2023年02月16日
時々想うのはふるさとの あのプラットホームの薄暗さ
浮かんできたのは亡くなった浅川マキさんの、朝日の当たる家の歌詞の一節。
正確な歌詞か分かりませんが、
浮かんできた歌詞でイメージしたのは四国遍路の遍路道、
21番の太龍寺への山道でした。
1巡目に全行程を歩いた時に打ちのめされた遍路道と遠回りですが
平たんな道で楽をした遍路道がいくつかありました。
その仕返しと楽せず手を抜かず歩こうと決めた遍路道に改めてチャレンジ、
太龍寺の前に打ちのめされた12番の焼山寺への遍路道に仕返しをしました。
11番藤井寺から山を3つほど上り下りする12番焼山寺への遍路道、
距離は13キロですが飲み物が全部なくなり熱中症になりながら、
8時間半かけて到達しました。
焼山寺からは動けずにタクシーで民宿に直行しました。
その遍路道を5時間半で上りリベンジ成功、
気をよくして次は平たんな道を遠回りして楽して到達した札所が
20番の鶴林寺と21番の太龍寺でしたので手抜きをせずに歩き直しました。
前泊で徳島駅前のビジネスホテルに泊って、
始発のバスで鶴林寺のふもとまで移動して、遍路道を上り始めました。
1巡目は自動車でお参りするカーブが多い舗装道路を上りましたが、
この時は昔からある遍路道です。
8月だったので水分は多めに持って上りはじめ、
適度に休憩もとりながら水分補給、思ったよりも早く、
体もそれほど疲れずに第一段階の鶴林寺はクリアできました。
お参りを済ませていったん下ってから太龍寺への遍路道に入っていきます。
水分はペットボトル1本半程度、これだけあれば4キロもない遍路道だから足りるだろう・・・
これが大きな誤算になります。
前にも後ろにも遍路はいません、8月の暑い時に歩く遍路はかなり少なくなります。
急な上りはありませんが汗が噴き出してきます、すぐに半分のペットボトルは空になりました。
それでもまだ1本残っていますし、昼過ぎでしたので時間もたっぷりあります。
休みながら行けばいい、3巡目と4巡目は歩きにこだわらず、電車、バス、タクシー、
何でもありの遍路です。
しかし山の中には何もありません、歩くしかないのです。
太龍寺までの山道は、どこをどう歩いたか記憶がありません。
小さい橋を渡って15分程度歩いた記憶はありますが、
その後はペットボトルのお茶を飲み干して、
階段に座り込んでいたところまで記憶が飛んでいます。
それでも何とかお参りができたのは、お大師さんのご加護があったのだと思っています。
この日も軽い熱中症で、それ以後の移動はタクシーとJRでした。
焼山寺と、鶴林寺、太龍寺の苦しかった記憶が、1年に2・3度浮かんできます。
普通ならそれで、もうこりごりとなるのですが・・・
また行きたいと思うのはよほど自虐癖が強いか、お大師さんが呼んでいるか・・・。
正確な歌詞か分かりませんが、
浮かんできた歌詞でイメージしたのは四国遍路の遍路道、
21番の太龍寺への山道でした。
1巡目に全行程を歩いた時に打ちのめされた遍路道と遠回りですが
平たんな道で楽をした遍路道がいくつかありました。
その仕返しと楽せず手を抜かず歩こうと決めた遍路道に改めてチャレンジ、
太龍寺の前に打ちのめされた12番の焼山寺への遍路道に仕返しをしました。
11番藤井寺から山を3つほど上り下りする12番焼山寺への遍路道、
距離は13キロですが飲み物が全部なくなり熱中症になりながら、
8時間半かけて到達しました。
焼山寺からは動けずにタクシーで民宿に直行しました。
その遍路道を5時間半で上りリベンジ成功、
気をよくして次は平たんな道を遠回りして楽して到達した札所が
20番の鶴林寺と21番の太龍寺でしたので手抜きをせずに歩き直しました。
前泊で徳島駅前のビジネスホテルに泊って、
始発のバスで鶴林寺のふもとまで移動して、遍路道を上り始めました。
1巡目は自動車でお参りするカーブが多い舗装道路を上りましたが、
この時は昔からある遍路道です。
8月だったので水分は多めに持って上りはじめ、
適度に休憩もとりながら水分補給、思ったよりも早く、
体もそれほど疲れずに第一段階の鶴林寺はクリアできました。
お参りを済ませていったん下ってから太龍寺への遍路道に入っていきます。
水分はペットボトル1本半程度、これだけあれば4キロもない遍路道だから足りるだろう・・・
これが大きな誤算になります。
前にも後ろにも遍路はいません、8月の暑い時に歩く遍路はかなり少なくなります。
急な上りはありませんが汗が噴き出してきます、すぐに半分のペットボトルは空になりました。
それでもまだ1本残っていますし、昼過ぎでしたので時間もたっぷりあります。
休みながら行けばいい、3巡目と4巡目は歩きにこだわらず、電車、バス、タクシー、
何でもありの遍路です。
しかし山の中には何もありません、歩くしかないのです。
太龍寺までの山道は、どこをどう歩いたか記憶がありません。
小さい橋を渡って15分程度歩いた記憶はありますが、
その後はペットボトルのお茶を飲み干して、
階段に座り込んでいたところまで記憶が飛んでいます。
それでも何とかお参りができたのは、お大師さんのご加護があったのだと思っています。
この日も軽い熱中症で、それ以後の移動はタクシーとJRでした。
焼山寺と、鶴林寺、太龍寺の苦しかった記憶が、1年に2・3度浮かんできます。
普通ならそれで、もうこりごりとなるのですが・・・
また行きたいと思うのはよほど自虐癖が強いか、お大師さんが呼んでいるか・・・。
Posted by いとう茂 at 15:45│Comments(0)