2017年03月30日
健さんを覚えていますか②
今日は、午前中に議運と勉強会、会派総会がありました。
明日の10時から特別会議が開会して議案の審議を行いますので
それの準備です。
明日と明後日二日続きの特別会議です、それが終わると
日曜日は地元のさくらまつりです。
どうやら今年はほとんど花のないさくらまつりになりそうですが、
それもご縁です。
昨日に続き、過去のブログの再掲載です。
健さんと小百合さん、どちらもファンですので幻視行を試みた
文章です、自分ではそれなりの出来栄えだとひそかに思って
いるのですが・・・・・・。
存命なら健さんが86歳、小百合さんは3月13日で古希を
2歳過ぎられました。
いつまで覚えていられるか分かりませんが、忘れたら
思い出せばいい・・・・・そんな気持ちでいます。
2010年のげんき通信に健さん、小百合さんと鼎談をしたつもりで
勝手に文章を作ったことがありました。
かなり長いものですが、スキャナーのお蔭で編集は楽です。
読んでいただく方は・・・・・。
伊藤 本日は、お忙しい中、遠路はるばるお越しいただき、
ありがとうございます。限られた時間ですがどうかよろしくお願いします。
高倉 こちらこそよろしくお願いします。
伊藤 早速ですが昨年、高倉さんの「あなたに褒められたくて」
と「南極のペンギン」を拝読しました。
意外だったのは高倉さんが「自分は形から入るタイプ」だと
おっしやっていた部分です 。
吉永 私も以前に拝読しましたわ。私は、海外旅行で
いただいたウサギのお守りの話に高倉さんの熱い心を感じました。
高倉 恐縮です。お守りを入れる革ケースまで作って、
自分でもおかしいくらい、あのお守りは大切 にしていたのですが、
中国ロケで失くしてしまって、もうニ度と出逢うことがないと思うと
たまらなく切ない気持ちでした。
伊藤 私も、「ウサギのお守り」には心がキユッと締めつけ
られました。
人が人を傷つける時、自分がいちばん大事に思う人を
いやむしろとっても大切な人をこそ、深く傷つけてきたような気がする。
この人はかけがえのない人なんだ。
もうこんな人には二度と会えないぞと思うような人に限って、
深く傷つけるんですねぇ。
傷つけたことで自分も傷ついてしまう。
こんな書き出しでしたよね。
吉永 ああ、私もその部分はっきり覚えています。
高倉さんの質問に答えた、山田洋次監督の「愛するということは、
その人の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います」
この言葉も重いですね。
高倉 お二人とも拙い文章を丁寧に読んでいただきお礼の言葉もありません。
伊藤 吉永さんは、高倉さんと何度も共演されていますし、
「夢一途」の中でも書かれていますが、役になりきっている
高倉さんをご覧になってどう思われますか。
吉永 「動乱」 という映画のロケで1980年頃に鳥取砂丘に行った時の事です、
風がすごくて、目も開けていられないくらいの砂が舞って、
ロケどころではなかったのですが、高倉さんだけは、外でじっと風が
おさまるのを待っていらっしゃったし、他の映画の時もそうです。
どんなに寒くても、一人で役を演じ続けていらっしゃると聞いています。
「鉄道員」のロケの時もそうだったと、この前、小林捻持さんが
おっしゃっていましたよ。
「八甲田山」の時はもっと過酷な条件だったとか。
根っからの役者だなぁといつも感心しつつ、
私も高倉さんのようになれればと憧れています。
伊藤 動乱で吉永さんが、高倉さんに着物を羽織らせて、
仕付け糸を抜きながら、泣き崩れるシーンは強く印象に残っています。
高倉 自分は不器用ですから、共演者やスタッフの方とバスやホテルに
避難すると、気が弛んで撮影が再開されてもすぐに役に入って
いけないんですよ。
吉永 高倉さんらしいですね。
高倉 吉永さん、映画って人生とどこか似ていると思いませんか。
縁あって、多くの共演者やスタッフと出逢う、
そして、映画の中で死んでいく人もいれば、遠くに行ってしまう人もいる、
どれだけ一緒にいたいと願ってもストーリーの都合で辛い別離もある。
