2012年07月31日
ふっと
日々の暮らしの中で「ふっと」思うことはないですか。
ふっと、おいしいものが食べたいとか、
ふっと、飲みに行きたいとか、
ふっと、ご無沙汰している人へ手紙を書いてみようかとか、
ふっと、どこかへ行きたいとか、
ふっと、映画が見たくなるとか、
ふっと、買い物に行きたくなるとか・・・・・
それを衝動というのでしょうか。
心の中の種が突然花開くような感触であり、
何かに突き動かされる、そんな気持ち。
吉田松陰の、かくすれば かくなることと 知りつつも
やむにやまれぬ やまとだましい
そんな大げさなものではないにせよ、
意識せずに動いている自分がいることがあります。
ふっと、思いついたことが案外いいものもあれば、
勇み足、早とちり、そんなことも多々あります。
ふっと、思いついて天一にラーメンを食べに行くのなら、
メタボの責任は自分に帰すだけで、周囲へ
影響はあまり及ぼさないわけですが、
責任ある立場や、会議での、ふっと、は
思わぬ弊害や反響を呼んだりします。
まさに、駟も舌に及ばず・・・・・です。
さぁ、さぁ、最近思い当たることが
多いと感じるのは私だけでしょうか。
ふっと、おいしいものが食べたいとか、
ふっと、飲みに行きたいとか、
ふっと、ご無沙汰している人へ手紙を書いてみようかとか、
ふっと、どこかへ行きたいとか、
ふっと、映画が見たくなるとか、
ふっと、買い物に行きたくなるとか・・・・・
それを衝動というのでしょうか。
心の中の種が突然花開くような感触であり、
何かに突き動かされる、そんな気持ち。
吉田松陰の、かくすれば かくなることと 知りつつも
やむにやまれぬ やまとだましい
そんな大げさなものではないにせよ、
意識せずに動いている自分がいることがあります。
ふっと、思いついたことが案外いいものもあれば、
勇み足、早とちり、そんなことも多々あります。
ふっと、思いついて天一にラーメンを食べに行くのなら、
メタボの責任は自分に帰すだけで、周囲へ
影響はあまり及ぼさないわけですが、
責任ある立場や、会議での、ふっと、は
思わぬ弊害や反響を呼んだりします。
まさに、駟も舌に及ばず・・・・・です。
さぁ、さぁ、最近思い当たることが
多いと感じるのは私だけでしょうか。
Posted by いとう茂 at
16:29
│Comments(0)
2012年07月30日
やまだの作文②
今日はスケジュールが詰まっていますので、
ブログの更新ができないかも知れません。
いじめで、反響を気にする議員もいたようですが、
マイペースで更新してきたのが
途切れるのも、気持ちが切れそうなので、
手抜きですが引用でご勘弁ください。
でも、一応、やまだの作文の全作品には目を通しました。
入選と佳作の間にはさほどの差もありませんでした。
国語的におかしい所は多々ありましたが、
子どもたちの真っ直ぐな気持ちが国語的な間違いを
超える部分があり、こちらも引き込まれました。
世の中、オリンピックで盛り上がっています。
自分の中で思うところ、いっぱいありますので、
整理がつき次第報告します。
船越小学校6年生の女の子の作文です。
八ヵ月の夢
私は、この震災が悲しいことだけを生み出したとは思いません。
もう一つの何かがあったと思いました。
私はその何かを、悲しみと一緒に震災から教えてもらいました。
それは「人と人とのつながりの大切さ」です。
震災から約八ヵ月がたちましたが、
今は震災がうそのように感じます。
震災によってとても不便なことがあって、
やったことがない事をたくさんしてきました。
でも私は、それがむだな事だとは思えませんでした。
この八ヵ月は、とても貴重な時間に思えるのです。
この貴重な時間の中でたくさんの思い出を作りました。
震災前の暮らしとはまた別の暮らしをしていますが、
そこには新しい楽しさもありました。
まず、お風呂が使えなかった時に、
自衛隊の人たちが用意してくれたお風呂に行くと、
私たちを温かくむかえてくれました。
お礼を言っても言い切れないほど嬉しかったです。
中はとても広くて、温かかったです。
その時、私は「このありがたみをふつうのことだと思ってはいけない」
