2023年03月05日

腐ったミカン②

寡(すくなき)を不患(うれえず)して不均(ひとしからざる)を患(うれ)う
貧しきを患えずして安からざるを患う
蓋(けだし)均しければ貧しきこと無く、和すれば寡きこと無く、
安ければ傾くこと無し。
論語の中で好きな言葉の一つです。
寡を不患して不均を患う、この一節をどう解釈するか、
その人の置かれている立場と、どこに目が向いているかで決まることが
多いと思います。
広い視野で天下国家を見ている人なら、国の施策の在り方、予算の配分、
そのあたりのことが患いの根源になるでしょうが、そこまで視野の
広い人は少なく、多くの人は隣近所、会社の同僚や先輩、友人、
そのあたりと比べての患いになるように感じます。
例えば、会社での自分のポジションで考えてみると、同じ立場の
社員と比べて、自分の方が仕事をよくしているのに、時間があると
スマホで遊んでいる社員と同じ給料、給料の多寡ではなく仕事量が違うのに、
と憂うことになるように思います。
「あれだけサボっているのに、俺と同じ給料なんて会社はどこを
見てるんだ」。
あんな奴と同じ職場にいれば腐ったミカンになる。
そう考える人も多いかもしれません。
しかし、よく考えると・・・・自分が腐ったミカンになっていないか。
サボっている奴と同じようにサボればいいと言っているのではなく、
人は生まれながらに等しくない部分が多くあります。
隣の100万円よりも自分の1万円、そんな言葉がありました。
しかし、しかし、頭では理解できても・・・・納得できないのが人間。
納得できないから、こうした格言が現代にも通用している気がします。

Posted by いとう茂 at 00:14│Comments(0)
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