2014年10月31日

神無月最後の日

10月も今日で終わり,今年もカレンダー2枚を残す
だけになりました、振り返ると前半は9日まで通常会議で
頭の中は数字ばかり、中盤は議会以外の用事がつまり、
終盤は常任委員会の視察、子どもの太鼓の出演、
個人の市政報告会、所属するクラブの合同例会、
膳所のまち歩き、一期の議員の懇親会等々。

ゆっくりボーとできたのは1日だけでした。
自分が選択した道ですから知好楽のスタンスで
楽しんでいるつもりです、忙中閑あり、苦中楽ありです。

昔は10月を神無月と呼んでいました。
出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、
出雲以外には神様がいなくなる月と言われていますが、
出雲では神在月といわれているそうです。

この前郵便局で湖西線開通40周年の記念切手を
買いましたが、1969年の今日、江若鉄道がこの日限りで廃止になりました。
母親の里が和邇ですので子どもの頃は浜大津や膳所駅から
里帰りをするのに利用しました。。

あと、還暦を迎えたのも10月です。
20歳、30歳になったときもいろいろ思うところがあり
40歳は厄年を意識し50歳は中年を実感、60歳は・・・・・・。

ありがたいことに本当に多くの方から誕生祝をいただきました。
子どもの頃よりも多い気がします。
改めて多くの方に支えられて生かされている、そのことを
痛感しましたし、子どもの頃は何をもらうかが最大の目的でしたが、
この年になって気付いたのは誰からもらうか、そのことが大切だということです。

色々なものをいただいたわけですが、こんな人までという方からも
立派な物をいただき恐縮です。そして、感謝。

子どもの頃は親や祖父母が中心で、お年玉はいくらもらえる、
誕生日やクリスマスにはあれが欲しいでした。
期待はずれの年も多くありましたが・・・・・。
それが成長につれて交友範囲が広がり友人、知人も増えました。
以前にも書きましたが人間ある年齢以上になると
友達にするか相手から選択されるようになりますし、
こちらもそういう傾向になります。

そうした中でこんな私に誕生祝をやろうという人が多くいることが
これまで生きてきた手ごたえでもあります。
もちろん物をいただいた人だけでなく「おめでとう」と
言ってくれる、それは無財の七施の心施、和顔施と愛語施です。
さりげない気遣い、心の暖かさでこちらも満たされました。

いただいた心で今年は残りの日々も楽しんで生きられそうです。

無財の七施をネットで引っ張りました、便利な世の中に
なったものです。
一、眼施(慈眼施)
 慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。

二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
 いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。

三、愛語施(言辞施)
 ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、
愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。

四、身施(捨身施)
 自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。
 人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。

五、心施(心慮施)(しんりょせ)
 自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、
ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、
自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。

六、壮座施(そうざせ)
 わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、
電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。
さらには、自分のライバルの為にさえも、
自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

七、房舎施(ぼうしゃせ)
 雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、
自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、
思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。




  
Posted by いとう茂 at 13:15Comments(0)