2020年06月10日

いよいよ梅雨入り

子どものころ梅雨は嫌だなぁ、と言うと
梅雨はお百姓さんが喜ぶ季節、そんなことを親だけでなく
学校でも教えられた記憶があります。
お百姓さんと言う言葉も日常ではほとんど口にすることが
なくなり、お百姓さんと呼ばれる人はどこにいるの・・・・・・。
雨で増水した通学路の溝に、長靴でそっーと入り溝の底に
足がつくと、長靴に水が入らないようにそろり、そろり歩いて
通学した懐かしい思い出もあります。

思い出と言えば、雨が続くのを楽しみにしたこともあります。
家の裏に膳所城の堀が流れていました、現在は埋め立てられて
公団の道路になっていますが、普段は水の量もそれほど
多くない堀の水かさが雨で増し、琵琶湖から魚が上がってきます。
魚から見えないようにぐるっと大回りして堀の端の方に網を仕掛けて、
大急ぎで上流に行き、棒きれで水面をたたきながら、魚を追って
仕掛けた網を上げるとずっしり重く中で魚が暴れているのが
伝わってきます。

あの頃は琵琶湖でとれる魚は食べることができましたし、
釣り好きの家では日常的に食卓に琵琶湖の魚が並んでいたと
思います。
今ではほとんど見なくなったギギは背びれと胸びれにトゲがあり、
子どもたちは何度か刺されて、刺されない持ち方を覚えたものです。
梅雨が明けるとアユが石垣で群れだします、それを引っ掛け針で
引っ掛けて持って帰ると、夜のおかずの一品になったり、小さめの
アユをエサにウナギを釣りに夜釣りに行くのも楽しみでした。
今では高価な魚になってしまいましたが、当時はひと夏に何十匹も
天然のウナギが釣れ、自家製のかば焼きは特別珍しいものでは
ありませんでした。

今は南湖の魚を食べる人はほとんどいなくなったと思いますし、
北湖に行っても昔食べていた魚はほとんど釣ることができないと
思います。
晴耕雨読とは違い、雨の日は家でじっとしているのではなく、
外で楽しみ、晴れの日は晴れの日で外で楽しむ・・・・・。
遊び場は神社や琵琶湖、毎年梅雨はやってきますが、
そんな時代はもう来ないのでしょうか。

  
Posted by いとう茂 at 15:13Comments(0)

2020年06月10日

交番がなくなりました

学区の中にあった交番の建物が取り壊されました。
交番の機能は昨年4月から膳所駅前の交番に統合され、
時々警官が立ち寄る程度で夜は赤いランプが灯され、
ダミーの交番でしたが、それでもないよりはある種の
抑止力はあったと思います。
重機が入り建物は解体されました。

小学生のころにはほかの場所に駐在所があり、警察官が
生活していました、今のところに移ったのは50年以上前だと
思いますが、それまでは刑務所の敷地の中で、刑務所が
移転して公団の団地、市営団地、警察官者、そして大津市と
それぞれが国から払い下げを受けたのだと思います。
交番の土地はもともと大津市が所有していましたが、
競輪事業の廃止にともない、土地は滋賀県の物でしたので、
跡地とびわ湖ホールの土地を県と市で交換しましたが、
競輪場の方が広く、びわ湖ホールと県立体育館、それといくつかの
交番の土地を大津市が出して交換が成立したという経緯があり、
現在の交番の土地は県有地になっています。

交番廃止の議論が起きた時に、県の条例などを自分なりに
調べましたが、条例には交番の位置は明記されていませんでした。
大津市の条例で各学区の支所の住所は明記されています。
明記があるなしで議会の対応が変わります、明記があれば移転や
廃止の時に議会の承認が必要ですが、明記がなければ移転、廃止が
自由にできます。
全国的にそうなっているということで、ある種、治外法権的な
措置のようにも感じます。
それと、学区にある交番だから学区全体が警備等の対象化と
言うと・・・・・これも・・・・猜疑心を抱きますが、膳所の場合は3つの
交番がエリア分けをして管轄しています。
住民はそんなことを誰からも教えてもらえませんが・・・・・。

とにかく、交番が名実ともに消えてしまいました。
どうぞ、大きな事故や事件が起きませんように・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 00:43Comments(0)