2014年06月02日
茂呂副市長退任式 挨拶①
エー茂呂でございます。
・・・・・多くの市議会議員の方々がお忙しい中、
わざわざお越しいただき、・・・・本当に私にとって
大きな喜びであり光栄でございます、ありがとうございます。
そしてまた職員の皆さんも、こんなに大勢お越しいただいて
感激であります、また、その前に市長から・・・・・恐縮しております。
皆さんもお立ち頂いている中恐縮でございますが、
お時間をいただいてちょっとご挨拶をと思います。
平成24年6月、市長のご要請を受けまして、そして、全ての議員の
皆様のご承認をいただきまして、副市長に就任して以来、
同僚、後輩の暖かい声を背中に受けながら、微力を尽くしてまいりましたが、
一身上の都合により5月31日で退任する、ということになりました。
これは市長とも協議をしました結果の適切な選択であったと考えておりますが、
一方で、多くの方々の期待に十分にお応えできなかったと言うことにつきまして、
これは私の力不足によるものでありまして、二年の任期を残して退任、
心からお詫び申し上げます。
どうぞお許しいただきたいと思います。
本日は貴重な時間でありますが、この経過の概要を報告して
併せて私の仲間である職員の皆さんに、いささかの年長者として
贈る言葉を申し上げたいと思います。
私は職員とのパイプ役となること、市長から期待されまして、
その後肝に銘じて職務に取り組んでまいりましたが、
実際にはなかなかそういう役割は難しい、ということは困難を覚えることも
少なからずあり、容易ではございませんでした、そうした中で本年3月、副市長として
2回目となる当初予算編成そして人事異動を見届けてきたわけでありますが、
それらの重要な作業のの課程においても、職員の中に蓄積をされてきた
良質の情報を十分に生かすことができなかった。
あるいは現場の声をしっかりと市長に聞いていただくことができたかという点において、
私自身が非常に反省するところがございます。
で、お断りするまでもございませんが、予算は議会の慎重審議の結果承認を
いただいております。
人事についても新体制が円滑に動いて新年度がスムーズに動いておりますので、
何ら問題はございません。
私はあくまで、組織の内部の意思決定のプロセスにおける私自身の
役割と言うことで申し上げておるものでございます。
また時を同じくして3月、職員の分限化の条例の適用を求めて1,900人に上る
職員からの嘆願書が提出されまして、これに対して本市は、責任に基づく
慎重な判断の結果で条例については、これについては不適用と言う決定を行ったわけです。
この決定と、また別にですね、私はこの時に多数の職員の意思表示に私自身として、
真っ向から向き合えたのかどうか、そして、それに対して確かなメッセージを返すことが
できたかと言うことを自問いたしました。
すなわちこれまた、一つの重要な場面に立ち会ってパイプ役の本来的な機能を
果たすことができたかどうか、この部分についても私は残念ながら
不十分な対応しかなし得なかったということだと思います。
こうしたことから、副市長としてすでに2年分の結果責任を負うところの
私が今後とも職務を続けるうえで、一つの大きな分かれ道に差しかかったと
感じたのはやはり3月であります。
これは一つとしては副市長としての私の力量の問題でありますし、
もう一つは市長とその右腕であるところの私の相互の関係の問題でもある、
で、そこでそのことを率直に市長に申しあげまして、しっかりと市長のお役に立てない、
であれば、私としたらもはや辞職しかない、と言う気持ちをお伝えしましたところ、
市長も真剣に耳を傾けていただきまして、私の進退に係る協議が始まりました。
ところがちょうどその時に、富田教育長の辞職という大きな出来事がありました。
富田氏は技術者としての合理的精神とそれから教育改革に賭ける情熱を併せ持った方で、
子どもの立場からの教育改革に一生懸命に努めておられたのですが、
就任以来市長部局との連携の在り方について、苦慮しておられました。
私と富田氏はお互いに信頼をおく間柄でありましたが、同氏は26年当初の
予算の編成において、教育委員会の意見の反映がなかなか難しいということについて
心を痛めておられました。
こうした事情がご本人の重大な決断に結び付いたと私は認識いたしております。
もちろん、一時は健康を損なわれて、それを理由に退任されたという事実を否定するものではありません。