スクリーンに映る人だけでは映画はできない。
メイクさん、大道具さん、カメラに衣装さん、そんな人がいて映画ができるのです。
その時、その時に周囲の人に生かされている自分がいる。
これってありがたいことだと思うのです。
吉永 本当にそうですね。実感します。
伊藤 吉永さんは「映画女優」の撮映のとき、女優をとるか、
女をとるか悩まれたとか、その時の決断は大変だったでしょうね。
吉永 あのときは随分悩みましたが、今から思うと、ホテルにチェックイン
した時、明日の朝食は和食か洋食どちらにしょうか迷うこと位にしか
思っていないのです。
私はもしかしたら感受性が鈍いのかも知れません。
高倉 そんなことはないでしょう。「第二楽章」を何度も聴かせて
いただきましたが、感受性の鈍い人では、そこまで表現できませんよ。
伊藤 そうです特に「慟哭」は何度聞いても心が張り裂けそうです。
吉永 第二楽章をはじめ原爆詩の朗読は私のライフワークです。
でもおかしいでしよう、あの原爆詩は母親が息子を待ち続ける詩なのですが、
私には子どもがいませんもの。
でも、私もなぜかあの詩が一番心に響くのです。
伊藤さんに褒めていただいてうれしいわ。
伊藤 ・・・・・・・・・・・・・・・・・。
高倉 ところで伊藤さん、さきほど映画は人生に似ていると
申しましたが、伊藤さんはどんなことが人生に似ていると思われますか。
伊藤 はい、私は山登りやマラソンが人生に似ていると思っていたのですが、
それも実は人生なんです。
人生そのものなんですね。
最近になって思うのですが、バス旅行ってあるじゃないですか、
人間はこの世に旅をするために生まれてきたのではないのかと思うのです。
吉永 この世に旅をするためですか、あの世に旅立つということはよく口にしますが、
逆の発想みたいで面白いですね。
先を聞かせてくださいますか。
伊藤 はい、バスに乗って旅に出る、一泊でも二泊でもいいのですが、
色々なところから見知らぬ人が集まって目的地に向かう。
美しい景色を見たりおいしいものを食べたり、見知らぬ人同士が打ち解けワイワイ
ガヤガヤ、でも全員が自分とウマか合う人ばかりではないと思うのです。
こちらが合わせている人がいる以上、周囲の人も私に合わせて
くれていることを感じないといけないと思うのです。
高倉 孟子の惻隠の心、思いやりですね。
伊藤 そうです。金子みすゞさんの詩にもありますが、見えないけれどもあるんだよと
気づくことで相手への思いやりが生まれると思うのです。
吉永 「見えないけれどもあるんだよ」素敵な言葉ですね。
その詩、教えていただけます。
伊藤 全部は覚えていないのです、半分くらいなら
星とたたんぽぽ
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ
ここまでしか覚えていないんです、すみません。
高倉 う一ん、深い言葉ですね、自分なんかまだまだです。
話の腰を折ってしまいました続きをお願いします。
伊藤 バスの集合時間とか宴会の時間とかありますよね、
あれも約束なんです。
私たちは人生の中で周囲の人と衝突しないように、いくつかの
約束事を自分なりに決めて生きている部分があると思います。
しかし、何十人の中には、いつもマイペースの人がいるものです。
出発時間が迫っているのに朝風呂に入っていたり、
散歩から帰ってこないとか、そんな人に限って謝ることをしないし、
拳句には金払っているから文句を言われることはない、
なんて開き直ったりするんですね。
たぶん、価値観という物差しの長さは同じでも、目盛りの
粗さが違うのではないかと思うのです。
吉永 よく分かります。役者って自己主張の強い人が多いから、
決まりごと守らない人は結構います。
伊藤 そして、旅に出た以上いつか家に帰らなければいけません。
ここだったら、名神の大津インターを降りて、一人また一人とバスは
参加者を降ろしていきます。
「じゃ」「ありがとう」とか「また行きましょう」「さようなら」って、
いつか自分の番が来て降りなければいけない、
バス旅行がこの世だとしたら家はあの世と言えないでしょうか。