と思いました。
世界には、こうして私たちに優しくしてくれる人が
いたことに初めて気が付きました。
その次は、修学旅行が思い出になりました。
震災のために行けないかと思ったけど、
行くことができて嬉しかったです。
これも私たちを支えてくれた人たちのおかげです。
これにもお礼を言いたいです。
この時に「人間は、人間に支えてもらって生きている」
ということを学びました。
また、「楽しさは、周りにいる人たちにつくってもらっていたのだ」
ということが分かりました。
そして、今年の中でも、私が最もがんばったことがあります。
それは運動会です。
使う道具も場所もなかった所へ、全国や世界の人たちからの
支援があったから運動会ができたのです。
だけど他にも、運動会が実現したわけがあると思います。
それは「みんなの心を一つにして、運動会をやろうとした気持ち」
だと思います。
みんなの運動会をやって必ず成功させようとした思いが強く感じられました。
運動会の中で私が特にがんばったのが、
ソーラン節と鼓笛パレードです。
これは船越小の伝統行事だったので、
地域の人たちも一番見たかったものだと思います。
私たちは地域の方々にようやく恩返しができたと思いました。
これは、私にとって小学校生活最後の良い思い出になりました。
この八ヵ月間は、町の人にとっても大事な時間だったと思いました。
これからも私は「町の復興と心の復興」のどちらにも取り組んでいって、
いつかはこの町を元通りにして、
たくさんの人が笑顔になれたらいいなあと思います。
そして未来の希望に満ちあふれた山田のために、
未来の山田に必要とされる人間になりたいです。
それが私の夢であり、私たち子どものみんなの夢だと思います。
ブログの更新ができないかも知れません。
いじめで、反響を気にする議員もいたようですが、
マイペースで更新してきたのが
途切れるのも、気持ちが切れそうなので、
手抜きですが引用でご勘弁ください。
でも、一応、やまだの作文の全作品には目を通しました。
入選と佳作の間にはさほどの差もありませんでした。
国語的におかしい所は多々ありましたが、
子どもたちの真っ直ぐな気持ちが国語的な間違いを
超える部分があり、こちらも引き込まれました。
世の中、オリンピックで盛り上がっています。
自分の中で思うところ、いっぱいありますので、
整理がつき次第報告します。
船越小学校6年生の女の子の作文です。
八ヵ月の夢
私は、この震災が悲しいことだけを生み出したとは思いません。
もう一つの何かがあったと思いました。
私はその何かを、悲しみと一緒に震災から教えてもらいました。
それは「人と人とのつながりの大切さ」です。
震災から約八ヵ月がたちましたが、
今は震災がうそのように感じます。
震災によってとても不便なことがあって、
やったことがない事をたくさんしてきました。
でも私は、それがむだな事だとは思えませんでした。
この八ヵ月は、とても貴重な時間に思えるのです。
この貴重な時間の中でたくさんの思い出を作りました。
震災前の暮らしとはまた別の暮らしをしていますが、
そこには新しい楽しさもありました。
まず、お風呂が使えなかった時に、
自衛隊の人たちが用意してくれたお風呂に行くと、
私たちを温かくむかえてくれました。
お礼を言っても言い切れないほど嬉しかったです。
中はとても広くて、温かかったです。
その時、私は「このありがたみをふつうのことだと思ってはいけない」
と思いました。
世界には、こうして私たちに優しくしてくれる人が
いたことに初めて気が付きました。
その次は、修学旅行が思い出になりました。
震災のために行けないかと思ったけど、
行くことができて嬉しかったです。
これも私たちを支えてくれた人たちのおかげです。
これにもお礼を言いたいです。
この時に「人間は、人間に支えてもらって生きている」
ということを学びました。
また、「楽しさは、周りにいる人たちにつくってもらっていたのだ」
ということが分かりました。
そして、今年の中でも、私が最もがんばったことがあります。
それは運動会です。
使う道具も場所もなかった所へ、全国や世界の人たちからの
