2014年11月14日
滋賀県中学生広場
議会のサロンには色々な冊子が置いてあります、
月刊誌は毎月差し替えられますが、スポットで地域や県からの
情報も置いてあります。
その中に中学生広場の報告書がありましたので紹介します。
滋賀県第17回中学生広場「私の思い2014」県広場が今年も8月30日に
守山市民ホールで開催されました。
趣旨は、次代を担う青少年が、社会の一員としての役割と主任を自覚し、
目標を持ってたくましく成長することは、県民すべての願いです。
人格を形成する上で重要な時期にある中学生が、
日ごろ考えていることや感じていることを
広く県民に訴えることを通して、誇りと自覚をもち、自主性を伸ばすとともに、
中学生の思いを聞くことによって、
県民の中学生に対する理解と関心を深める契機とすることを目的としています。
作文で優良賞の受賞作品の中に粟津中学校の生徒の名前がありました。
遠い昔の中学校生活ですが、後輩に違いはありません。
嬉しくて一気に読み、嬉しさが感心に変わりました。
「同調と協調」 越智さゆり
「変わり者」、私が友人や家族から時々言われる言葉です。
普通は良い意味でないし、そんな自覚もない私は不満でした。
しかし、漫画家山田玲司さんの著書「非属の才能」を読んで、
私はこれまでの考えを変えつつあります。
非属とは、何にも属さないことで、周りから「変わっている」と
言われる部分を指します。
著者は、世界で活躍する変わり者の紹介を通して、
これからは変わり者の時代だと主張しています。
また、協力して調和する「協調」の名の下、
同調圧力で「群れ」を作らせる日本の教育を批判するとともに、
群れの中にいると自分で何も考えなくなる危険性を訴えています。
私はこの本を読んで、変り者と言われる自分への肯定と、
無理に周りに合わせなくても良いと言う開放感を得ました。
私は小学校6年生の夏に引っ越してきて以来、
ずっと窮屈さを感じていました。
私が以前いた小学校では、一人ひとりが自由に自分の意見を言えて、
特定の誰かといつも同じ行動をする人は少なかったです。
それが私にとっての「普通」で、どこでも同じだと思っていたため、
転校して大きなカルチャーショックを受けました。
元々社交的でない私は、すぐにクラスで浮いてしまい、
孤独を感じるようになりました。
クラスメイトは話しかければ答えてくれましたが、
きっちりとグループができていて、なかなか話せる雰囲気ではありませんでした。
また、担任の先生に指定されて一緒に下校していた人たちは、
内緒話を頻繁にする等の軽い嫌がらせをしてくるようになりました。
こうして精神的に追い込まれた私は、
淋しいと感じてしまう弱い自分を押さえ切れませんでした。
だから、関西訛りを練習し、悪口に同調して、
自分の価値観をひっこめ、群れることを選びました。
その甲斐あってか、「友達」と呼べそうな存在を得て、
小学校を卒業できました。
しかし、中学校でその「友達」と同じ部活に入り、
互いに本来の性格を見せ始めると、
ある時からはじかれるようになりました。
先輩方は気遣ってくれましたが、
私はここでも無難に同調することを選びました。
転校してからの僅か1年で、こんなに大きく性格が変わったり、
日常の各場面で無意識に態度が変わったりする、
多面性が生まれるとは思ってもいませんでした。
群れに完全に溶け込んで、考えることをやめればもっと楽だったかもしれません。
しかし、環境で変わる自分の弱さにいら立ち、
素の自分を守りたい私もいて、窮屈さを拭えませんでした。
「同調」と「協調」は違います。
国語辞典で「同調」は調子を合わせて同じ意見にすること、
「協調」は打ち解けて助け合うこと。
だから、価値観が違っても、相手を思う気持ちがあれば
協調することができるのです。
私が小学校五年生の時に担任だった先生は、
特定の友達と常に一緒にいること、つまり「群れる」ことを嫌っていました。
当時はその理由がわかりませんでしたが、
きっと、クラスの全員が互いを思いやることで、
一つのまとまりを作り上げて欲しかったのだろうと今は理解しています。
変わり者とは常識のない人のことではありません。
型を破る価値観の持ち主のこと。
自分の非属の部分を知り、それを活かすことで可能性は広がるのです。
私は変わり者と言われるものの自覚はなく、
それどころか自分を見失ってしまいました。
自分の本質を探るのは怖いけど、しっかりと自分を見つめなおし、
弱さを克服したいと今は考えています。
そして、同調の群れに属さず、
協調の和を築ける人になりたいです。
仲間と自分を信じて。
この作文を読んで思ったのは論語の一節でした。
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
すぐれた人物は協調はするが、主体性を失わず、むやみに同調したりしない。
つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないという意味です。
同調と協調、まさに似ていて非なるものです。
私自身も「群れる」ことは生来、苦手です
気のおけない友人には恵まれているつもりですが、
一人でいるのが好きです、周りはそんな私のことも理解して
受け入れてくれていると勝手に理解して感謝しています。
論語ついでにもう一つ、
君子は周して比せず
誰とでも分け隔てない態度で接するという意味です。
凡人にはとてもとてもですが、頭の隅にでも入れておけば
どこかで役に立つような……。
月刊誌は毎月差し替えられますが、スポットで地域や県からの
