2024年07月08日

梅雨のこの時期は傘が手放せません。
ここ数日は炎天下の暑い日が続いていますが、週の後半には傘の出番がありそうです。
傘と言って思いつくのが、森進一の「おふくろさん」です。
雨の降る日は 傘になりお前もいつかは 世の中の傘になれよと 教えてくれたあなたの あなたの真実忘れはしない
おふくろさんを傘に例えて雨から守ってくれ、いつか子どもにも傘になって多くの人を守りなさいと教えた歌詞だと理解しています。
おふくろさんは子どもに自分が傘になるように求めていますが、親亡き後に子どもが困らないように傘を用意する親がいます。
ある人はお金という傘、人と話せるようにと傘を用意する人もいれば、福祉とつながるという傘もあります。
小さい社会体験を子どもに多くさせる傘もあります。
しかし、中には自分たちが死ねば子どもは自分で何とかするだろうと考え、傘を用意しない親もいます。
どちらが正解かは分かりません、ただ、親としてひきこもっている子どもを見ていられない、この子のために何ができるかと考える親の気持ちは痛いほどわかります。
自分がこの親でも同じことを考えるだろうと感じます。
親が亡くなった後に親が残してくれた傘が、子どもを守り続けてくれればいいのですが、そうでない場合も多くあります。
そのことを親も承知していますから、さらに丈夫で大きな傘をと親は望むことも少なくありません。
どんな傘を用意するか、いくつ傘を用意するか、親子が置かれている状況によって違うように感じます。
子どもがひきこもって家から出ずに困っている親と、何度も就労して続かずに、支援機関とつながり定期的に面談をして困っていても気持ちにゆとりがある親とでは、用意する傘の強度や数に差があるように思います。
松陰の「親思ふ心にまさる親心 今日のおとづれ何と聞くらん」ではありませんが、親が用意してくれている傘を見て「ありがとう」が言えたら、ひきこもりも激減するように感じますが・・・・。


Posted by いとう茂 at 21:26│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。