2012年08月26日
土日の行事終了
昨日は、膳所の夏まつりでした。
大津市で一番最後の花火大会です。
朝の準備から夜遅くまで後片付けと実質12時間以上
拘束でした、関係者の皆様ご苦労様でした。
途中、2時間ほど出かける所がありましたので、
瀬田の血液センターに立ち寄り、88回目の献血を
してきました、土曜日ということでいつもより
献血をする人も多く、少し時間がかかりましたが、
今年2回目が終わりました。
年内はあと1回できますので11月の末か12月に済まそうと思っています。
今日は、朝から栗東のさきらで、滋賀県のスポーツ推進委員の
研修会でした。
およそ300名ほどの参加者で中ホールはほぼ一杯でした。
開会式典、功労者表彰に続き、基調講演があり、
午後は甲良町と甲賀市のスポーツ推進委員から事例発表があり、
会場を巻き込んでのパネルディスカッションで締めくくりました。
来年は当番市町が米原市で、暑いこの時期にあるそうです。
明日から新しい週が始まります。
一般質問も2問できました、柱があと2本ですので
肉付けして4問の質問を行う予定です。
政策検討委員会も開催されますので、目を通す資料も
残っています、今夜と明日には完了し、質問作りにかかろうと思います。
あと議会開会まで1週間、ぼちぼち、コツコツです。
大津市で一番最後の花火大会です。
朝の準備から夜遅くまで後片付けと実質12時間以上
拘束でした、関係者の皆様ご苦労様でした。
途中、2時間ほど出かける所がありましたので、
瀬田の血液センターに立ち寄り、88回目の献血を
してきました、土曜日ということでいつもより
献血をする人も多く、少し時間がかかりましたが、
今年2回目が終わりました。
年内はあと1回できますので11月の末か12月に済まそうと思っています。
今日は、朝から栗東のさきらで、滋賀県のスポーツ推進委員の
研修会でした。
およそ300名ほどの参加者で中ホールはほぼ一杯でした。
開会式典、功労者表彰に続き、基調講演があり、
午後は甲良町と甲賀市のスポーツ推進委員から事例発表があり、
会場を巻き込んでのパネルディスカッションで締めくくりました。
来年は当番市町が米原市で、暑いこの時期にあるそうです。
明日から新しい週が始まります。
一般質問も2問できました、柱があと2本ですので
肉付けして4問の質問を行う予定です。
政策検討委員会も開催されますので、目を通す資料も
残っています、今夜と明日には完了し、質問作りにかかろうと思います。
あと議会開会まで1週間、ぼちぼち、コツコツです。
Posted by いとう茂 at
16:21
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2012年08月25日
もうすぐ議会ですが・・・・
今日は、膳所の夏まつりです。
この夏最後の大きなイベントです。
暑くて長い一日になりそうですが、
急な夕立や事故がないよう願っています。
ローカルな花火ですが、役員が企業や団体を
回って協賛金を集め、学区の方からも負担金を
頂戴して実施しています。
訪れる人の心に何か一つでも、思い出として
残るものがあることを期待しています。
そして、9月3日から議会が始まります。
一般質問の骨子は出来ているのですが、
一向にペンが進みません。
今回の議会ではいじめの問題、
南部の集中豪雨による災害の、
質問が多く出るだろうと思いますので、
そのことは他の議員に任せて、違う質問を
しょうかとも考えています。
議会までに議運が2回、政策検討委員会、
補正予算を含めた議案の説明と会議が目白押しです。
ほかに、個人的には市民体育大会と前日準備、
保護司の研修会、議会開会日の午後からは、
一人会派3人で一般質問の読み合わせ等々。
あと10日ほどで、これだけこなさなければならず、
少々、不安ですが、やらなければなりません。
そういえば、夏休みももう終わります。
小学生のころ駆け込みで宿題をした気分を思い出しますが、
もっと精度が要求される分、コツコツしかありません。
この夏最後の大きなイベントです。
暑くて長い一日になりそうですが、
急な夕立や事故がないよう願っています。
ローカルな花火ですが、役員が企業や団体を
回って協賛金を集め、学区の方からも負担金を
頂戴して実施しています。
訪れる人の心に何か一つでも、思い出として
残るものがあることを期待しています。
そして、9月3日から議会が始まります。
一般質問の骨子は出来ているのですが、
一向にペンが進みません。
今回の議会ではいじめの問題、
南部の集中豪雨による災害の、
質問が多く出るだろうと思いますので、
そのことは他の議員に任せて、違う質問を
しょうかとも考えています。
議会までに議運が2回、政策検討委員会、
補正予算を含めた議案の説明と会議が目白押しです。
ほかに、個人的には市民体育大会と前日準備、
保護司の研修会、議会開会日の午後からは、
一人会派3人で一般質問の読み合わせ等々。
あと10日ほどで、これだけこなさなければならず、
少々、不安ですが、やらなければなりません。
そういえば、夏休みももう終わります。
小学生のころ駆け込みで宿題をした気分を思い出しますが、
もっと精度が要求される分、コツコツしかありません。
Posted by いとう茂 at
08:17
