2016年04月14日
好き嫌い
大鵬と柏戸は大鵬のファンでした、阪神と巨人は巨人、普通かどうか
判断は自由にどうぞ、大相撲の力士で一番好きなのは輪島です、
巨人で一番好きなのは王選手、長島選手より王選手です、
松田聖子より中森明菜、都会より不便な田舎、ステーキより漬物、
団体スポーツより個人スポーツ、のぞみよりこだま、デジタルより
アナログ、すまし汁より味噌汁、猫より犬、羽毛布団より綿の布団、
球技より陸上、パンよりご飯、夏より冬、他にも好き嫌いがありそうです。
特別、人に迷惑がかかる好き嫌いではありませんので、この程度は
許容範囲かと思っています。
よくあるのが、物事の是非を議論している時に、内容よりも、
議論をしている相手が好きか嫌いかで意見が分かれる、議論のための
議論の風景です。
人が人を好きになったり嫌いになったり、馬が合う人合わない人、
その原因は様々でしょう、ただ、人を好きになる理由よりも人を嫌いに
なる理由の方が多いと思います。
好きになる理由もあるのでしょうが、惚れた弱みではありませんが、
好きなものは好き、何があっても好き、特別な理由がなく、とにかく好き、
そんなことが多いのですが、嫌いな理由となると、もちろん生理的に
嫌いということもあるでしょうが、箸の上げ下ろしから話し方や声、
足音まで嫌いな理由になるかもしれません。
かなり具体的に嫌いな理由がありそうです。
好き嫌いも様々な出来事でよけい好きになったり、嫌いになったり。
嫌いだと思っていた人に優しい言葉をかけてもらって、案外、悪い人では
ないのかと見直すこともありますし、好意を持っていた人が不愛想に挨拶を
しただけで感情が逆転したりすることもあります。
この程度の好き嫌いならこうした出来事で感情が裏表しますので、人間の
気持ちは不安定なところがあるのかもしれません。
好き嫌いがあるということは自分が知っている人に限ってで、テレビで見る芸能人や
スポーツ選手に対しての好き嫌いとは微妙に違うように思います。
地球の人口は70億人と言われています、我々が知り合いになれる人は一生のうちで
どのくらいいるのでしょう。
人生80年、約3万日です、毎日1人知り合いが増えたとして3万人、かなりの数だと
思います、20歳なら7,500人40歳なら15,000人、60歳なら22,500人もちろん
年齢が上がるにつれて知り合う機会も減り計算通りにはいかないでしょう。
私の場合、23,000人以上の知り合いがいるかと言えば首をかしげてしまいます。
知り合いがすべて日本人だとしても1万人に2人の知り合いがいるかどうかという
数字で、世界で考えるとさらに約60倍確率が低くなります。
こうして考えると、自分がいかに狭い世界で生きているのか分かりますし、
好き嫌いがある我儘な人間かが見えてきます。
人間は感情の生き物ですからそれも仕方ないのかもしれませんが・・・・・。
知り合って好意を持つ人にはご縁のありがたさを感じますが、嫌いな人には
そんなことは考えもしません。
袖すりあうも多生の縁、現世ではなくどこかで好意を持った人が今は嫌いな場合や
前世では誰よりも好意を持っていた人が今は大嫌いな人ということはないのでしょうか、
せいぜい心を広くして一人でも多くの嫌いな人も受け入れられるように、一度きりの人生、
これも陰徳を積むことかと考えたりしますが、それでもやはり嫌いな人は・・・・・・・。
これも私なのでしょう。
判断は自由にどうぞ、大相撲の力士で一番好きなのは輪島です、
巨人で一番好きなのは王選手、長島選手より王選手です、
松田聖子より中森明菜、都会より不便な田舎、ステーキより漬物、
団体スポーツより個人スポーツ、のぞみよりこだま、デジタルより
アナログ、すまし汁より味噌汁、猫より犬、羽毛布団より綿の布団、
球技より陸上、パンよりご飯、夏より冬、他にも好き嫌いがありそうです。
特別、人に迷惑がかかる好き嫌いではありませんので、この程度は
許容範囲かと思っています。
よくあるのが、物事の是非を議論している時に、内容よりも、
議論をしている相手が好きか嫌いかで意見が分かれる、議論のための
議論の風景です。
人が人を好きになったり嫌いになったり、馬が合う人合わない人、
その原因は様々でしょう、ただ、人を好きになる理由よりも人を嫌いに
なる理由の方が多いと思います。
好きになる理由もあるのでしょうが、惚れた弱みではありませんが、
好きなものは好き、何があっても好き、特別な理由がなく、とにかく好き、
そんなことが多いのですが、嫌いな理由となると、もちろん生理的に
嫌いということもあるでしょうが、箸の上げ下ろしから話し方や声、
足音まで嫌いな理由になるかもしれません。
かなり具体的に嫌いな理由がありそうです。
好き嫌いも様々な出来事でよけい好きになったり、嫌いになったり。
嫌いだと思っていた人に優しい言葉をかけてもらって、案外、悪い人では
ないのかと見直すこともありますし、好意を持っていた人が不愛想に挨拶を
しただけで感情が逆転したりすることもあります。
この程度の好き嫌いならこうした出来事で感情が裏表しますので、人間の
気持ちは不安定なところがあるのかもしれません。
好き嫌いがあるということは自分が知っている人に限ってで、テレビで見る芸能人や
スポーツ選手に対しての好き嫌いとは微妙に違うように思います。
地球の人口は70億人と言われています、我々が知り合いになれる人は一生のうちで
どのくらいいるのでしょう。
人生80年、約3万日です、毎日1人知り合いが増えたとして3万人、かなりの数だと
思います、20歳なら7,500人40歳なら15,000人、60歳なら22,500人もちろん
年齢が上がるにつれて知り合う機会も減り計算通りにはいかないでしょう。
私の場合、23,000人以上の知り合いがいるかと言えば首をかしげてしまいます。
知り合いがすべて日本人だとしても1万人に2人の知り合いがいるかどうかという
数字で、世界で考えるとさらに約60倍確率が低くなります。
こうして考えると、自分がいかに狭い世界で生きているのか分かりますし、
好き嫌いがある我儘な人間かが見えてきます。
人間は感情の生き物ですからそれも仕方ないのかもしれませんが・・・・・。
知り合って好意を持つ人にはご縁のありがたさを感じますが、嫌いな人には
そんなことは考えもしません。
袖すりあうも多生の縁、現世ではなくどこかで好意を持った人が今は嫌いな場合や
前世では誰よりも好意を持っていた人が今は大嫌いな人ということはないのでしょうか、
せいぜい心を広くして一人でも多くの嫌いな人も受け入れられるように、一度きりの人生、
これも陰徳を積むことかと考えたりしますが、それでもやはり嫌いな人は・・・・・・・。
これも私なのでしょう。
Posted by いとう茂 at
12:33
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