2013年01月10日
あと1週間 1・17
1月17日まであと一週間です。
平成7年1月17日の早朝は大津も大きく揺れました。
もう18年前の出来事ですが、立ち上る煙や
横倒しになった阪神高速の映像を覚えている方も多いと思います。
商店街で炊き出しに行ったのは1週間後でした。
行きは消防車の先導で阪神高速を逆走しながら、
東灘の役場に着いたのは真夜中でした。
避難所になっていた小学校の校庭には被災した人の
姿はなく、自衛隊が風呂の用意とグランドに穴を掘り
仮設トイレを作っていました。
1000人分の鍋と400人分の焼きそばを持っていきました。
いつもは薪を燃やして鍋を焚いているのを、火事のイメージがあるからと
プロパンにしましたが火力が弱く随分待ってもらった記憶があります。
2度目は一か月後でした。
電気が通ったということなので、うどん1000食と綿菓子機をもって
同じ小学校に行きました。
うどんのダシが煮えるまでの間綿菓子を作って配っていました。
この時は7人で行きましたので、私一人別行動で隣の小学校に
綿菓子を配りに行きました。
饅頭やジュースなどの甘いものは配給であっても、綿菓子は
ありません、子どもだけでなく高齢者の方も列に並んで
いたのを思い出します。
あれから18年。
毎日の出来事への対応に忙殺されて、いろんなものへの
執着が薄くなっているのでしょうか。
南海、東南海、東海地震のことが時々報じられますが
色々な備えが必要です。
東日本と同じように津波が襲ったら、和歌山、三重それに四国、
大阪にもガレキの山ができるかもしれません。
関西連合や近畿圏でのガレキ処理の協力が必要になるかもしれません。
そのことも視野に入れて、現在執行部で検討されている
焼却場問題も考えていただきたいと思います。
色々な協議の積み重ねで地元の理解を得た焼却場ですから
先人たちの思いもくみ取っていただきたいと願います。
平成7年1月17日の早朝は大津も大きく揺れました。
もう18年前の出来事ですが、立ち上る煙や
横倒しになった阪神高速の映像を覚えている方も多いと思います。
商店街で炊き出しに行ったのは1週間後でした。
行きは消防車の先導で阪神高速を逆走しながら、
東灘の役場に着いたのは真夜中でした。
避難所になっていた小学校の校庭には被災した人の
姿はなく、自衛隊が風呂の用意とグランドに穴を掘り
仮設トイレを作っていました。
1000人分の鍋と400人分の焼きそばを持っていきました。
いつもは薪を燃やして鍋を焚いているのを、火事のイメージがあるからと
プロパンにしましたが火力が弱く随分待ってもらった記憶があります。
2度目は一か月後でした。
電気が通ったということなので、うどん1000食と綿菓子機をもって
同じ小学校に行きました。
うどんのダシが煮えるまでの間綿菓子を作って配っていました。
この時は7人で行きましたので、私一人別行動で隣の小学校に
綿菓子を配りに行きました。
饅頭やジュースなどの甘いものは配給であっても、綿菓子は
ありません、子どもだけでなく高齢者の方も列に並んで
いたのを思い出します。
あれから18年。
毎日の出来事への対応に忙殺されて、いろんなものへの
執着が薄くなっているのでしょうか。
南海、東南海、東海地震のことが時々報じられますが
色々な備えが必要です。
東日本と同じように津波が襲ったら、和歌山、三重それに四国、
大阪にもガレキの山ができるかもしれません。
関西連合や近畿圏でのガレキ処理の協力が必要になるかもしれません。
そのことも視野に入れて、現在執行部で検討されている
焼却場問題も考えていただきたいと思います。
色々な協議の積み重ねで地元の理解を得た焼却場ですから
先人たちの思いもくみ取っていただきたいと願います。