2014年01月25日
防災と減災
昨日で研修は終わりましたが、防災について演習で
様々な意見が出されました、その中で防災対策と
減災対策が混同されている場合が多いことが指摘
されました。
例えば震災が起きたときの避難などはどちらかというと、
災害をこれ以上増やさないための減災の要素が強く、
各学区で行われている避難訓練は減災訓練だといわれました。
自分の住んでいるまちにある家屋の建設時期について
どれだけ知識があるかと聞かれ、何となく新しい古いは分かっても
正確な時期までは分かりません、震度6強の地震が来た場合、
昭和35年以前の家屋の倒壊率は90%を超え、昭和50年に
建てられた家の倒壊率は50%を超えます。
小学校や支所に避難するにしても倒壊した家があったり電線が
切れて垂れ下がり感電の恐れもありますし、介護支援が必要な人、
障害者そうした自力で動けない人に加えて震災でけがをした人や
家具の下敷きになって助けを求める人もいます。
それらの人をどう救助するか誰が救助するか、時間によっても違います。
阪神淡路の時は早朝で地域には多くの人がいましたが
東日本の時は午後でしたので働きに行ったり通学で地域には
人が少ない状況です。
また、深夜に震災が起きて停電になれば真っ暗な中で
救助や避難をしなくてはいけません。
そうした想定のもとに避難訓練が行われているかと言えば
ほぼ皆無に近いのが現状ではないでしょうか。
演習では守山市の学区の地図を使い介護、障害者、傷病者等の
支援が必要な家に黄色いシールを張り、昭和50年以前の家も
黄色く塗り、その半分に倒壊の目印を付けました。
何軒か火災が起こるという設定で通れない道にも色を塗り
避難経路を考えました。
一人を救助するのに10人が平均必要だと言われています。
自主防災の加入員はどう動けばいいのか、そのことも統一されていません。
考えれば考えるほど防災と言えば何かをしている気になりますが、
実は何も決められていない、ただ何時から避難訓練を行いますので
各自治会ごとに集団で市民センターまで避難してくださいという支持だけです。
いつ起こるかわからない災害に常に緊張感を持つということは
難しいことですが起きてからでは遅いことも自覚して、住民同士が
防災について語り合う機会が必要だと痛感しました。
様々な意見が出されました、その中で防災対策と
減災対策が混同されている場合が多いことが指摘
されました。
例えば震災が起きたときの避難などはどちらかというと、
災害をこれ以上増やさないための減災の要素が強く、
各学区で行われている避難訓練は減災訓練だといわれました。
自分の住んでいるまちにある家屋の建設時期について
どれだけ知識があるかと聞かれ、何となく新しい古いは分かっても
正確な時期までは分かりません、震度6強の地震が来た場合、
昭和35年以前の家屋の倒壊率は90%を超え、昭和50年に
建てられた家の倒壊率は50%を超えます。
小学校や支所に避難するにしても倒壊した家があったり電線が
切れて垂れ下がり感電の恐れもありますし、介護支援が必要な人、
障害者そうした自力で動けない人に加えて震災でけがをした人や
家具の下敷きになって助けを求める人もいます。
それらの人をどう救助するか誰が救助するか、時間によっても違います。
阪神淡路の時は早朝で地域には多くの人がいましたが
東日本の時は午後でしたので働きに行ったり通学で地域には
人が少ない状況です。
また、深夜に震災が起きて停電になれば真っ暗な中で
救助や避難をしなくてはいけません。
そうした想定のもとに避難訓練が行われているかと言えば
ほぼ皆無に近いのが現状ではないでしょうか。
演習では守山市の学区の地図を使い介護、障害者、傷病者等の
支援が必要な家に黄色いシールを張り、昭和50年以前の家も
黄色く塗り、その半分に倒壊の目印を付けました。
何軒か火災が起こるという設定で通れない道にも色を塗り
避難経路を考えました。
一人を救助するのに10人が平均必要だと言われています。
自主防災の加入員はどう動けばいいのか、そのことも統一されていません。
考えれば考えるほど防災と言えば何かをしている気になりますが、
実は何も決められていない、ただ何時から避難訓練を行いますので
各自治会ごとに集団で市民センターまで避難してくださいという支持だけです。
いつ起こるかわからない災害に常に緊張感を持つということは
難しいことですが起きてからでは遅いことも自覚して、住民同士が
防災について語り合う機会が必要だと痛感しました。
Posted by いとう茂 at 14:11│Comments(0)