支援があったから運動会ができたのです。
だけど他にも、運動会が実現したわけがあると思います。
それは「みんなの心を一つにして、運動会をやろうとした気持ち」
だと思います。
みんなの運動会をやって必ず成功させようとした思いが強く感じられました。
運動会の中で私が特にがんばったのが、
ソーラン節と鼓笛パレードです。
これは船越小の伝統行事だったので、
地域の人たちも一番見たかったものだと思います。
私たちは地域の方々にようやく恩返しができたと思いました。
これは、私にとって小学校生活最後の良い思い出になりました。
この八ヵ月間は、町の人にとっても大事な時間だったと思いました。
これからも私は「町の復興と心の復興」のどちらにも取り組んでいって、
いつかはこの町を元通りにして、
たくさんの人が笑顔になれたらいいなあと思います。
そして未来の希望に満ちあふれた山田のために、
未来の山田に必要とされる人間になりたいです。
それが私の夢であり、私たち子どものみんなの夢だと思います。
Posted by いとう茂 at
00:33
│Comments(0)
2012年07月29日
出会い
日本の教育界の先駆者の森信三さんは、
人間は会うべき人に必ず会える、
それも遅すぎもせず、早すぎもせず
そう言いました。
今いる周囲の人が会うべき人だと言いたかったのでしょうか。
それとも、これから本当に会うべき人に出会えると
言いたかったのでしょうか。
婚活という言葉がありますが、結婚願望の人にとって
この言葉の解釈は重要でしょう。
手近なところで伴侶を探すか、希望をもって時期が来るのを
待ち続けるか、選択に迷うところでしょう。
平均寿命は男で79,44歳、あと21年と少しです。
この年から、人生の友人に出会えるのでしょうか。
いまいる親しい、かけがえのない友人以上の
存在に代わる友人ができるとは思えません。
保守的と思われてもいい。
森信三さんの言葉は、今を大切に、今の縁を大切に
そう言っていると私は解釈したいと思います。
そして、新しいご縁ができたら、それはそれで
大切にしょうと思う。
物事のほとんどが積み重ねであるように、
人間関係も積み重ねです。
せっせと積み重ねた人間関係が
たった一言で崩れることもあります。
口から出た言葉は取り返しがつかないし、
自らの行動の結果も元には戻らない。
時間の流れの中で起きたことは二度と戻ってこない。
だからこそ、今を大切に、しっかり生きようと思う
のだが、何度失敗しただろう。
これから出会うであろう未見の人が
どんな人か知る由もないが、
今いただいているご縁を大切に積み上げることが、
良き出会いにつながればと願うばかりだが、
こればかりは・・・・・。
人間は会うべき人に必ず会える、
それも遅すぎもせず、早すぎもせず
そう言いました。
今いる周囲の人が会うべき人だと言いたかったのでしょうか。
それとも、これから本当に会うべき人に出会えると
言いたかったのでしょうか。
婚活という言葉がありますが、結婚願望の人にとって
この言葉の解釈は重要でしょう。
手近なところで伴侶を探すか、希望をもって時期が来るのを
待ち続けるか、選択に迷うところでしょう。
平均寿命は男で79,44歳、あと21年と少しです。
この年から、人生の友人に出会えるのでしょうか。
いまいる親しい、かけがえのない友人以上の
存在に代わる友人ができるとは思えません。
保守的と思われてもいい。
森信三さんの言葉は、今を大切に、今の縁を大切に
そう言っていると私は解釈したいと思います。
そして、新しいご縁ができたら、それはそれで
大切にしょうと思う。
物事のほとんどが積み重ねであるように、
人間関係も積み重ねです。
せっせと積み重ねた人間関係が
たった一言で崩れることもあります。
口から出た言葉は取り返しがつかないし、
自らの行動の結果も元には戻らない。
時間の流れの中で起きたことは二度と戻ってこない。
だからこそ、今を大切に、しっかり生きようと思う
のだが、何度失敗しただろう。
これから出会うであろう未見の人が
どんな人か知る由もないが、
今いただいているご縁を大切に積み上げることが、
