2012年08月04日
今度はブンブン
小さい蛾は時々飛んでいますが、
昨夜は新しい訪問者がありました。
ブンブン。正式な名前はあるのでしょうが、
昔から、カブト、ゲンジ、ブンブンでした。
ちなみにセミの幼虫は地虫、
クマゼミはハゴロモでした。
ブーンと何かが飛んでいるので、小さい犬が
追いかけまわしている。
よく見るとブンブンです。
こいつの弱点は、飛び出して加速がつくまで
遅いことです。
その間にきっと小さい犬の餌食になると
思い、捕まえて外に出してやりました。
窓を開けているとまた飛び込んでくるんだろうけど、
そこには命にかかわる危険がある。
失わなくてもいい命を守るのは、
食物連鎖の頂点にいる人間にしかできないことです。
人の命にかかわることでも「あっしには関係のないことでございます」
といって、傍観者を決め込む人が多い現実。
人間に害を及ぼす恐れのない生き物の命を
守る習慣が私たちにあったか・・・・・。
考えてみるとなかったように思います。
魚釣りでもつれるだけ釣りたい、
梨狩りや潮干狩りでも同じですし、
バイキング料理でも・・・・。
タンポポやレンゲの花摘みでも・・・・。
植木や菊つくりをした人なら経験あるかもしれませんが、
さつきのさし芽、菊のさし芽でもそうです、
植木鉢に植えることができないくらい一杯さし芽をし、
生まれた命を無駄にしたことがあります。
見た目が気持ち悪い、生理的に受け付けない。
シューと殺虫剤をかけるとクルクル走り回って
死んでいく姿が面白い。
そんな理由で殺される小さな虫は数えきれないでしょう。
人間の人間による人間のための虫殺し。
無意識のいじめだとは言えないでしょうか。
人間の心には、いじめの根っこがあると思います。
だとすれば「いじめは必ず存在する。」
その意識で自分や周囲を見る方が正解ではないでしょうか。
考える力のある人間には、外部に露出したいじめの根っこを
心の中にもう一度、しまいこむこともできると思います。
そう考え、実践できるなら、いじめをなくすこともできると思います。
これも、一人ひとりのコツコツとした一歩、一歩の積み重ねです。
小さな輪を広げていく努力を続けなくてはいけません。
無邪気で残酷なのは子どもだけでなく
大人も同じかもしれません、今まで、いじめの傍観者に
なったことのない人はいないのではないでしょうか。
電車の中や駅でからまれている人を見たことが
誰でも一度や二度はあると思います。
盛り場で大声で怒鳴っている人を見たことがありませんか。
家に帰って、あの時もう少し勇気があればと悔やむ人もいれば、
からまれる人に原因があったのかと思う人、
からんでいる人が暴力団だったら怖いと足早に通り過ぎた人。
心に何らかの疼きが残っても、どこかで自分を正当化する
もう一人の自分がいなかったでしょうか。
ところで、今頃、あのブンブンはどこでどうしているのか
分かりませんが、クリやブナの木を見つけ
樹液でお腹をふくらせていることを祈ります。
昨夜は新しい訪問者がありました。
ブンブン。正式な名前はあるのでしょうが、
昔から、カブト、ゲンジ、ブンブンでした。
ちなみにセミの幼虫は地虫、
クマゼミはハゴロモでした。
ブーンと何かが飛んでいるので、小さい犬が
追いかけまわしている。
よく見るとブンブンです。
こいつの弱点は、飛び出して加速がつくまで
遅いことです。
その間にきっと小さい犬の餌食になると
思い、捕まえて外に出してやりました。
窓を開けているとまた飛び込んでくるんだろうけど、
そこには命にかかわる危険がある。
失わなくてもいい命を守るのは、
食物連鎖の頂点にいる人間にしかできないことです。
人の命にかかわることでも「あっしには関係のないことでございます」
といって、傍観者を決め込む人が多い現実。
人間に害を及ぼす恐れのない生き物の命を
守る習慣が私たちにあったか・・・・・。
考えてみるとなかったように思います。
魚釣りでもつれるだけ釣りたい、
梨狩りや潮干狩りでも同じですし、
バイキング料理でも・・・・。
タンポポやレンゲの花摘みでも・・・・。
植木や菊つくりをした人なら経験あるかもしれませんが、
さつきのさし芽、菊のさし芽でもそうです、
植木鉢に植えることができないくらい一杯さし芽をし、
生まれた命を無駄にしたことがあります。
見た目が気持ち悪い、生理的に受け付けない。
シューと殺虫剤をかけるとクルクル走り回って
死んでいく姿が面白い。
そんな理由で殺される小さな虫は数えきれないでしょう。
人間の人間による人間のための虫殺し。
無意識のいじめだとは言えないでしょうか。
人間の心には、いじめの根っこがあると思います。
だとすれば「いじめは必ず存在する。」
その意識で自分や周囲を見る方が正解ではないでしょうか。
考える力のある人間には、外部に露出したいじめの根っこを
心の中にもう一度、しまいこむこともできると思います。
そう考え、実践できるなら、いじめをなくすこともできると思います。
これも、一人ひとりのコツコツとした一歩、一歩の積み重ねです。
小さな輪を広げていく努力を続けなくてはいけません。
無邪気で残酷なのは子どもだけでなく
大人も同じかもしれません、今まで、いじめの傍観者に
なったことのない人はいないのではないでしょうか。
電車の中や駅でからまれている人を見たことが
誰でも一度や二度はあると思います。
盛り場で大声で怒鳴っている人を見たことがありませんか。
家に帰って、あの時もう少し勇気があればと悔やむ人もいれば、
からまれる人に原因があったのかと思う人、
からんでいる人が暴力団だったら怖いと足早に通り過ぎた人。
心に何らかの疼きが残っても、どこかで自分を正当化する
もう一人の自分がいなかったでしょうか。
ところで、今頃、あのブンブンはどこでどうしているのか
分かりませんが、クリやブナの木を見つけ
樹液でお腹をふくらせていることを祈ります。
Posted by いとう茂 at 12:38│Comments(0)