だったら、往くとか逝くではなく、あの世でも浄土へでも帰る、
還ると考えるのです。
高倉 バスに乗り続けることはできない。年末ジヤンボはほとんどの人が
ハズレだけれど死は全員当選ですからね。
吉永 伊藤さん、だったら一度きりのバス旅行、素敵なお土産
いっぱい持って帰らないといけませんね。
伊藤 そういうことですね。
吉永 今、バスの話が出たからではありませんが、私は、
自動車が人間そのものではないかと思うことがあります。
人は生まれた時から、あなたはクラウン、君は軽自動車、
そこのあなたはトラックとか決まっていて燃料もどれくらい
入っているのか知らされていない、せっかくベンツに生まれたのに、
数キロ走ったところで事故を起こしてリタイア、そうかと思うと
ボロボロの車でも楽しそうに走っている、車内は整然としていて
ゴミーつ落ちていない車もある。
高倉 吉永さんはどんな車なんでしょうね。
吉永 私にはわかりませんが、若いころはスポーツカーや
レーシングカーに憧れたり、いつぱい人が乗れるバスもいいな
と思ったりしていましたが、結局、自分は自分なのだと気が付きました。
与えられた車を大切にして燃料が切れるまで悔いのないように走るしかないと。
大先輩の女優の田中絹代さんが「楢山節考」の中で老婆を演じられた
のですか、まだ年が若くて、いくらメイクしても老婆にはなれなかったそうです。
そこで、自分の歯を全部抜いて役を演じられたと聞いています。
高倉 私たちの世界では有名な話ですね。
吉永 女優はやはり容姿を気にします、言い換えるなら自分の車は
いつまでもきれいにしておきたいと思うのが本心です。
田中さんはどんな車に乗っても自分は自分、その責任は自分にあると
思っていらっしゃったのではないでしょうか。
自分にとって正しい生き方と得な生き方なら、正しい生き方を選ばれた。
とても自分に厳しい方でした。
とこか高倉さんに通じるものがありますね。
高倉 自分なんかまだまだです。
伊藤 燃料がどれだけ入っているのかわからないというところも人生と同じですね。
吉永 ええ、だから、伊藤さんと同じように素敵なお土産をいっぱい残さないと
いけないと思っています。
いろんな所へ行ったり、いろんな人とドライブしたり、仕事、仕事だけでなく、
自分の心が満たされるような走りも心がけていますし、
道路の上でガス欠になったら他人の迷盛になるからそのあたりも気を配
っています。
高倉 人間に生まれてきたのが運が良かったのか悪かったのか
自分には分かりません。
生きることは喜怒哀楽の連続、むしろ哀や苦、辛の方が多いかもしれません。
そんな中で、人と自分を比べず生きる、上を見るとキリがないし、
下ばかり見ていると上から目線で傲慢になってしまう。
誰も代わってくれないし、誰とも代われない自分だけの人生だったら、
あるがままを認め、謙虚に受け入れるしかないような気がします。
吉永 日本中が貧しかった頃には道徳とか人情があっちこっちにありました。
貧しくても盗みをする人は少なかった、貧富の差がはっきりしてくると、
引ったくりや殺人までが増えてしまいました。
周囲が自分と同等だと人々は安心し、周囲が自分より上だと
被害者意識を持って加害者になる。
私たちは、どこかで意識せずに他人と比べなから生きている、
比べずに生きることは本当に難しいのかも知れませんね。
伊藤 お二人の根っこは同じですね、たぶん自分と向き合う姿勢、
他人と接する姿勢が同じなのだと思います。
華やかな世界で永年活躍され、今なお多くの人の心をつかんで離さない
魅力を垣間見た気かします。
私は次の世があるのなら、どこかのお城の濠の底の石垣がいいと思っています。
人の目に触れることはなくても、それでもそこにあるんだよ。
山頭火ではないですが、ここ何年か「買いかぶられる決まり悪さ、見下げられる気安さ」
ということを実感しています。
吉永 お城の石垣って発想が面白いですね。
お魚が話し相手なんて言うのもいいですね。
私も考えてみようかな。
高倉 それ、いいですよ。自分は話が苦手なんで。
どうです、次の世は三人で石垣になるというのは。
