震災で失われた命も
かけがえのない尊い命であり、
さぞかし、無念であったろうと思います。

残った人は何をすればいい。
悲しみと無念さを秘めて何をすればいい。

残った人や周囲の人は、二度とこのような悲劇が起きないように
防災のことや支えられて、助け合って生きている
そのことを認識し、どんな人間だってこの世に必要な人間なんだ
という共通理解が必要ではないでしょうか。

そこから対策が見えてくる気がします。

やまだの作文から紹介します。
豊間根中学3年生の男子が書いた作文です。

「生きるということ」

3月11日、あの日から僕の人生は変わった。
その日は掃除が終わり、帰る準備をしていた。その時大きく学校が揺れた。
今までにないくらいの大きな長い地震だった。
防災無線で大津波警報が発表された。
さすがにここまでは来ないだろうと思ったが、父が心配だった。
父は仕事で石巻にいた。海の近くで仕事をしていた。
母や兄は仕事が休みだったので家にいた。
姉は大槌で仕事をしていたが、海にそれほど近くないので、
仕事場の人たちと一緒に避難していると思い、心配していなかった。
心配だったのは父一人だった。

家に帰ると家族は外にいた。そこには父の姿があった。
その日はたまたま休みだったらしく家に帰ってきていた。
僕はほっとした。これでもう大丈夫。
家族みんな無事だったと安心していた。姉はさすがに帰ってくることは
できないだろうから、2,3日くらいしてから戻ってくると思っていた。

次の日、父と一緒に父の実家の大沢に行った。
信じられない光景がそこにはあった。美しい町が消えていた。
建物が破壊され、町は跡形もなくなっていた。
あまりにもひどい情景だった。父の実家もなくなっていた。
声が出なかった。その足で姉を迎えに行った。
大槌は想像以上に被害がすごかった。
ここまでは来ないだろうと思っていた姉の仕事場まで津波は襲い、
仕事場は消えていた。避難所にいるだろうと思い、それから、
すべての避難所を回った。が、姉はどこにもいなかった。

姉の仕事場の人はいたが、姉だけがいなかった。
何回も何回も避難所を回ったが、姉は見つからなかった。
家族みんなで探したが見つからなかった。
何度も何度も姉の仕事場の跡地に行って姉を探し、
手がかりになるものはないか探した。
探しても探しても見つからなかった。
絶望の中に家族全員がいた。

数日後に学校へ行った。クラスのみんなは無事だった。
みんなの親、兄弟も無事だった。
僕は姉のことを考えると辛くて辛くてたまらなかった。
大好きな姉。僕の理解者だった姉。
学校にいても思い出し、泣き出しそうになったことが何度もあった。
しかし、そんな自分は友達のおかげで救われた。
友達が励ましてくれ、今まで通りに接してくれた。
一緒に笑い、たくさんのことを一緒にやることで、
辛いことを忘れさせてくれた。

姉のことは一日も忘れたことはない。
姉の笑顔、姉との会話が次から次へと浮かんでくる。
姉が見つからないことで悲しんでいる母親を見ることも辛かった。
僕は姉が生きていると信じていた。信じていたかった。

震災から数ヶ月後、一本の電話が鳴った。
姉が見つかったという内容だった。
DNA鑑定の結果、一致したという。姉が見つかった。
「ようやく見つかったんだから、納得はいかないと思うけど、
姉ちゃんは家に帰ってくることを望んででいたのだから
お帰りと言ってあげよう」と父が言った。
姉は無事帰ってきた。
僕は涙をこらえて「おかえり」と言って姉を迎えた。

あの日、多くの命が一瞬のうちに失われた。
今も多くの人の行方が分からない。
ニュースで震災のことを聞く度に辛く悲しくなる。
震災さえなかったら、津波さえなかったらと思うことも多い。

僕はこの震災で命のはかなさを思い知らされた。
あっという間に命が失われることも知った。
心が引き裂かれるような絶望感にも襲われた。
しかし、だからこそ、「生きる」ということの大切さがわかった。
命の尊さを実感することができた。

今は、大好きな姉の分まで精一杯生きたいと考えている。
いつでも姉に「僕はがんばっているよ」と自信を持って
言える自分でありたいと思う。
僕を支えてくれたすべての人のために、
家族のために、何より姉のために、
僕は前をしっかり見て一歩一歩着実に歩いていきたいと強く思う。
生きていることに感謝しながら。
そして、「生きるということ」を考え続けながら…。

姉は自分の心の中で永遠に生きている。
そして、僕を支え続けてくれる。
「僕は頑張るよ。お姉ちゃん。」

Posted by いとう茂 at 16:14│Comments(0)
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