2016年07月05日

蝉の声

セミと書くと夏休みの自由研究で標本にしたセミになりますが、
蝉と書くと1週間ほどの命で鳴いて鳴いて死んでいく、
少し悲しいイメージになります。
もちろんこれは私個人の印象で、もっと違うイメージを
持つ人も多いと思います。

昨日、緑のお爺さんで交差点に立っていると蝉の声が
聞こえてきました、通学の子どもたちも「セミ」と言いながら
声の先を探しますが、探し物は見つかりません。
私の頭の中では1年中セミが鳴いていますので、最初は
声が聴き分けられませんでしたが、よく聞くと明らかに声の
種類や高さが違いました。

おめでとうから7か月、桜から3月、季節の時計は休みなく
動いています、気負うこともなく、ただ淡々と時を刻み、
多くの命を育み、また滅ぼしながら流れていきます。
私たちも蝉もこの流れから外れることはできません。
自分が生きた証しは残るのでしょうか、蝉は何年か先に
生まれてくるであろう自分の子孫を残します。
そのために生まれて死んでいくまで鳴き続けて伴侶を
探しています。

人はどんな足跡を残せるのでしょう、子孫は周囲から
強制されるものではありませんので、必ずしも残せるとは
限りません。

子や孫に美田を残すなという教訓もあります、残したい
気持ちの人は多くても実際に残せる人は少ないでしょう。
私が残したいと思うことは・・・・・・・。
普段見せないにやけた写真を1枚、それを見て知人や親しい人が
いろんな話をしてくれて、ひとしきり話が済んだら水が砂に
吸い込まれるようにすぅーと心の中から消えてしまい、
何年かに一度思い出してくれたらと思います。

爺ちゃんが残してくれたものだからと必要以上に大切にされたり、
ちょうどよかった、これを売り払って金に換えようと粗末にされるのも
気が気でないように思います。
気が気でなくてもどうすることもできませんが・・・・・。


Posted by いとう茂 at 22:39│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。