2012年11月20日

逸話 伝説③

今日は健康診断で、バリウムを飲んできました。
ちょっと体が重い感じですが、昨日の
議案説明会を受けての質疑に臨んできました。
2時間半の長丁場でゴロゴロの時もありましたが・・・・。
自分ではしっかり不明な点は質問をしました。


逸話、伝説の中でこれだけは弁護したいとか
弁解したいと思うものがあります。

弘法大師にまつわる話の中でも有名な、
右衛門三郎の逸話ですが、以下、伝聞の
記憶をたどりながら紹介しますと。

昔、伊予の国に右衛門三郎という強欲でケチな
豪族がいました。
ある日、弘法大師がこの家を物乞いのために訪れます、
当然門前払いになりますが、お大師は何日か続けて
この家の門をたたきます。

何日目かに乞食同然のお大師の持っていた鉢を
右衛門三郎が叩き割り罵声を浴びせて追い返しました。
鉢は8つに割れ飛び散ってしまいます。
右衛門三郎には8人の子供がいましたが、
不思議なことに、次の日から一人ずつ亡くなっていきました。

強欲な右衛門三郎でしたが子どもらに先立たれて
自分のしてきた悪行に気付き妻とも離縁し、家も捨てて
お大師の後を追い四国遍路に出ます。

20回四国を回るのですが、結局お大師には
会うことができません。
そこで21回目は逆から回ればどこかで会えると考え
逆打ちをするのですが、12場番札所の焼山寺の麓で
具合が悪くなり動けなくなってしまいます。

そこにお大師が通りがかり右衛門三郎は、昔、
あなたの鉢をたたき割った伊予の豪族だと名乗り、
これまでの自分の悪行の許しを乞います。

お大師はこれだけ四国を歩いてきて、
もはや三郎の悪行の罪は償われたと言ってやります。
さらに、この世の名残に何か望みはないかと訊ねたところ、
三郎は、次の世は国主の息子に生まれたいと
望みを言いました。

それを聞いたお大師は小石に右衛門三郎の名前を書き、
三郎の手に握らせます。
三郎はそれで安らかに息を引き取ります。

お大師さんはその場所に三郎を葬り、
手にしていた杉の杖を墓標の代わりに立てます。
やがて、その杉の杖が芽吹き大木に育ちます。

時は流れ、伊予の国主に男の子が生まれます。
その子は生まれた時から手を握って開こうとしません、
そこで、安養寺という寺の住職にお願いして祈祷をしてもらうと
手の中から右衛門と書いた小石が出てきます。

国主はその石を安養寺に収め寺の名前を石手寺と改め、
寺宝として現在も祀られています。
三郎の再来はやがて領主となり苦しむ領民のために
努力したと言われています。

小石が収められた寺は51番札所石手寺となり、道後温泉にも
近いために日々多くの人が参拝に訪れ、門前には
出店も並んでいます。


これが右衛門三郎の逸話ですが、どうしても釈然としないのが
右衛門三郎の8人の子供が次々と亡くなることです。
仏様の教えを守るお大師が罪科のない子供を死なせるでしょうか。

前にも書きましたが、鬼子母神が人間の子供をさらって
食べてしまうことを咎めるために、仏様は鬼子母神の子どもを
隠しただけで殺しはしませんでした。

せめてここは8人の子供が大病を患うとか大怪我をする
くらいにとどめてほしかったと思います。
そして、三郎がお大師に出会い子どもの病気が快復
するというストーリーではいけなかったのかと思いますが、
生前の三郎の悪行はそれでは許されないほどのもの
だったと考えると合点がいくのですが、それでも・・・・。



Posted by いとう茂 at 16:43│Comments(1)
この記事へのコメント
因果の話からしますと、その8人の子供は、最初からそうなる宿命で生まれてきたとも考えられます
前世の業から、そうした因業親の下に生まれ、自分の業と親の業により夭折する宿命
夭折した事で、前世からの業を全うした
とする考え方もありますが、まあそうした伝え話からだけでは、事実はわかりませんけど
Posted by ただ at 2012年11月20日 21:02
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