2014年10月13日

すてきれない 荷物の重さ・・・・・

「すてきれない 荷物の重さ まえうしろ」種田山頭火の句です、
出逢いはもう30年以上前になります。
芭蕉や蕪村の句と違う強いインパクトがありました。
自由律俳句という言葉もその時初めて知りました。

当時どんな荷物があったのかはもう記憶にありません。
で、今はどんな荷物があるか・・・・・それは書けません。
書いたところで周囲の人には愚痴にしか聞こえないでしょうし、
口に出しても荷物がなくなるわけでもありません。

これは私に限らず皆さん同じことでしょう。
上を見ればキリがないし下を見てもキリがありません。
結局のところ今ある所で精一杯生きるしかないのです。
精一杯生きたからと言っても荷物を降ろしてこの世から
あの世にいけるとも限りませんが・・・・・。

そうはいっても、現実に抱えている荷物に押しつぶされそうになり、
すべて捨てて逃げ出したいという思いをされた方もあるでしょう。

若い頃は荷物と言えば、誰が見てもマイナスに見える
病気、借金、家族関係、仕事などだけだと思っていましたが、
年を重ねてくると、周囲から見れば「そんなことで」「うらやましい悩み」
そんなものもあることに気付きました、普通の人には縁のないような
多くの財産をどう守るか、まだまだ新しい家なのに次の代では
建て直せないだろうから、自分が何とかしょうと悩む高齢者・・・・・・。
持ちきれないほど物を持っているのに新しいのが出ると
欲しくてたまらない人。

そして、考えてもどうしょうもないことを抱えて悩んでいる人、
後退する髪の毛、一人暮らしで自分が死んだらかわいがっている
猫の世話を誰にしてもらう、これは私も犬を飼っていますので
わからないでもありません、催事を計画して人の入りが悪くないか
オロオロ・・・・・。

あればあったである悩み なければないである悩み
これも山頭火の言葉です。

四苦八苦は人生につきもの、人はこの世に苦しむために
生まれてきた、そんな風に考えることができれば・・・・無理。

「失望は悪魔を生み、絶望は神を生む」これも山頭火です。
失望と絶望、似た言葉です。
「がっかり」と「がっくり」とでもいえばいいのでしょうか。

失望するとどこかや誰かを責めたくなります、責任の所在を
はっきりさせて自分の心を軽くしょうという働きかもしれません。
絶望はと考えると、四面楚歌、お先真っ暗、もうおしまい、
俺なんかどうなっても言いという自暴自棄、そういう状態で
打つ手がないということでしょう。
すがるものが神仏、それしかない。
それすら気付かず真っ暗な闇で放心状態かもしれません、
それでも時間の経過とともに一筋でも遠くの小さな明かりを
探すのが人間かもしれません。

この世に生まれてきたのは次に生まれ変わったときに
失敗しないためといった人がいました、生まれ変わりがあるのか、
誰にもわからないと思いますが、今抱えている荷物をどう降ろすか、
うまく降ろせないと次に生まれ変わったときも同じ苦労をする。
そういいたかったのかもしれませんが、真偽はわかりません。

いいか悪いかは個人差があるでしょうが、この世に生まれてきたのは
生まれ変わったときに失敗しないため、そういう考え方もいいのかと
思うことがあります、失敗しないために練習をしている、練習なら
何度失敗しても大丈夫、荷物を持っているのは降ろす練習を
するため、そこまで悟れればいいのですが・・・・・。

ない悩みと持ってる悩み、ないことと持っていることは同じなのかもしれません。
少し、混乱してきました、般若心経の空、そんな大げさなものではありませんが、
もう少し自分の中でまとまめて、その内に書きたいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 13:02Comments(0)