2015年04月24日
ゲンが悪い、そういう前に・・・・・
選挙といえば、事務所開きは大安の午前中に、
お祓いをしてもらうとか、落ちるとか届かないという言葉は
禁句にしたり、神棚を作り毎日水と榊を代えたり・・・・・・。
他にもあると思いますが初詣と宮参りが主流になった神社の
出番が増えます、それだけ神頼み、神仏にすがる気持ちが
強くなることが多くの選挙事務所で見受けられます。
私の事務所にも神棚があります、不安な気持ちを払拭するために、
お札も祀ってあります。
人間同士の選挙ですから、これも先人の知恵だと思います。
このことを何も否定しませんし、そうすることで心が少しでも
軽くなり選挙に集中できるのならメリットもあると思います。
ポスターの掲示番号も4,9,13,42は不吉だという人もいます。
すべてはゲン担ぎだといわれれば明確に打ち消す根拠はありません。
人間の弱さが出る一瞬ともいえるでしょう。
そんな中で、池にいた3尾の金魚のうち黒の出目金の姿が
告示前から見えませんでした、毎朝、緑のお爺さんに行く前に
池を覗くのですが、カラフルな出目金と緋ブナは元気に
泳いでいますが、いくら探しても黒はいません。
そして、今朝はカラフルな出目金が死んでいました、
さらに、緋ブナもアップアップしていて、いつもなら私の
姿を見ると素早く底に沈むのに、じっとしています。
池には油膜が張っています、今、問題になっている社寺に
油をまく人間が、まさか池に油をまいたわけではないでしょうが、
ギンギンギラギラしています。
これが原因だと思いますが雨水以外は流れ込まない小さな
池ですので、どこから流れ込んだかは不明です。
死んでいるカラフルな出目金と弱って明日があるかわからない
緋ブナを見て、思わず不吉な。
時期が時期ですので瞬間的にそう思いました。
そして・・・・・反省しました。
死んだ原因は油膜でしょうが、死にたくて死んだわけでもないし、
流れ込んだ異物を排除できない金魚に、どんな責任があるのか。
不吉だと自分のことしか考えない勝手な自分、かけがえのない命が
失われた、そのことに心が気がつかない、余裕のない自分。
あってほしくないのですが、これが身近な人が亡くなったら
同じように考えただろうか、母親がこの時期に亡くなったら
不吉だと思っただろうか、そう考えると金魚に申し訳ない、
そんな気持ちが出てきました。
私が餌をやって飼っている、なら飼い主の責任をまず
感じるべきで、ちゃんと管理していなかったことを悔い、
なんら責任のない金魚に謝るのが先だと痛感しました。
たかが金魚、そう考えることもできますが、泳ぐ姿や
餌を欲しがり浮き上がってくる姿に少なからず、安らぎや癒しを
もらっていたのは事実です。
自分の勝手で飼っていた金魚、それが死んだからと不吉だと思うのは
まったく持って不謹慎で的外れなことに気がつきました。
うちの池で泳いでいなかったら、どこかの家で飼われていたなら
もっともっと長生きしていたかもしれません。
あーあ、声なき者の声を聞く、見えないものを見る目を養う、
この60年、何をしてきたのだろう、自戒が次から次に
出てきます。
そして・・・・・気づきもあります。
選挙戦、残り二日のこのタイミングでこういう事態は
金魚たちが命を賭けて、私に伝えたいことがあった。
耳障りのいいことばかり言うなよ、できないことをできると
安請けあいするなよ。
人間、目の前に喉から手が出るほど欲しいものがあっても
自分を偽ってまで欲しがるな、いつもお前が言っている
論語の天知る、地知る、我知る、人知る。
その気持ちを忘れるな。
時間は余りありませんが、金魚を埋めてやる時間くらいはあります。
感謝と懺悔の気持ちをこめて埋めてやりました。
そして、新たな気持ちで残りの時間を使おうと思えます。
ありがとう金魚、ごめんなさい金魚。