明日の10時から特別会議が開会して議案の審議を行いますので
それの準備です。
明日と明後日二日続きの特別会議です、それが終わると
日曜日は地元のさくらまつりです。
どうやら今年はほとんど花のないさくらまつりになりそうですが、
それもご縁です。
昨日に続き、過去のブログの再掲載です。
健さんと小百合さん、どちらもファンですので幻視行を試みた
文章です、自分ではそれなりの出来栄えだとひそかに思って
いるのですが・・・・・・。
存命なら健さんが86歳、小百合さんは3月13日で古希を
2歳過ぎられました。
いつまで覚えていられるか分かりませんが、忘れたら
思い出せばいい・・・・・そんな気持ちでいます。
2010年のげんき通信に健さん、小百合さんと鼎談をしたつもりで
勝手に文章を作ったことがありました。
かなり長いものですが、スキャナーのお蔭で編集は楽です。
読んでいただく方は・・・・・。
伊藤 本日は、お忙しい中、遠路はるばるお越しいただき、
ありがとうございます。限られた時間ですがどうかよろしくお願いします。
高倉 こちらこそよろしくお願いします。
伊藤 早速ですが昨年、高倉さんの「あなたに褒められたくて」
と「南極のペンギン」を拝読しました。
意外だったのは高倉さんが「自分は形から入るタイプ」だと
おっしやっていた部分です 。
吉永 私も以前に拝読しましたわ。私は、海外旅行で
いただいたウサギのお守りの話に高倉さんの熱い心を感じました。
高倉 恐縮です。お守りを入れる革ケースまで作って、
自分でもおかしいくらい、あのお守りは大切 にしていたのですが、
中国ロケで失くしてしまって、もうニ度と出逢うことがないと思うと
たまらなく切ない気持ちでした。
伊藤 私も、「ウサギのお守り」には心がキユッと締めつけ
られました。
人が人を傷つける時、自分がいちばん大事に思う人を
いやむしろとっても大切な人をこそ、深く傷つけてきたような気がする。
この人はかけがえのない人なんだ。
もうこんな人には二度と会えないぞと思うような人に限って、
深く傷つけるんですねぇ。
傷つけたことで自分も傷ついてしまう。
こんな書き出しでしたよね。
吉永 ああ、私もその部分はっきり覚えています。
高倉さんの質問に答えた、山田洋次監督の「愛するということは、
その人の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います」
この言葉も重いですね。
高倉 お二人とも拙い文章を丁寧に読んでいただきお礼の言葉もありません。
伊藤 吉永さんは、高倉さんと何度も共演されていますし、
「夢一途」の中でも書かれていますが、役になりきっている
高倉さんをご覧になってどう思われますか。
吉永 「動乱」 という映画のロケで1980年頃に鳥取砂丘に行った時の事です、
風がすごくて、目も開けていられないくらいの砂が舞って、
ロケどころではなかったのですが、高倉さんだけは、外でじっと風が
おさまるのを待っていらっしゃったし、他の映画の時もそうです。
どんなに寒くても、一人で役を演じ続けていらっしゃると聞いています。
「鉄道員」のロケの時もそうだったと、この前、小林捻持さんが
おっしゃっていましたよ。
「八甲田山」の時はもっと過酷な条件だったとか。
根っからの役者だなぁといつも感心しつつ、
私も高倉さんのようになれればと憧れています。
伊藤 動乱で吉永さんが、高倉さんに着物を羽織らせて、
仕付け糸を抜きながら、泣き崩れるシーンは強く印象に残っています。
高倉 自分は不器用ですから、共演者やスタッフの方とバスやホテルに
避難すると、気が弛んで撮影が再開されてもすぐに役に入って
いけないんですよ。
吉永 高倉さんらしいですね。
高倉 吉永さん、映画って人生とどこか似ていると思いませんか。
縁あって、多くの共演者やスタッフと出逢う、
そして、映画の中で死んでいく人もいれば、遠くに行ってしまう人もいる、
どれだけ一緒にいたいと願ってもストーリーの都合で辛い別離もある。
スクリーンに映る人だけでは映画はできない。
メイクさん、大道具さん、カメラに衣装さん、そんな人がいて映画ができるのです。