良き出会いにつながればと願うばかりだが、
こればかりは・・・・・。
Posted by いとう茂 at
12:11
│Comments(0)
2012年07月28日
やまだの作文
岩手県の山田町、太平洋に面する小さな町です。
昨年の東日本大震災で大きな被害を受け、
町内にある、JRの駅舎も流出しました。
その町で「やまだの作文」という小冊子が
山田ロータリークラブ、山田町教育委員会、
やまだの作文実行委員会で毎年発刊されています。
おりしも、今年は40集目ということでしたが、
震災の関係で発刊が危ぶまれたそうです。
しかし、関係者や全国のロータリークラブの支援で
発刊することが叶ったそうです。
被災から復興へ希望を捨てず生き続ける姿を
全国に伝えたいと、私の所属するクラブにも送っていただきました。
小学1年生から中学3年生までの入選、佳作作品
76作品の中には、震災を題材にしたものも多くあります。
町内には漁港を有し、それゆえ、津波の影響も大きく
家族を亡くした人も多くいました。
表紙には6年生の三浦美桜(みうらみお)さんが描いた
桜の花と「越えられない試練はない だから少しずつ
桜のように毎日を がんばっていこう」というコメントが
掲載されています。
いじめ一色の大津市ですが、東北では今も行方不明の方がいます。
転落死した中学生の命も、震災で失われた命も
かけがえのない尊い命であり、
さぞかし、無念であったろうと思います。
残った人は何をすればいい。
悲しみと無念さを秘めて何をすればいい。
残った人や周囲の人は、二度とこのような悲劇が起きないように
防災のことや支えられて、助け合って生きている
そのことを認識し、どんな人間だってこの世に必要な人間なんだ
という共通理解が必要ではないでしょうか。
そこから対策が見えてくる気がします。
やまだの作文から紹介します。
豊間根中学3年生の男子が書いた作文です。
「生きるということ」
3月11日、あの日から僕の人生は変わった。
その日は掃除が終わり、帰る準備をしていた。その時大きく学校が揺れた。
今までにないくらいの大きな長い地震だった。
防災無線で大津波警報が発表された。
さすがにここまでは来ないだろうと思ったが、父が心配だった。
父は仕事で石巻にいた。海の近くで仕事をしていた。
母や兄は仕事が休みだったので家にいた。
姉は大槌で仕事をしていたが、海にそれほど近くないので、
仕事場の人たちと一緒に避難していると思い、心配していなかった。
心配だったのは父一人だった。
家に帰ると家族は外にいた。そこには父の姿があった。
その日はたまたま休みだったらしく家に帰ってきていた。
僕はほっとした。これでもう大丈夫。
家族みんな無事だったと安心していた。姉はさすがに帰ってくることは
できないだろうから、2,3日くらいしてから戻ってくると思っていた。
次の日、父と一緒に父の実家の大沢に行った。
信じられない光景がそこにはあった。美しい町が消えていた。
建物が破壊され、町は跡形もなくなっていた。
あまりにもひどい情景だった。父の実家もなくなっていた。
声が出なかった。その足で姉を迎えに行った。
大槌は想像以上に被害がすごかった。
ここまでは来ないだろうと思っていた姉の仕事場まで津波は襲い、
仕事場は消えていた。避難所にいるだろうと思い、それから、
すべての避難所を回った。が、姉はどこにもいなかった。
姉の仕事場の人はいたが、姉だけがいなかった。
何回も何回も避難所を回ったが、姉は見つからなかった。
家族みんなで探したが見つからなかった。
何度も何度も姉の仕事場の跡地に行って姉を探し、
手がかりになるものはないか探した。
探しても探しても見つからなかった。
絶望の中に家族全員がいた。
数日後に学校へ行った。クラスのみんなは無事だった。
みんなの親、兄弟も無事だった。
僕は姉のことを考えると辛くて辛くてたまらなかった。
大好きな姉。僕の理解者だった姉。
学校にいても思い出し、泣き出しそうになったことが何度もあった。
しかし、そんな自分は友達のおかげで救われた。
友達が励ましてくれ、今まで通りに接してくれた。