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2012年08月24日
イソップ物語から⑥
金のたまご
あるおじいさんが、一羽のがちょうをかって居りました。
このがちょうは、不思議なことには、毎日一つずつ、
金のたまごを産むのでした。
おじいさんは、この珍しいがちょうを、
宝物のように大事にして居りましたが、
ある日、ふと、 こんな考えをおこしました。
「こんな立派な、金のたまごを産むところを見ると、
このがちょうの腹の中には、きっと大きな、
金のかたまりがあるにちがいない。
毎日一つずつのたまごをとるよりは、
いっそ一度にみんな出してしまおう。」 そこで、さっそく、
いやがるがちょうをつかまえて、おなかをさいて見ますと、
汚いはらわたがあるばっかりで、
金のかたまりなぞは、かげもかたちも見えませんでしたとさ。
知足。老子だったと思いますが、足るを知る。
分相応、身の丈を知る。
人間の考えることは洋の東西を問わず
それほど変わらないのかも知れません。
もちろん文化や風土で、表現の方法は
多少違ってきますが・・・・・。
先人の残した教訓のエッセンスを我々は
糧として、日々凡々と暮らせたら、
それを幸せと感じなければならない気がします。
目には見えない心の中は、恐ろしく広く深く、
その欲望の奥にはもっと大きな欲望があり、
底なしの感があります。
満足とは心が満ちることではなく、
人がどう思おうと、これでいいと自分で
納得することではないでしょうか。
例えば、風呂上りに冷たいビールが飲めること
そこにも人間は、至福の歓びを感じられるものです。
あるおじいさんが、一羽のがちょうをかって居りました。
このがちょうは、不思議なことには、毎日一つずつ、
金のたまごを産むのでした。
おじいさんは、この珍しいがちょうを、
宝物のように大事にして居りましたが、
ある日、ふと、 こんな考えをおこしました。
「こんな立派な、金のたまごを産むところを見ると、
このがちょうの腹の中には、きっと大きな、
金のかたまりがあるにちがいない。
毎日一つずつのたまごをとるよりは、
いっそ一度にみんな出してしまおう。」 そこで、さっそく、
いやがるがちょうをつかまえて、おなかをさいて見ますと、
汚いはらわたがあるばっかりで、
金のかたまりなぞは、かげもかたちも見えませんでしたとさ。
知足。老子だったと思いますが、足るを知る。
分相応、身の丈を知る。
人間の考えることは洋の東西を問わず
それほど変わらないのかも知れません。
もちろん文化や風土で、表現の方法は
多少違ってきますが・・・・・。
先人の残した教訓のエッセンスを我々は
糧として、日々凡々と暮らせたら、
それを幸せと感じなければならない気がします。
目には見えない心の中は、恐ろしく広く深く、
その欲望の奥にはもっと大きな欲望があり、
底なしの感があります。
満足とは心が満ちることではなく、
人がどう思おうと、これでいいと自分で
納得することではないでしょうか。
例えば、風呂上りに冷たいビールが飲めること
そこにも人間は、至福の歓びを感じられるものです。
Posted by いとう茂 at
11:41
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2012年08月23日
滋賀県平和祈念館
先日、東近江市にこの春オープンした、
滋賀県平和祈念館を訪ねました。
八日市インターから車で10分足らずの所で、
マーガレットステーションのほぼ隣です。
建設の声が出てから20年以上かけて実現した祈念館です。
旧の愛東町役場を改装したもので、
館内には2万点を超える手紙や写真、遺品等が
収蔵されています。
まず、2階でDVDを見ながら説明を聞き、
1階の展示場も学芸員の方が、丁寧に説明を
してくれました。
靖国神社や知覧の特攻記念館のような
強く語りかける迫力は感じませんでしたが、
戦死者の告別式の案内や出征風景の写真など
日常の出来事の中で起きた悲しみが
じわじわ伝わってきました。
もちろん家族にあてた手紙なども多数展示されて
いましたし、戦地で収拾された遺品もあります。
銃後を託された家族にとって、出征兵士の任地先は
遠い外国だったのでしょう。
そこで何が起きているのか、どうしていたのか
ほとんど手がかりがない、そんな中で届いた戦死の
知らせをどのような気持ちで受け取ったのか、
想像するだけで胸が痛みました。
出征時の笑顔が、家族が見た最後の姿。
そうした家族も多かったと思います。
脳裏には、今も、あの時の笑顔が克明に残っている、
年老いた親もいるのでしょう。
亡くなった人は年をとりません。
私の親父は68で亡くなりましたが、
17年後の親父の姿は、今も変わっていません。
あと10年で親父の年になります。
その年まで生きているか疑問ですが、
もし、その年まで生きていたら、
その時から先は私より若い親父が
私の心には生き続けることになります。
先の戦争で父親を亡くした幼子も、今ではもう、
70歳を超えた高齢者です、その人にとって
父親は今どきの若いお兄さんのままなのでしょう。
平和の尊さ。
その意味と、ありがたさをしっかり受け止めたいと思います。
滋賀県平和祈念館を訪ねました。
八日市インターから車で10分足らずの所で、
