2017年03月09日

究極の生き方?!

赤穂浪士に代表されるように、自分を捨ててでも守りたい人や
誇りに生きた人は多くいると思います。
その人たちを支えたエネルギーや信義は何なのか、
私ごときにはわかるはずもありません。
賭けるもの、守るものがある人を周囲から
見れば、そんなものと思えても本人には自分の命より重い
ものなのでしょう。
生きざまの究極、それは何でしょうか。
竹中半兵衛は『武士は名こそ惜しけれ、義のためには命も惜しむべきはない、
財宝など塵あくたとも思わぬ覚悟が常にあるべきである。』
と言っています、これは坂東武者の精神の影響だと思います。

倫理というのは、人間が健全な社会生活を営むうえで
不可欠なものでありながらも、必ずしも本能として
備わっているものではありません。
ゆえに私たちは訓練をしてこれを身につけ、
常に自分の言動を監視しなければなりません。
ただ、そのようにして個々人に任せきってしまうわけにもいかないため、
どこの国でも法律と刑罰というものを運用し、個人の倫理という
リミッターが外れた場合に備えています。
また国や地域によっては、信仰が倫理として機能している場合もあります。
坂東武士とは、箱根の坂より東、つまり関東地方に根を下ろした
武士たちをおもに指します。 
——自分の名を汚すような、恥ずかしいことはするな。
という、この極めて単純明快な思想は、平安の中頃、
のちに”武士”と呼ばれる開墾農民たちの間に生まれたということです。

時代からいえば坂東武士の精神は鎌倉時代ですから、半兵衛は
それを受け継いでいたと考えられます。
名を汚す、名誉を重んじた人たちよりも西郷隆盛の言葉はすごいと
思います、江戸時代の佐藤一斉の教えに傾注した西郷隆盛、
言志四録にこの言葉があったかどうか、拾い読み程度の門外の
小僧には、これもわかりません。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」

社会的な、世俗的な欲望のない人はいないでしょうが、この世の名利に
動かされない人がいたら、国政を任せても安心だと思います。
名誉欲も金銭欲もなければ、何にも動じず、国家のため、
人のためという自分の信念によって行動するだけでしょう。

西郷隆盛の器の大きさを語る逸話がありましたので紹介します。

ある時、木戸孝允邸で会議を行うことになり、
明治政府の要人達に連絡がまわった。
しかし、定刻を過ぎても西郷隆盛だけが来ない。
木戸孝允が西郷を呼びに使いの者をやると、
夏でもあり、西郷は自宅でふんどし一丁で何か書き物をしていた。
使いの者はその姿に驚きながらも
「皆様お待ちなのでお越し下さい」と告げた。
しかし、西郷は「はい、委細承知申した」
と答えるが一向に動く気配がない。
使者が「皆様お待ちなのですぐにお越し下さい」と懇願すると
「はあ、じゃあ夕景までお待ちゃい」 
とあまりにものん気なことを言うので、使者も困り果てて、
「主人も他の皆様もお待ちなので、何とかすぐにおいで頂けませんか」
と必死にお願いすると、「実はな」と西郷は答えた。
「今日、たった一枚の着物を洗濯し申したので、
それが乾き次第、すぐゆかんさ」
これには使者も二の句が告げられず、すぐに木戸邸に帰り、
委細を話すと、一同は腹を抱えて笑った。
そして木戸が自分の着物を使者に渡して
「これを着てすぐに来て頂くように」と言いつけ、
やがて、西郷はその着物を着てやっと現れた。
しかし、西郷は大柄だったので、
まるで子供の着物を大人が着ているようにツンツルテンだった。
それを座敷の真ん中で皆に見せると
「木戸どんの着物の短い事。
じゃが、裸で道中はなりもわん。お陰でここまで来もうした。」
と西郷は大笑いした。

映画『明日への遺言』の原作となった大岡昇平の「ながい旅」や
城山三郎の「落日燃ゆ」「大義の末」の主人公たちは究極の
生き方だと思っていたのでしょうか・・・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 12:49Comments(0)