2015年03月21日
四国遍路⑬
国内には違いなく、時間的にも3時間あまり、
それでも遠い四国です、この時、四国に行ったのは
四万十市で4日連続で40度を超えた時期でした。
阿波踊りが鳴門から徳島に会場を移し、高知では
よさこいソーランが始まる時です。
で、私はというと38度の徳島の山中で虫の息・・・・。
それでも懲りない魅力はどこから来るのでしょう。
徳島駅前から勝浦町役場方面の路線バスの始発は7時前です。
1時間に1本もありませんので、どうしてもこれに乗りたくて、
前日の6時過ぎに京都駅前から高速バスで徳島まで、
到着は9時を回りますが、チェックインして軽く夕食です。
ビジネスホテルは4000円程度、駅前ですのでピンからキリまで
ありますが、キリの方を選びました。
翌朝は6時に目が覚め出発の準備、チェックアウトは6時30分、
駅前のコンビニで朝食のおにぎりと昼食のおにぎり、水筒には
ホテルでもらった氷がいっぱい詰まっています、そこにお茶を入れて
水筒を満タンにします、残りのお茶は朝食の時とバスの中で飲んでしまいました。
生名まで1時間弱、バス停を降りると20番鶴林寺への標識があります。
歩きと自動車は別の道です、もちろん歩きの道を選んで
細い路地や軒の下のような道を通ります、少しずつですが上っています。
バス停の近くでお茶を買いましたので水分は1L、これで鶴林寺までは
十分です、石畳やコンクリートの遍路道を上ります。
途中、マムシ注意の札がいくつもあります、札があるということは
道を間違っていないということです。
車道を横切りショートカット、その分上りがきつい。
ペットボトルのお茶が半分くらいになりました。
膝や上半身は汗でびっしょりです、首からかけたタオルも湿ってきました。
ハーハー、立ったまましばし休憩。
そのうちまたショートカットがあり車道に出ると見覚えのある風景、
前回は車道を歩いてきたので記憶のどこかに残っていたのでしょう。
ここからは車道を歩きました、と、行っても1キロもせずに駐車場に
到着、約2時間ほどで鶴林寺です。
山門で一礼してベンチで一休み、息を整えて本堂へ、
この時期は暑いので車の遍路も少なく、歩きは私一人です。
車でお参りの若夫婦と入れ替わりに本堂へ、気持ちよく読経でき
大師堂も貸し切りでしたので気分上々、その足で納経所へ、
ここではお接待に飴とチョコレートをいただきました。
普段は甘いものは口にしませんが、歩くと疲れますので飴は
大歓迎です。
さぁ、上った分下ります、下りは納経所の前の階段を下りていきます、
最初の所は杖をしっかり踏んばらないと落ちてしまいそうです。
足場も石がごろごろして滑ると大事になります。
15分くらいで車道に出ました、車はここを左に行き、道の駅のわしの里
まで、そこからロープウェイで21番太龍寺に昇りますが、歩きはこのまま
平地まで下ります、15分くらいで東屋に着きます、ここにはミカンの
お接待があります、無人の東屋ですのでミカン好きなら4・5個・・・・・。
靴を脱いでリュックを下してミカンをいただきます、小学生が
夏休みの自由研究でお遍路さんにいろいろと質問して、
それをまとめたものがありました、普通、休憩は10分ですが
予定より30分ほど早く着きましたので、思い切って20分の
休憩を取りました、水筒のお茶は冷たく体が喜んでいますが、
この先自販機はありません、お茶の代わりにミカンを2個、
リュックに詰めて出発です。
すぐに水井橋に着きここから山に入ります。
そしてこれからが久々の地獄の始まりになります。
焼山寺、鶴林寺、太龍寺は遍路ころがしと言われ、歩き遍路を
苦しめ試練を与える札所として有名です、その3つ目、徳島では
最後の難関でアクシデントが起こります・・・・・。
今日はこれから叙勲のパーティーに行ってきます。
今月に入って黄綬褒章のパーティーに続き2度目です、
多くの方が招かれますので、馴染みの顔にも出会えると
楽しみにしています。
もう一度寒くなるようですが、季節の時計は春に向かって
動いています、物みな目を覚まし活動を始める季節です。
今日は春分の日、春の彼岸の中日です、昼と夜の長さが
同じ長さになり、これからは昼が長くなっていきます。
彼岸という言葉は仏教用語で「あの世、向こう側」ということだったと
思いますが、三途の川であっちとこっちに分かれているのでしょうか。
もちろん目に見える川ではありません、六道の中の地獄、餓鬼、畜生の
三本の川を三途の川と呼びます、残りの三本、修羅、人間、天、
生きている間も、我々はこの六道をグルグル回っていると
言われます、その日、その時の心のありようで六道のどこを回っているのか
指した言葉でしょう。
彼岸の中日の今日だけでも、先祖を思い、天の道は無理かもしれませんが
人間道の心でいられるよう、穏やかな一日でありますよう。
それでも遠い四国です、この時、四国に行ったのは