その時、その時に周囲の人に生かされている自分がいる。
これってありがたいことだと思うのです。
吉永 本当にそうですね。実感します。
伊藤 吉永さんは「映画女優」の撮映のとき、女優をとるか、
女をとるか悩まれたとか、その時の決断は大変だったでしょうね。
吉永 あのときは随分悩みましたが、今から思うと、ホテルにチェックイン
した時、明日の朝食は和食か洋食どちらにしょうか迷うこと位にしか
思っていないのです。
私はもしかしたら感受性が鈍いのかも知れません。
高倉 そんなことはないでしょう。「第二楽章」を何度も聴かせて
いただきましたが、感受性の鈍い人では、そこまで表現できませんよ。
伊藤 そうです特に「慟哭」は何度聞いても心が張り裂けそうです。
吉永 第二楽章をはじめ原爆詩の朗読は私のライフワークです。
でもおかしいでしよう、あの原爆詩は母親が息子を待ち続ける詩なのですが、
私には子どもがいませんもの。
でも、私もなぜかあの詩が一番心に響くのです。
伊藤さんに褒めていただいてうれしいわ。
伊藤 ・・・・・・・・・・・・・・・・・。
高倉 ところで伊藤さん、さきほど映画は人生に似ていると
申しましたが、伊藤さんはどんなことが人生に似ていると思われますか。
伊藤 はい、私は山登りやマラソンが人生に似ていると思っていたのですが、
それも実は人生なんです。
人生そのものなんですね。
最近になって思うのですが、バス旅行ってあるじゃないですか、
人間はこの世に旅をするために生まれてきたのではないのかと思うのです。
吉永 この世に旅をするためですか、あの世に旅立つということはよく口にしますが、
逆の発想みたいで面白いですね。
先を聞かせてくださいますか。
伊藤 はい、バスに乗って旅に出る、一泊でも二泊でもいいのですが、
色々なところから見知らぬ人が集まって目的地に向かう。
美しい景色を見たりおいしいものを食べたり、見知らぬ人同士が打ち解けワイワイ
ガヤガヤ、でも全員が自分とウマか合う人ばかりではないと思うのです。
こちらが合わせている人がいる以上、周囲の人も私に合わせて
くれていることを感じないといけないと思うのです。
高倉 孟子の惻隠の心、思いやりですね。
伊藤 そうです。金子みすゞさんの詩にもありますが、見えないけれどもあるんだよと
気づくことで相手への思いやりが生まれると思うのです。
吉永 「見えないけれどもあるんだよ」素敵な言葉ですね。
その詩、教えていただけます。
伊藤 全部は覚えていないのです、半分くらいなら
星とたたんぽぽ
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ
ここまでしか覚えていないんです、すみません。
高倉 う一ん、深い言葉ですね、自分なんかまだまだです。
話の腰を折ってしまいました続きをお願いします。
伊藤 バスの集合時間とか宴会の時間とかありますよね、
あれも約束なんです。
私たちは人生の中で周囲の人と衝突しないように、いくつかの
約束事を自分なりに決めて生きている部分があると思います。
しかし、何十人の中には、いつもマイペースの人がいるものです。
出発時間が迫っているのに朝風呂に入っていたり、
散歩から帰ってこないとか、そんな人に限って謝ることをしないし、
拳句には金払っているから文句を言われることはない、
なんて開き直ったりするんですね。
たぶん、価値観という物差しの長さは同じでも、目盛りの
粗さが違うのではないかと思うのです。
吉永 よく分かります。役者って自己主張の強い人が多いから、
決まりごと守らない人は結構います。
伊藤 そして、旅に出た以上いつか家に帰らなければいけません。
ここだったら、名神の大津インターを降りて、一人また一人とバスは
参加者を降ろしていきます。
「じゃ」「ありがとう」とか「また行きましょう」「さようなら」って、
いつか自分の番が来て降りなければいけない、
バス旅行がこの世だとしたら家はあの世と言えないでしょうか。
だったら、往くとか逝くではなく、あの世でも浄土へでも帰る、
還ると考えるのです。
高倉 バスに乗り続けることはできない。年末ジヤンボはほとんどの人が
