2024年05月17日
一寸先は・・・
江戸いろはかるたの「い」は「犬も歩けば棒に当たる」で、犬が出歩くと棒で殴られる、ここから出歩いたり余計なことをせずにじっとしているのが一番というのが元の意味ですが、余計かも知れないが動くことで辛いこともあるが楽しいことも経験できる。
それはじっとしていては体験できないので、前向きにとらえて動いた方がいい、犬も歩けば棒にも当たるかもしれないがおいしい餌に出会うこともある、という解釈もあります。
そして、上方いろはかるたの「い」は「一寸先は闇」です。
先のことは全く分からない、ということで闇という言葉を使っているのだと思いますので、決して一寸先は絶望だけではないと思います。
江戸と上方のかるたの「い」の部分が似ているニュアンスがあると、勝手に思い込んでいます。
「一寸先は光」と考えることで積極的な生き方の選択ができるかもしれません。
もちろん、素晴らしいことだけではなく悲惨な出来事が待っているかもしれません、一度きりの人生ですから、どちらの経験も生きているときだけしかできません。
わざわざ一歩踏み出して悲惨な目に遭わなくてもいいかもしれませんが、それが分からないから一歩踏み出せるのだと考えたい。
ひきこもりや不登校の当事者は、犬も歩けば棒に当たるの元の意味であったり、一寸先は暗い闇しかないと動けずにいるように感じます。
もちろん当事者にすぐに動こうとは言えませんし、このままではいけないという気持ちが「少し動いてみようか」に変わる時を待つのが自然だと考えますので、こちらも棒に当たらないように、無暗に出歩いたりせずに、闇の中に光が見えるまで待つしかありません。
江戸と上方かるたの「ろ」は何だったかな・・・・。
それはじっとしていては体験できないので、前向きにとらえて動いた方がいい、犬も歩けば棒にも当たるかもしれないがおいしい餌に出会うこともある、という解釈もあります。
そして、上方いろはかるたの「い」は「一寸先は闇」です。
先のことは全く分からない、ということで闇という言葉を使っているのだと思いますので、決して一寸先は絶望だけではないと思います。
江戸と上方のかるたの「い」の部分が似ているニュアンスがあると、勝手に思い込んでいます。
「一寸先は光」と考えることで積極的な生き方の選択ができるかもしれません。
もちろん、素晴らしいことだけではなく悲惨な出来事が待っているかもしれません、一度きりの人生ですから、どちらの経験も生きているときだけしかできません。
わざわざ一歩踏み出して悲惨な目に遭わなくてもいいかもしれませんが、それが分からないから一歩踏み出せるのだと考えたい。
ひきこもりや不登校の当事者は、犬も歩けば棒に当たるの元の意味であったり、一寸先は暗い闇しかないと動けずにいるように感じます。
もちろん当事者にすぐに動こうとは言えませんし、このままではいけないという気持ちが「少し動いてみようか」に変わる時を待つのが自然だと考えますので、こちらも棒に当たらないように、無暗に出歩いたりせずに、闇の中に光が見えるまで待つしかありません。
江戸と上方かるたの「ろ」は何だったかな・・・・。
Posted by いとう茂 at
11:14
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