一緒に笑い、たくさんのことを一緒にやることで、
辛いことを忘れさせてくれた。
姉のことは一日も忘れたことはない。
姉の笑顔、姉との会話が次から次へと浮かんでくる。
姉が見つからないことで悲しんでいる母親を見ることも辛かった。
僕は姉が生きていると信じていた。信じていたかった。
震災から数ヶ月後、一本の電話が鳴った。
姉が見つかったという内容だった。
DNA鑑定の結果、一致したという。姉が見つかった。
「ようやく見つかったんだから、納得はいかないと思うけど、
姉ちゃんは家に帰ってくることを望んででいたのだから
お帰りと言ってあげよう」と父が言った。
姉は無事帰ってきた。
僕は涙をこらえて「おかえり」と言って姉を迎えた。
あの日、多くの命が一瞬のうちに失われた。
今も多くの人の行方が分からない。
ニュースで震災のことを聞く度に辛く悲しくなる。
震災さえなかったら、津波さえなかったらと思うことも多い。
僕はこの震災で命のはかなさを思い知らされた。
あっという間に命が失われることも知った。
心が引き裂かれるような絶望感にも襲われた。
しかし、だからこそ、「生きる」ということの大切さがわかった。
命の尊さを実感することができた。
今は、大好きな姉の分まで精一杯生きたいと考えている。
いつでも姉に「僕はがんばっているよ」と自信を持って
言える自分でありたいと思う。
僕を支えてくれたすべての人のために、
家族のために、何より姉のために、
僕は前をしっかり見て一歩一歩着実に歩いていきたいと強く思う。
生きていることに感謝しながら。
そして、「生きるということ」を考え続けながら…。
姉は自分の心の中で永遠に生きている。
そして、僕を支え続けてくれる。
「僕は頑張るよ。お姉ちゃん。」
昨年の東日本大震災で大きな被害を受け、
町内にある、JRの駅舎も流出しました。
その町で「やまだの作文」という小冊子が
山田ロータリークラブ、山田町教育委員会、
やまだの作文実行委員会で毎年発刊されています。
おりしも、今年は40集目ということでしたが、
震災の関係で発刊が危ぶまれたそうです。
しかし、関係者や全国のロータリークラブの支援で
発刊することが叶ったそうです。
被災から復興へ希望を捨てず生き続ける姿を
全国に伝えたいと、私の所属するクラブにも送っていただきました。
小学1年生から中学3年生までの入選、佳作作品
76作品の中には、震災を題材にしたものも多くあります。
町内には漁港を有し、それゆえ、津波の影響も大きく
家族を亡くした人も多くいました。
表紙には6年生の三浦美桜(みうらみお)さんが描いた
桜の花と「越えられない試練はない だから少しずつ
桜のように毎日を がんばっていこう」というコメントが
掲載されています。
いじめ一色の大津市ですが、東北では今も行方不明の方がいます。
転落死した中学生の命も、震災で失われた命も
かけがえのない尊い命であり、
さぞかし、無念であったろうと思います。
残った人は何をすればいい。
悲しみと無念さを秘めて何をすればいい。
残った人や周囲の人は、二度とこのような悲劇が起きないように
防災のことや支えられて、助け合って生きている
そのことを認識し、どんな人間だってこの世に必要な人間なんだ
という共通理解が必要ではないでしょうか。
そこから対策が見えてくる気がします。
やまだの作文から紹介します。
豊間根中学3年生の男子が書いた作文です。
「生きるということ」
3月11日、あの日から僕の人生は変わった。
その日は掃除が終わり、帰る準備をしていた。その時大きく学校が揺れた。
今までにないくらいの大きな長い地震だった。
防災無線で大津波警報が発表された。
さすがにここまでは来ないだろうと思ったが、父が心配だった。
父は仕事で石巻にいた。海の近くで仕事をしていた。
母や兄は仕事が休みだったので家にいた。
姉は大槌で仕事をしていたが、海にそれほど近くないので、
仕事場の人たちと一緒に避難していると思い、心配していなかった。
心配だったのは父一人だった。
家に帰ると家族は外にいた。そこには父の姿があった。
その日はたまたま休みだったらしく家に帰ってきていた。