お祓いをしてもらうとか、落ちるとか届かないという言葉は
禁句にしたり、神棚を作り毎日水と榊を代えたり・・・・・・。
他にもあると思いますが初詣と宮参りが主流になった神社の
出番が増えます、それだけ神頼み、神仏にすがる気持ちが
強くなることが多くの選挙事務所で見受けられます。
私の事務所にも神棚があります、不安な気持ちを払拭するために、
お札も祀ってあります。
人間同士の選挙ですから、これも先人の知恵だと思います。
このことを何も否定しませんし、そうすることで心が少しでも
軽くなり選挙に集中できるのならメリットもあると思います。
ポスターの掲示番号も4,9,13,42は不吉だという人もいます。
すべてはゲン担ぎだといわれれば明確に打ち消す根拠はありません。
人間の弱さが出る一瞬ともいえるでしょう。
そんな中で、池にいた3尾の金魚のうち黒の出目金の姿が
告示前から見えませんでした、毎朝、緑のお爺さんに行く前に
池を覗くのですが、カラフルな出目金と緋ブナは元気に
泳いでいますが、いくら探しても黒はいません。
そして、今朝はカラフルな出目金が死んでいました、
さらに、緋ブナもアップアップしていて、いつもなら私の
姿を見ると素早く底に沈むのに、じっとしています。
池には油膜が張っています、今、問題になっている社寺に
油をまく人間が、まさか池に油をまいたわけではないでしょうが、
ギンギンギラギラしています。
これが原因だと思いますが雨水以外は流れ込まない小さな
池ですので、どこから流れ込んだかは不明です。
死んでいるカラフルな出目金と弱って明日があるかわからない
緋ブナを見て、思わず不吉な。
時期が時期ですので瞬間的にそう思いました。
そして・・・・・反省しました。
死んだ原因は油膜でしょうが、死にたくて死んだわけでもないし、
流れ込んだ異物を排除できない金魚に、どんな責任があるのか。
不吉だと自分のことしか考えない勝手な自分、かけがえのない命が
失われた、そのことに心が気がつかない、余裕のない自分。
あってほしくないのですが、これが身近な人が亡くなったら
同じように考えただろうか、母親がこの時期に亡くなったら
不吉だと思っただろうか、そう考えると金魚に申し訳ない、
そんな気持ちが出てきました。
私が餌をやって飼っている、なら飼い主の責任をまず
感じるべきで、ちゃんと管理していなかったことを悔い、
なんら責任のない金魚に謝るのが先だと痛感しました。
たかが金魚、そう考えることもできますが、泳ぐ姿や
餌を欲しがり浮き上がってくる姿に少なからず、安らぎや癒しを
もらっていたのは事実です。
自分の勝手で飼っていた金魚、それが死んだからと不吉だと思うのは
まったく持って不謹慎で的外れなことに気がつきました。
うちの池で泳いでいなかったら、どこかの家で飼われていたなら
もっともっと長生きしていたかもしれません。
あーあ、声なき者の声を聞く、見えないものを見る目を養う、
この60年、何をしてきたのだろう、自戒が次から次に
出てきます。
そして・・・・・気づきもあります。
選挙戦、残り二日のこのタイミングでこういう事態は
金魚たちが命を賭けて、私に伝えたいことがあった。
耳障りのいいことばかり言うなよ、できないことをできると
安請けあいするなよ。
人間、目の前に喉から手が出るほど欲しいものがあっても
自分を偽ってまで欲しがるな、いつもお前が言っている
論語の天知る、地知る、我知る、人知る。
その気持ちを忘れるな。
時間は余りありませんが、金魚を埋めてやる時間くらいはあります。
感謝と懺悔の気持ちをこめて埋めてやりました。
そして、新たな気持ちで残りの時間を使おうと思えます。
ありがとう金魚、ごめんなさい金魚。
Posted by いとう茂 at
12:18
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