2014年01月27日
控室の本より⑯
明治生まれの教育人の森信三の修身教授録の中に
「天分の発揮」という章があります。
われわれは、一体何のために学問修養をすることが
必要かというに、結局は「人となる道」すなわち人間になる
道を明らかにするためであり、さらに具体的に言えば
「日本国民としての道」を明らかに把握するためだともいえましょう。
またこれを自分という側から申せば、自分が天から受けた本性を、
十分に実現する途を見出すためだともいえましょう。
ところでこの自己の天分を発揮するということですが、
実は単に自分のことだけを考えていたんでは、
真実にできないことであります。
すなわち人間の天分というものは、
単に自分本位の立場でこれを発揮しょうとする程度では、
十分なことはできないものであります。
ではどうしたらよいかというに、
それには、自分というものを越えたある何物かに、
自己をささげるという気持ちがなければ、できないことだと思うのです。
そこで今諸君らについて申せば、一体どうしたら自分は国民教育のために、
多少なりとも貢献しうるような人間になれるかと、常に考えるということでしょう。
まさに、一所懸命、一灯照隅ということだと思います。
「天分の発揮」という章があります。
われわれは、一体何のために学問修養をすることが
必要かというに、結局は「人となる道」すなわち人間になる
道を明らかにするためであり、さらに具体的に言えば
「日本国民としての道」を明らかに把握するためだともいえましょう。
またこれを自分という側から申せば、自分が天から受けた本性を、
十分に実現する途を見出すためだともいえましょう。
ところでこの自己の天分を発揮するということですが、
実は単に自分のことだけを考えていたんでは、
真実にできないことであります。
すなわち人間の天分というものは、
単に自分本位の立場でこれを発揮しょうとする程度では、
十分なことはできないものであります。
ではどうしたらよいかというに、
それには、自分というものを越えたある何物かに、
自己をささげるという気持ちがなければ、できないことだと思うのです。
そこで今諸君らについて申せば、一体どうしたら自分は国民教育のために、
多少なりとも貢献しうるような人間になれるかと、常に考えるということでしょう。
まさに、一所懸命、一灯照隅ということだと思います。
Posted by いとう茂 at
13:39
│Comments(0)