ハズレだけれど死は全員当選ですからね。
吉永 伊藤さん、だったら一度きりのバス旅行、素敵なお土産
いっぱい持って帰らないといけませんね。
伊藤 そういうことですね。
吉永 今、バスの話が出たからではありませんが、私は、
自動車が人間そのものではないかと思うことがあります。
人は生まれた時から、あなたはクラウン、君は軽自動車、
そこのあなたはトラックとか決まっていて燃料もどれくらい
入っているのか知らされていない、せっかくベンツに生まれたのに、
数キロ走ったところで事故を起こしてリタイア、そうかと思うと
ボロボロの車でも楽しそうに走っている、車内は整然としていて
ゴミーつ落ちていない車もある。
高倉 吉永さんはどんな車なんでしょうね。
吉永 私にはわかりませんが、若いころはスポーツカーや
レーシングカーに憧れたり、いつぱい人が乗れるバスもいいな
と思ったりしていましたが、結局、自分は自分なのだと気が付きました。
与えられた車を大切にして燃料が切れるまで悔いのないように走るしかないと。
大先輩の女優の田中絹代さんが「楢山節考」の中で老婆を演じられた
のですか、まだ年が若くて、いくらメイクしても老婆にはなれなかったそうです。
そこで、自分の歯を全部抜いて役を演じられたと聞いています。
高倉 私たちの世界では有名な話ですね。
吉永 女優はやはり容姿を気にします、言い換えるなら自分の車は
いつまでもきれいにしておきたいと思うのが本心です。
田中さんはどんな車に乗っても自分は自分、その責任は自分にあると
思っていらっしゃったのではないでしょうか。
自分にとって正しい生き方と得な生き方なら、正しい生き方を選ばれた。
とても自分に厳しい方でした。
とこか高倉さんに通じるものがありますね。
高倉 自分なんかまだまだです。
伊藤 燃料がどれだけ入っているのかわからないというところも人生と同じですね。
吉永 ええ、だから、伊藤さんと同じように素敵なお土産をいっぱい残さないと
いけないと思っています。
いろんな所へ行ったり、いろんな人とドライブしたり、仕事、仕事だけでなく、
自分の心が満たされるような走りも心がけていますし、
道路の上でガス欠になったら他人の迷盛になるからそのあたりも気を配
っています。
高倉 人間に生まれてきたのが運が良かったのか悪かったのか
自分には分かりません。
生きることは喜怒哀楽の連続、むしろ哀や苦、辛の方が多いかもしれません。
そんな中で、人と自分を比べず生きる、上を見るとキリがないし、
下ばかり見ていると上から目線で傲慢になってしまう。
誰も代わってくれないし、誰とも代われない自分だけの人生だったら、
あるがままを認め、謙虚に受け入れるしかないような気がします。
吉永 日本中が貧しかった頃には道徳とか人情があっちこっちにありました。
貧しくても盗みをする人は少なかった、貧富の差がはっきりしてくると、
引ったくりや殺人までが増えてしまいました。
周囲が自分と同等だと人々は安心し、周囲が自分より上だと
被害者意識を持って加害者になる。
私たちは、どこかで意識せずに他人と比べなから生きている、
比べずに生きることは本当に難しいのかも知れませんね。
伊藤 お二人の根っこは同じですね、たぶん自分と向き合う姿勢、
他人と接する姿勢が同じなのだと思います。
華やかな世界で永年活躍され、今なお多くの人の心をつかんで離さない
魅力を垣間見た気かします。
私は次の世があるのなら、どこかのお城の濠の底の石垣がいいと思っています。
人の目に触れることはなくても、それでもそこにあるんだよ。
山頭火ではないですが、ここ何年か「買いかぶられる決まり悪さ、見下げられる気安さ」
ということを実感しています。
吉永 お城の石垣って発想が面白いですね。
お魚が話し相手なんて言うのもいいですね。
私も考えてみようかな。
高倉 それ、いいですよ。自分は話が苦手なんで。
どうです、次の世は三人で石垣になるというのは。
Posted by いとう茂 at
19:07
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