2013年11月30日

震災遺構

昨夜、NHKで震災遺構という番組を放映していました。
バタバタしていてずっと見ることはできませんでしたが、
気仙沼で海岸から700メートルも内陸まで流されたビアンカより
大きな船の存続を巡って市民と行政が対立していました。

船の所有者は解体を希望していますが
市民は震災の爪痕を後世に残したい、
復興のシンボルにしたいと願いますが、市民アンケートでは
多くの市民が撤去を支持し結局撤去されました。

次のシーンは釜石市の防災センターでした。
240名以上が非難した防災センターも2階まで津波にのまれ、
200名以上の人が亡くなったということでした。
ここも存続を巡り市民と行政が対立していました。

娘を亡くしたお父さんは「バレンタインにチョコをくれるのは
娘だけでした」としんみり語られ、お母さんは「やっと娘の
写真を見られるようになった」辛そうに話されていました。

防災センターにもようやく足を運べるようになったと
お二人は語られ、お母さんは津波の直後にセンターに
来た時に雀が鳴いていた、そして撮影の時も
小鳥の声が聞こえてきました、お母さんは娘さんに
〇〇ちゃんと呼びかけていました。
娘の生まれかわりだと思っているのか
押しつぶされそうな心を無意識に救う術なのか・・・・。

娘さんと私の下の娘は同年代でした。
何処か人ごととは思えず……。

震災で大切な家族や財産を亡くした人にとって
船も防災センターもよりどころであることは確かです。
存続を望む声も見るのが辛いと撤去を望む声も
どちらも心にしみます、行政にすれば苦渋の選択で
あったかもしれません。

時間が解決するのでしょうか。
逆縁の親たちは遺構を見て何を思うのでしょう。
自分だけ生き残って申し訳ない。
大切な家族を亡くしたのに一瞬だけ忘れていた。
どちらにしても責め苦は自分に向けられます。

見ず知らずの人たちですが、我々が震災被害を忘れない、
その気持ちがどこかで伝わり元気の素にならないのでしょうか。

絆が目に見えないように気持ちも見えません、
見えぬものでもあるんだよと金子みすゞは言いましたが
こういうことも想定していたのでしょうか。

いずれにしても、まだ、まだ、と引きずる気持ちと
2年半以上前と同じ場所でたたずむ心、
それは今を受け入れたくない、受け入れられない気持ちでしょうか。

Posted by いとう茂 at 12:54│Comments(0)
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