2014年11月15日

急遽神戸に

今日はもともと、長浜でイベントがありそちらに出席する予定でしたが、
イベントが中止になりました。
イベントの審査員でしたのでダブルブッキングの保護司会の研修は
欠席の返事でしたが、イベントがなくなり急遽研修に参加してきました。

参加者は29名で保護司が10名余り、残りは更生保護女性会の
メンバーでした、保護司会も女性会も高齢化が進み65歳以上が22名、
以下が7名、男性では私が最年少でした。
年齢で入館料が違うので、そんなことが判明した次第です。
兵庫県立美術館で「だまし絵Ⅱ」を見ましたが、だまされていることに
気付かない美術音痴で隣でワァーとか凄いと声が上がりますが・・・・・・。

続いて「人と未来防災センター」の見学です、ここは過去に2度来ていますので、
にわか添乗員になり、皆さんの引率役を務めました。
トイレはあちらです、2時から「こころのシアター」でビデオ上映があります、
エスカレータはこちらです、エレベーターは突き当たりです。
2時30分から語り部の経験談を聞きましたがこれも3回目です、
語り部は40人いるそうで、それだけ被災体験があり、それぞれが違います。
今回は66歳の元兵庫県職員の男性でした。

当時男性は大阪近くにある阪神局に勤務していて、住まいのある
長田からは1時間ほどかけて通勤していたそうです。
もちろん1月17日は電車は走っていません、徒歩で向かいますが
途中で断念して次の日に毛布や下着をもって5時間かけて到着します、
学校の体育館や自治会館に安置されている遺体のそばで泣き崩れる
遺族、呆然自失の遺族に接し、聞いた言葉は「命があるだけでありがたい」
それが3日目には食べるものは、水は、いつまで体育館にいさせるつもりだ!
罵声に変わったと言います、以前にも書きましたが私は震災1週間後と
1ヵ月後に神戸に炊き出しに行きましたが1週間後はおとなしく待っていて
くれる人がほとんどでしたが1ヵ月後は味はどうだとか熱いか、そんな声が
聞こえてきましたし、いつまで待たせる、そんな声もありました。

毎日被災者と接する職員は毎日そんな声を聞いていたのです。
気持ちはわかります、どこへも持って行き場のない感情を誰かに
ぶつけているのですが、ある種みんなが被災者、被害者です。
その男性は人間の生き様を見たというくくりで話をしていました。
そして都市のコミュニティーの弱さということで長田で建物の
下敷きになった人は約1400人、うち亡くなったのは7割の約1000人、
震源地の淡路島北淡町では下敷きになった人は330人、
亡くなったのは30人、地域の人はこの家はここでおじいさんとおばあさんが寝ている、
そこまで知っているので救助が早く多くの命が助かったと言うことです。

これは以前、新潟の山古志村村長で現在、衆議院議員の長島忠美さんから
聞いたことと同じです、近所の人とあいさつはしても、それ以上深い
付き合いがない都会では命同士のつながりも希薄ということです。

大津市の最大震度予想は7です、この状態では机の下や屋外に避難することは
事実上無理です、ゆれに翻弄され収まるまでは動くことはできません。

防災、減災、頭では考えているのですが、いざ行動となると・・・・・。

帰りは灘の蔵元に寄り娘のリクエストの日本酒を買ってきました。
親ばか、そんな声が聞こえてきそうですが、甘受するしかありません。
今頃旦那とおいしく呑んでいてくれたら、ヨシとしましょう。
  
Posted by いとう茂 at 19:12Comments(0)