これもまた市長部局と教育委員会との連携調整と言う私の大変重要な役割に
係ることとしてお話をしているわけであります。
やがて年度末であったことから、26年度当初予算の事業推進を最優先しようと
いうことでありまして、新規事業計画とか部局長意見の聴取など一連の仕事を
進めて新年度をスタートしつつ、また市長とのご相談を再開してまいりましたと言う次第です。
さて、私の尊敬するところの先輩であり目標でもありました佐藤賢氏井上俊生氏のお二人の副市長は
時の市長の厚い信任を受けて行政推進を果たされましたが、私としてなかなか同様の働きをすることが
かなわずに、また、パイプ役として十分な働きをなし得なかったと、いうことにつきましては
先ほど述べました通りであります。
一方市長は、就任3年を迎えて、内外の事情にも通じてこられましたことから、
私も少々、いわば案内役と言うことでの、その仕事は一定完了しておりましたし、
市長からございましたゴミ処理施設についても・・・・・方針転換がはかれた
これ一つの到達でございまして、市長におかれては一山越えられた
こんな状況でございます。
で、私にとって容易ではなかった職員とのパイプ役と言うことにつきましても、
今後、市長ご自身がパイプ役、パイプとなられますよう、むしろその方が好ましいのではないかと
本市内部の現状を踏まえつつ、こうした状況を重ね合わせた結果、円滑な組織運営と、
市政推進のためには私の退任もありうる選択肢である、いうご判断をいただいて
私は市長から一身上の都合での退職、いうことをお認め頂いたわけであります。
以上が概略のご説明でありまして、皆様にはどうぞよろしくご理解いただきたいと存じます。
続く
今日から6月通常会議が幕を開けます。
会期は6月20日までです、今回は大きな補正予算案はありませbbが、
条例の一部改正や人事案件、小中学校のエアコンの工事請負契約など
合計で24件の議案を審議します、空席になっている教育長については
この前市長から今通常会議の上程は困難と言う報告がありました。
このことは子供たちの将来に係ることなので、適切な人事を
お願いしているところです。
新しい教育制度のもとでは首長の意見がより反映されるようですが、
教育は中立であるべきという思いは変わりません。
・・・・・多くの市議会議員の方々がお忙しい中、
わざわざお越しいただき、・・・・本当に私にとって
大きな喜びであり光栄でございます、ありがとうございます。
そしてまた職員の皆さんも、こんなに大勢お越しいただいて
感激であります、また、その前に市長から・・・・・恐縮しております。
皆さんもお立ち頂いている中恐縮でございますが、
お時間をいただいてちょっとご挨拶をと思います。
平成24年6月、市長のご要請を受けまして、そして、全ての議員の
皆様のご承認をいただきまして、副市長に就任して以来、
同僚、後輩の暖かい声を背中に受けながら、微力を尽くしてまいりましたが、
一身上の都合により5月31日で退任する、ということになりました。
これは市長とも協議をしました結果の適切な選択であったと考えておりますが、
一方で、多くの方々の期待に十分にお応えできなかったと言うことにつきまして、
これは私の力不足によるものでありまして、二年の任期を残して退任、
心からお詫び申し上げます。
どうぞお許しいただきたいと思います。
本日は貴重な時間でありますが、この経過の概要を報告して
併せて私の仲間である職員の皆さんに、いささかの年長者として
贈る言葉を申し上げたいと思います。
私は職員とのパイプ役となること、市長から期待されまして、
その後肝に銘じて職務に取り組んでまいりましたが、
実際にはなかなかそういう役割は難しい、ということは困難を覚えることも
少なからずあり、容易ではございませんでした、そうした中で本年3月、副市長として
2回目となる当初予算編成そして人事異動を見届けてきたわけでありますが、
それらの重要な作業のの課程においても、職員の中に蓄積をされてきた
良質の情報を十分に生かすことができなかった。
あるいは現場の声をしっかりと市長に聞いていただくことができたかという点において、
私自身が非常に反省するところがございます。
で、お断りするまでもございませんが、予算は議会の慎重審議の結果承認を
いただいております。
人事についても新体制が円滑に動いて新年度がスムーズに動いておりますので、
何ら問題はございません。
私はあくまで、組織の内部の意思決定のプロセスにおける私自身の