マーガレットステーションのほぼ隣です。
建設の声が出てから20年以上かけて実現した祈念館です。
旧の愛東町役場を改装したもので、
館内には2万点を超える手紙や写真、遺品等が
収蔵されています。
まず、2階でDVDを見ながら説明を聞き、
1階の展示場も学芸員の方が、丁寧に説明を
してくれました。
靖国神社や知覧の特攻記念館のような
強く語りかける迫力は感じませんでしたが、
戦死者の告別式の案内や出征風景の写真など
日常の出来事の中で起きた悲しみが
じわじわ伝わってきました。
もちろん家族にあてた手紙なども多数展示されて
いましたし、戦地で収拾された遺品もあります。
銃後を託された家族にとって、出征兵士の任地先は
遠い外国だったのでしょう。
そこで何が起きているのか、どうしていたのか
ほとんど手がかりがない、そんな中で届いた戦死の
知らせをどのような気持ちで受け取ったのか、
想像するだけで胸が痛みました。
出征時の笑顔が、家族が見た最後の姿。
そうした家族も多かったと思います。
脳裏には、今も、あの時の笑顔が克明に残っている、
年老いた親もいるのでしょう。
亡くなった人は年をとりません。
私の親父は68で亡くなりましたが、
17年後の親父の姿は、今も変わっていません。
あと10年で親父の年になります。
その年まで生きているか疑問ですが、
もし、その年まで生きていたら、
その時から先は私より若い親父が
私の心には生き続けることになります。
先の戦争で父親を亡くした幼子も、今ではもう、
70歳を超えた高齢者です、その人にとって
父親は今どきの若いお兄さんのままなのでしょう。
平和の尊さ。
その意味と、ありがたさをしっかり受け止めたいと思います。
Posted by いとう茂 at
12:37
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2012年08月22日
イソップ物語から⑤
きつねとつる
森の中に、きつねとつるが、となりあって、住んで居りました。
ある日、つるは、きつねのうちから、お迎えがきたので、
喜んで訪ねて行きますと、きつねは、
「よくいらっしゃいました。なんにもありませんが、
どうかたくさんめし上って下さい。」 と、申しました。
ところが、その御ちそうと云うのは、
平たいお皿にいれたスープなので、つるのような、
長いくちばしでは、どうしても、すうことができません。
きつねは、 「おや、つるさんはスープはお嫌いですか。」
などと云って、さもうまそうに、つるの分まで、
すっかりたいらげてしまいました。
つるは、なんとかして、かたきをうってやりたいと思い、
二三日たって、こんどは、きつねを、自分のうちへよびました。
そうして、細長いびんに、肉をいれてだしました。
きつねは、肉が大好きですから、そのおいしい匂いをかぐと、
のどをぐうぐういわせながら、
どうにかして、口にいれたいと思いましたが、
肉は、細長いびんの底にあるのですから、
どうしても食べることができません。
つるは、そのようすを、さも気味よさそうに見おろしながら、
「こんなおいしい肉がお嫌いとは、残念ですね、
それでは私がいただいてしまいましょう。」 と、
さも、おいしそうに、長いくちばしをつっこんで、
みんな食べてしまいました。
目には目を、歯には歯をというのでしょうか
江戸の仇を長崎で・・・・、
どこかの島への上陸競争・・・・、
因果応報というのか・・・・。
生き物は基本、意地悪なのでしょうか。
そんな中でも、人間の善を信じたい。
森の中に、きつねとつるが、となりあって、住んで居りました。
ある日、つるは、きつねのうちから、お迎えがきたので、
喜んで訪ねて行きますと、きつねは、
「よくいらっしゃいました。なんにもありませんが、
どうかたくさんめし上って下さい。」 と、申しました。
ところが、その御ちそうと云うのは、
平たいお皿にいれたスープなので、つるのような、
長いくちばしでは、どうしても、すうことができません。
きつねは、 「おや、つるさんはスープはお嫌いですか。」
などと云って、さもうまそうに、つるの分まで、
すっかりたいらげてしまいました。
つるは、なんとかして、かたきをうってやりたいと思い、
二三日たって、こんどは、きつねを、自分のうちへよびました。
そうして、細長いびんに、肉をいれてだしました。
きつねは、肉が大好きですから、そのおいしい匂いをかぐと、
のどをぐうぐういわせながら、
どうにかして、口にいれたいと思いましたが、
肉は、細長いびんの底にあるのですから、
どうしても食べることができません。
つるは、そのようすを、さも気味よさそうに見おろしながら、
「こんなおいしい肉がお嫌いとは、残念ですね、
それでは私がいただいてしまいましょう。」 と、
さも、おいしそうに、長いくちばしをつっこんで、
みんな食べてしまいました。
目には目を、歯には歯をというのでしょうか
江戸の仇を長崎で・・・・、
どこかの島への上陸競争・・・・、
因果応報というのか・・・・。
生き物は基本、意地悪なのでしょうか。
そんな中でも、人間の善を信じたい。
Posted by いとう茂 at
11:47
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