情報も置いてあります。
その中に中学生広場の報告書がありましたので紹介します。
滋賀県第17回中学生広場「私の思い2014」県広場が今年も8月30日に
守山市民ホールで開催されました。
趣旨は、次代を担う青少年が、社会の一員としての役割と主任を自覚し、
目標を持ってたくましく成長することは、県民すべての願いです。
人格を形成する上で重要な時期にある中学生が、
日ごろ考えていることや感じていることを
広く県民に訴えることを通して、誇りと自覚をもち、自主性を伸ばすとともに、
中学生の思いを聞くことによって、
県民の中学生に対する理解と関心を深める契機とすることを目的としています。
作文で優良賞の受賞作品の中に粟津中学校の生徒の名前がありました。
遠い昔の中学校生活ですが、後輩に違いはありません。
嬉しくて一気に読み、嬉しさが感心に変わりました。
「同調と協調」 越智さゆり
「変わり者」、私が友人や家族から時々言われる言葉です。
普通は良い意味でないし、そんな自覚もない私は不満でした。
しかし、漫画家山田玲司さんの著書「非属の才能」を読んで、
私はこれまでの考えを変えつつあります。
非属とは、何にも属さないことで、周りから「変わっている」と
言われる部分を指します。
著者は、世界で活躍する変わり者の紹介を通して、
これからは変わり者の時代だと主張しています。
また、協力して調和する「協調」の名の下、
同調圧力で「群れ」を作らせる日本の教育を批判するとともに、
群れの中にいると自分で何も考えなくなる危険性を訴えています。
私はこの本を読んで、変り者と言われる自分への肯定と、
無理に周りに合わせなくても良いと言う開放感を得ました。
私は小学校6年生の夏に引っ越してきて以来、
ずっと窮屈さを感じていました。
私が以前いた小学校では、一人ひとりが自由に自分の意見を言えて、
特定の誰かといつも同じ行動をする人は少なかったです。
それが私にとっての「普通」で、どこでも同じだと思っていたため、
転校して大きなカルチャーショックを受けました。
元々社交的でない私は、すぐにクラスで浮いてしまい、
孤独を感じるようになりました。
クラスメイトは話しかければ答えてくれましたが、
きっちりとグループができていて、なかなか話せる雰囲気ではありませんでした。
また、担任の先生に指定されて一緒に下校していた人たちは、
内緒話を頻繁にする等の軽い嫌がらせをしてくるようになりました。
こうして精神的に追い込まれた私は、
淋しいと感じてしまう弱い自分を押さえ切れませんでした。
だから、関西訛りを練習し、悪口に同調して、
自分の価値観をひっこめ、群れることを選びました。
その甲斐あってか、「友達」と呼べそうな存在を得て、
小学校を卒業できました。
しかし、中学校でその「友達」と同じ部活に入り、
互いに本来の性格を見せ始めると、
ある時からはじかれるようになりました。
先輩方は気遣ってくれましたが、
私はここでも無難に同調することを選びました。
転校してからの僅か1年で、こんなに大きく性格が変わったり、
日常の各場面で無意識に態度が変わったりする、
多面性が生まれるとは思ってもいませんでした。
群れに完全に溶け込んで、考えることをやめればもっと楽だったかもしれません。
しかし、環境で変わる自分の弱さにいら立ち、
素の自分を守りたい私もいて、窮屈さを拭えませんでした。
「同調」と「協調」は違います。
国語辞典で「同調」は調子を合わせて同じ意見にすること、
「協調」は打ち解けて助け合うこと。
だから、価値観が違っても、相手を思う気持ちがあれば
協調することができるのです。
私が小学校五年生の時に担任だった先生は、
特定の友達と常に一緒にいること、つまり「群れる」ことを嫌っていました。
当時はその理由がわかりませんでしたが、
きっと、クラスの全員が互いを思いやることで、
一つのまとまりを作り上げて欲しかったのだろうと今は理解しています。
変わり者とは常識のない人のことではありません。
型を破る価値観の持ち主のこと。
自分の非属の部分を知り、それを活かすことで可能性は広がるのです。
私は変わり者と言われるものの自覚はなく、
それどころか自分を見失ってしまいました。
自分の本質を探るのは怖いけど、しっかりと自分を見つめなおし、
弱さを克服したいと今は考えています。
そして、同調の群れに属さず、
協調の和を築ける人になりたいです。
仲間と自分を信じて。
この作文を読んで思ったのは論語の一節でした。
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
すぐれた人物は協調はするが、主体性を失わず、むやみに同調したりしない。
つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないという意味です。
同調と協調、まさに似ていて非なるものです。
私自身も「群れる」ことは生来、苦手です
気のおけない友人には恵まれているつもりですが、
一人でいるのが好きです、周りはそんな私のことも理解して
受け入れてくれていると勝手に理解して感謝しています。
論語ついでにもう一つ、
君子は周して比せず
誰とでも分け隔てない態度で接するという意味です。
凡人にはとてもとてもですが、頭の隅にでも入れておけば
どこかで役に立つような……。
Posted by いとう茂 at
15:01
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