役割と言うことで申し上げておるものでございます。
また時を同じくして3月、職員の分限化の条例の適用を求めて1,900人に上る
職員からの嘆願書が提出されまして、これに対して本市は、責任に基づく
慎重な判断の結果で条例については、これについては不適用と言う決定を行ったわけです。
この決定と、また別にですね、私はこの時に多数の職員の意思表示に私自身として、
真っ向から向き合えたのかどうか、そして、それに対して確かなメッセージを返すことが
できたかと言うことを自問いたしました。
すなわちこれまた、一つの重要な場面に立ち会ってパイプ役の本来的な機能を
果たすことができたかどうか、この部分についても私は残念ながら
不十分な対応しかなし得なかったということだと思います。
こうしたことから、副市長としてすでに2年分の結果責任を負うところの
私が今後とも職務を続けるうえで、一つの大きな分かれ道に差しかかったと
感じたのはやはり3月であります。
これは一つとしては副市長としての私の力量の問題でありますし、
もう一つは市長とその右腕であるところの私の相互の関係の問題でもある、
で、そこでそのことを率直に市長に申しあげまして、しっかりと市長のお役に立てない、
であれば、私としたらもはや辞職しかない、と言う気持ちをお伝えしましたところ、
市長も真剣に耳を傾けていただきまして、私の進退に係る協議が始まりました。
ところがちょうどその時に、富田教育長の辞職という大きな出来事がありました。
富田氏は技術者としての合理的精神とそれから教育改革に賭ける情熱を併せ持った方で、
子どもの立場からの教育改革に一生懸命に努めておられたのですが、
就任以来市長部局との連携の在り方について、苦慮しておられました。
私と富田氏はお互いに信頼をおく間柄でありましたが、同氏は26年当初の
予算の編成において、教育委員会の意見の反映がなかなか難しいということについて
心を痛めておられました。
こうした事情がご本人の重大な決断に結び付いたと私は認識いたしております。
もちろん、一時は健康を損なわれて、それを理由に退任されたという事実を否定するものではありません。
これもまた市長部局と教育委員会との連携調整と言う私の大変重要な役割に
係ることとしてお話をしているわけであります。
やがて年度末であったことから、26年度当初予算の事業推進を最優先しようと
いうことでありまして、新規事業計画とか部局長意見の聴取など一連の仕事を
進めて新年度をスタートしつつ、また市長とのご相談を再開してまいりましたと言う次第です。
さて、私の尊敬するところの先輩であり目標でもありました佐藤賢氏井上俊生氏のお二人の副市長は
時の市長の厚い信任を受けて行政推進を果たされましたが、私としてなかなか同様の働きをすることが
かなわずに、また、パイプ役として十分な働きをなし得なかったと、いうことにつきましては
先ほど述べました通りであります。
一方市長は、就任3年を迎えて、内外の事情にも通じてこられましたことから、
私も少々、いわば案内役と言うことでの、その仕事は一定完了しておりましたし、
市長からございましたゴミ処理施設についても・・・・・方針転換がはかれた
これ一つの到達でございまして、市長におかれては一山越えられた
こんな状況でございます。
で、私にとって容易ではなかった職員とのパイプ役と言うことにつきましても、
今後、市長ご自身がパイプ役、パイプとなられますよう、むしろその方が好ましいのではないかと
本市内部の現状を踏まえつつ、こうした状況を重ね合わせた結果、円滑な組織運営と、
市政推進のためには私の退任もありうる選択肢である、いうご判断をいただいて
私は市長から一身上の都合での退職、いうことをお認め頂いたわけであります。
以上が概略のご説明でありまして、皆様にはどうぞよろしくご理解いただきたいと存じます。
続く
今日から6月通常会議が幕を開けます。
会期は6月20日までです、今回は大きな補正予算案はありませbbが、
条例の一部改正や人事案件、小中学校のエアコンの工事請負契約など
合計で24件の議案を審議します、空席になっている教育長については
この前市長から今通常会議の上程は困難と言う報告がありました。
このことは子供たちの将来に係ることなので、適切な人事を
お願いしているところです。
新しい教育制度のもとでは首長の意見がより反映されるようですが、
教育は中立であるべきという思いは変わりません。
Posted by いとう茂 at 12:12│Comments(0)