2015年04月22日

我慢の思想

中野孝次さんの「我慢の思想」から紹介します。
「誤ち一度もなき者は、あぶなく候」という文章です。
本の帯には「現代日本の目にあまる無作法を叱る」と
あります、1997年の作品ですから、20年近く前に
なります、内容の是非は個人により違うでしょうが、
腑に落ちる、合点がいく部分が私にはあります。

一度も挫折したことのないやつはダメだ、付き合うことができない、
と私はいつ頃からか思うようになった。
挫折を知らない人間はいるものである。
子供の時から成績が良く、どこでもトップがそれに近い地位にいて、
やがて権力を握って人を使う立場になったやつ。
そういう人間はなるほど頭も切れ、才知に富み、
仕事はできるかもしれないが、人間として面白みに欠ける。
自信満々が高じて傲慢になり、他人の痛み、苦しみ、
悲しみに対して全く鈍感なやつが多い。

挫折と言うのは嫌なものだ。
誰だって挫折したくない。
が、生きていく上の成り行きで、人間には失敗と言うものがある。
誤ちを犯したり、社会制度の必然から落伍者にされたりする。
ほとんどの人はいつかどこかで挫折を体験し、身の不運を
嘆き苦しんだことがあるに違いない。

私の場合は、小学校を卒業するとき家が貧しくて
上級学校に進学させてもらえなかったのが、人生の最初の挫折体験だった。
深刻な経験だったが、人生のトバ口でそういう経験をしたのは
その後生きていく上で無駄にはならなかったと思う。

大学を卒業して最初に勤めた会社を突然解雇されたのも
大変な挫折体験だったが、その時経済的に苦しみながらも
案外平気でいられたのは、子供の時分に深刻な挫折を体験していたからだろう。
そして私はそのことで少なくとも失敗者を軽蔑しない目だけは養ったのだ。

後に私は「葉隠」に、誤ち一度もなき者は、あぶなく候。
という言葉があるのを知り、ああ、昔からそうであったのかと
感銘を受けた。
この話はなかなかいいからこの機会に紹介しておこう。
「葉隠」というのは佐賀鍋島藩に伝わる武士の逸話を集めた
武士道論とでも言うべき本だが、これはそう中にある一つ。

藩の重役が集まって人事を定める会議の席で、ある男を
昇格させるかどうかが問題になったときのことである。
問題のその男にはかつて酒で大失敗をした前歴があり、
会議でそんなことを理由として昇格無用ということに
衆議一決しかかった時、重役の一人が異議を唱えた。
「前に一度誤ちをしたからという理由でその者を捨てて
しまったりしているようでは永久に人材を見いだす事はできないでしょう。
一度誤ちを犯した人間は強くその誤ちを後悔するものでありますから、
後は随分と心がけるものであって、お役に立つ人間になる。
この男は昇進させるがよろしかろうと存じます」

するとそれに対し重役の一人が言った。
「では、あなたがこの男を保証なさるか」
「確かに拙者が保証人になります」
「いかなる理由で貴殿はそれほどまでに確信を以って
お引き受けなされるのか、うけたまわりたい」
「されば申しましょう。このものが一度誤ちを犯した者である故に
拙者は保証人になるのであります。一度も誤ちを犯したことのない者は、
あぶなくて信用なりませぬ」
そしてこの重役の一言で会議はその男を昇進させることに決したのだった。
それにしてもこれは凄まじい話である。
もし重役の保証した人間がもう一度失敗を犯したりしたら、
この重役は確実に切腹させられるだろう。
武士の世界ではそれほどまでに保証の責任は重いのである。
そういうことを充分に承知の上で衆議に逆らってそれほどまでに
その侍を保証したとは、よほどの人間に対する確信と、自信と勇気と胆力とが
なければできぬことである。

自分の命をかけて人物の保証をしたのだ。
後でこのことを知ったその人物は、おそらく感涙にむせび、
決死の覚悟で勤め、さぞやものの役に立つ人間になったことだろう。
それだけに、この重役の命がけの、誤ち一度もなき者はあぶなくて候、
という一言の持つ重さがひしひしと伝わってくるのだ。
挫折、失敗、恥辱、不面目を一度も犯したことのないような者は、
驕り高ぶっていて、他人への思いやりもなく、独りよがりで、
危険で使いきれませぬ。
実に見事な一言だ。

現代で言えば昨今その非行が次々と暴露されて問題となっている、
中央官庁の役人たち、特に大蔵省の役人などは大方がエリート中のエリートで
挫折を知らずに最高権力者の地位についた連中ばかりだろうから、
この葉隠の重役に言わせれば「危うくて信用ならぬ」人間ということになろう。
実際彼らの言葉の端々から洩れてくる自惚れ、傲慢、独りよがりのほどは、
新聞でその言動を読む限りでも、これが人間かと疑われるほどである。

挫折を知らずに来た者には、生涯の最後に二度と立ち上がれぬ大挫折が待ち受けている。


この上から目線の文章が中野さんの特徴だと思っています。
お出合いした事も講演会に行ったこともありませんので、
まったく未見のまま、この世を去られたことになりますが、
こうして文章が残り、読者がいるということは物を書く人にとって、
何より嬉しいことではないでしょうか。
「死んで花実が咲くものか」そうした考え方があることは理解します、
それでも中野さんの経歴や他の本を読んだことがない人でも
遺稿に触れることはできます。

市議会選挙も4日目、ちょうど中日です、疲れは・・・・年相応。
今日も2ヶ所で夜は個人演説会があります。
短く、短くの注文があります、ストーリーを考えるのをやめました。
毎回違う内容の演説会、それもよし、人生はやり直しのきかない
劇場ですから。

選挙中ですが他にしなければならない仕事もあります。
多くの人の役に立つ人間になる、それが議員としての使命ですが、
一人の人のためにしなければいけない仕事があります、
内容は書けませんが、一人の心を安らかにできない人間が
多くの人のお役に立てるはずがないと、自分で自分を
叱咤激励、今夜も遅くなりそうです。
こんな私でも待っていてくれる、艶っぽい話ではありません、
その人のためにも人生の持ち時間を使います、それも課せられた義務、
責任ですから・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 12:31Comments(0)