四万十市で4日連続で40度を超えた時期でした。
阿波踊りが鳴門から徳島に会場を移し、高知では
よさこいソーランが始まる時です。
で、私はというと38度の徳島の山中で虫の息・・・・。
それでも懲りない魅力はどこから来るのでしょう。
徳島駅前から勝浦町役場方面の路線バスの始発は7時前です。
1時間に1本もありませんので、どうしてもこれに乗りたくて、
前日の6時過ぎに京都駅前から高速バスで徳島まで、
到着は9時を回りますが、チェックインして軽く夕食です。
ビジネスホテルは4000円程度、駅前ですのでピンからキリまで
ありますが、キリの方を選びました。
翌朝は6時に目が覚め出発の準備、チェックアウトは6時30分、
駅前のコンビニで朝食のおにぎりと昼食のおにぎり、水筒には
ホテルでもらった氷がいっぱい詰まっています、そこにお茶を入れて
水筒を満タンにします、残りのお茶は朝食の時とバスの中で飲んでしまいました。
生名まで1時間弱、バス停を降りると20番鶴林寺への標識があります。
歩きと自動車は別の道です、もちろん歩きの道を選んで
細い路地や軒の下のような道を通ります、少しずつですが上っています。
バス停の近くでお茶を買いましたので水分は1L、これで鶴林寺までは
十分です、石畳やコンクリートの遍路道を上ります。
途中、マムシ注意の札がいくつもあります、札があるということは
道を間違っていないということです。
車道を横切りショートカット、その分上りがきつい。
ペットボトルのお茶が半分くらいになりました。
膝や上半身は汗でびっしょりです、首からかけたタオルも湿ってきました。
ハーハー、立ったまましばし休憩。
そのうちまたショートカットがあり車道に出ると見覚えのある風景、
前回は車道を歩いてきたので記憶のどこかに残っていたのでしょう。
ここからは車道を歩きました、と、行っても1キロもせずに駐車場に
到着、約2時間ほどで鶴林寺です。
山門で一礼してベンチで一休み、息を整えて本堂へ、
この時期は暑いので車の遍路も少なく、歩きは私一人です。
車でお参りの若夫婦と入れ替わりに本堂へ、気持ちよく読経でき
大師堂も貸し切りでしたので気分上々、その足で納経所へ、
ここではお接待に飴とチョコレートをいただきました。
普段は甘いものは口にしませんが、歩くと疲れますので飴は
大歓迎です。
さぁ、上った分下ります、下りは納経所の前の階段を下りていきます、
最初の所は杖をしっかり踏んばらないと落ちてしまいそうです。
足場も石がごろごろして滑ると大事になります。
15分くらいで車道に出ました、車はここを左に行き、道の駅のわしの里
まで、そこからロープウェイで21番太龍寺に昇りますが、歩きはこのまま
平地まで下ります、15分くらいで東屋に着きます、ここにはミカンの
お接待があります、無人の東屋ですのでミカン好きなら4・5個・・・・・。
靴を脱いでリュックを下してミカンをいただきます、小学生が
夏休みの自由研究でお遍路さんにいろいろと質問して、
それをまとめたものがありました、普通、休憩は10分ですが
予定より30分ほど早く着きましたので、思い切って20分の
休憩を取りました、水筒のお茶は冷たく体が喜んでいますが、
この先自販機はありません、お茶の代わりにミカンを2個、
リュックに詰めて出発です。
すぐに水井橋に着きここから山に入ります。
そしてこれからが久々の地獄の始まりになります。
焼山寺、鶴林寺、太龍寺は遍路ころがしと言われ、歩き遍路を
苦しめ試練を与える札所として有名です、その3つ目、徳島では
最後の難関でアクシデントが起こります・・・・・。
今日はこれから叙勲のパーティーに行ってきます。
今月に入って黄綬褒章のパーティーに続き2度目です、
多くの方が招かれますので、馴染みの顔にも出会えると
楽しみにしています。
もう一度寒くなるようですが、季節の時計は春に向かって
動いています、物みな目を覚まし活動を始める季節です。
今日は春分の日、春の彼岸の中日です、昼と夜の長さが
同じ長さになり、これからは昼が長くなっていきます。
彼岸という言葉は仏教用語で「あの世、向こう側」ということだったと
思いますが、三途の川であっちとこっちに分かれているのでしょうか。
もちろん目に見える川ではありません、六道の中の地獄、餓鬼、畜生の
三本の川を三途の川と呼びます、残りの三本、修羅、人間、天、
生きている間も、我々はこの六道をグルグル回っていると
言われます、その日、その時の心のありようで六道のどこを回っているのか
指した言葉でしょう。
彼岸の中日の今日だけでも、先祖を思い、天の道は無理かもしれませんが
人間道の心でいられるよう、穏やかな一日でありますよう。
Posted by いとう茂 at
11:07
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