2021年04月11日

膳所の町②

家の裏が刑務所で江戸時代は膳所城があったことは
昨日アップしました。
その後、と言っても半世紀以上前ですが刑務所が移転して
その後に団地ができました。
公団、市営、警察官舎と多くの団地が立ち並び、戸数は900近く
あると思います。
それが、警察官舎が閉鎖になり裏手の公団の団地も空き家が
目立ちますし、市営住宅の世帯主の平均年齢も60歳を超えて
高齢化が進んでいます。
膳所学区は大津市の36学区の中で7・8番目の人口数ですが、
高齢者の数は一番多くなっています。

20年ほど前までは大津市で一番多くの人口を有する学区でしたが、
他学区にマンションがたくさんできたり、開発が進んで新興住宅が
できたりで人口が増加して順位を落としています。
知っている限り膳所学区の人口は、16000人以上の年数が30年ほど
続いていたと思います、現在は15000人台で推移しているようです。
膳所学区の人口が減少したというよりも他学区の人口が増加した
結果が今の順位になっています。

家のすぐ裏手の団地は1棟で50戸ありますが、眺めていて洗濯物が
干していない、カーテンがない、物干しざおがない、そんな部屋が
10以上あります。
ついこの前も一人暮らしのお婆さんが、元気なうちに介護施設に
入ると去っていきました。
親しい人に見送られての出発で、新しい住処が終の棲家になると
いうことで、送られる方も送る方もしんみりした気分だったようです。
団地という小さい社会にもドラマがあります。

新しいものはいつか古くなっていきます、団地にはできてからずっと
住み続けている人も多数います、20代で引っ越してきても80歳を
超える年齢になっています。
交通の便もいいので移動するのに車がなくても苦になりません。
子どもたちも独立して膳所の町を離れ、それでも夫婦だけであるいは
独居で住み続けるのは、子どもの世話になりたくない、便利な土地を
離れがたい、長く続く人間関係を断ち切りたくない・・・・・。
様々な理由があるのでしょうが、根底にはこの町が好きだという感情が
あって欲しいと思います。
私もこの町を離れて暮らしたことがありません、同級生もずいぶん減りました。
ほとんどがこの町を離れて行ってしまいました。
遠く離れても、故郷への思いだけはずっと持っていて欲しいと願います。
肉体は膳所を離れても心は離れないで・・・・・。

Posted by いとう茂 at 15:13│Comments(0)
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