僕はほっとした。これでもう大丈夫。
家族みんな無事だったと安心していた。姉はさすがに帰ってくることは
できないだろうから、2,3日くらいしてから戻ってくると思っていた。
次の日、父と一緒に父の実家の大沢に行った。
信じられない光景がそこにはあった。美しい町が消えていた。
建物が破壊され、町は跡形もなくなっていた。
あまりにもひどい情景だった。父の実家もなくなっていた。
声が出なかった。その足で姉を迎えに行った。
大槌は想像以上に被害がすごかった。
ここまでは来ないだろうと思っていた姉の仕事場まで津波は襲い、
仕事場は消えていた。避難所にいるだろうと思い、それから、
すべての避難所を回った。が、姉はどこにもいなかった。
姉の仕事場の人はいたが、姉だけがいなかった。
何回も何回も避難所を回ったが、姉は見つからなかった。
家族みんなで探したが見つからなかった。
何度も何度も姉の仕事場の跡地に行って姉を探し、
手がかりになるものはないか探した。
探しても探しても見つからなかった。
絶望の中に家族全員がいた。
数日後に学校へ行った。クラスのみんなは無事だった。
みんなの親、兄弟も無事だった。
僕は姉のことを考えると辛くて辛くてたまらなかった。
大好きな姉。僕の理解者だった姉。
学校にいても思い出し、泣き出しそうになったことが何度もあった。
しかし、そんな自分は友達のおかげで救われた。
友達が励ましてくれ、今まで通りに接してくれた。
一緒に笑い、たくさんのことを一緒にやることで、
辛いことを忘れさせてくれた。
姉のことは一日も忘れたことはない。
姉の笑顔、姉との会話が次から次へと浮かんでくる。
姉が見つからないことで悲しんでいる母親を見ることも辛かった。
僕は姉が生きていると信じていた。信じていたかった。
震災から数ヶ月後、一本の電話が鳴った。
姉が見つかったという内容だった。
DNA鑑定の結果、一致したという。姉が見つかった。
「ようやく見つかったんだから、納得はいかないと思うけど、
姉ちゃんは家に帰ってくることを望んででいたのだから
お帰りと言ってあげよう」と父が言った。
姉は無事帰ってきた。
僕は涙をこらえて「おかえり」と言って姉を迎えた。
あの日、多くの命が一瞬のうちに失われた。
今も多くの人の行方が分からない。
ニュースで震災のことを聞く度に辛く悲しくなる。
震災さえなかったら、津波さえなかったらと思うことも多い。
僕はこの震災で命のはかなさを思い知らされた。
あっという間に命が失われることも知った。
心が引き裂かれるような絶望感にも襲われた。
しかし、だからこそ、「生きる」ということの大切さがわかった。
命の尊さを実感することができた。
今は、大好きな姉の分まで精一杯生きたいと考えている。
いつでも姉に「僕はがんばっているよ」と自信を持って
言える自分でありたいと思う。
僕を支えてくれたすべての人のために、
家族のために、何より姉のために、
僕は前をしっかり見て一歩一歩着実に歩いていきたいと強く思う。
生きていることに感謝しながら。
そして、「生きるということ」を考え続けながら…。
姉は自分の心の中で永遠に生きている。
そして、僕を支え続けてくれる。
「僕は頑張るよ。お姉ちゃん。」
Posted by いとう茂 at
16:14
│Comments(0)
2012年07月27日
研修会
今日は、1時30分から県庁で
地方6団体合同研修会がありましす。
研修テーマは社会保障と税の一体改革で、
大津市議会からは15名が参加予定です。
実は、一日勘違いをしていて、昨日が27日だと
思い込んでいました。
3時ごろ手帳を見てギョッとしました。
痴呆と物忘れは違うと言いますが、
勘違いはどちらに分類されるのでしょう。
地方6団体合同研修会がありましす。
研修テーマは社会保障と税の一体改革で、
大津市議会からは15名が参加予定です。
実は、一日勘違いをしていて、昨日が27日だと
思い込んでいました。
3時ごろ手帳を見てギョッとしました。
痴呆と物忘れは違うと言いますが、
勘違いはどちらに分類されるのでしょう。
Posted by いとう茂 at
09:15
│Comments(0)