2015年08月14日

英霊の言乃葉(5)より

70度目の終戦記念日がやってきます。
新聞でもテレビでもこの時期は特集が組まれ、証言や
検証が行われます。
今日紹介するのは18歳と19歳、15歳の青年というより少年少女の遺書です。

最初は福井県出身でソロモン群島で戦死した18歳の
飛行兵長の遺書です。
「遺書」

生を享けて18年、何の親孝行もできませんでしたが
悪しからずお許しください。
そのかわり今後は一生懸命にやり、祖先や皆様に
たいして顔に泥をぬるようなことは致しません。
搭乗員として恥ずかしくない働きを致します。
何卒ご安心ください。
一度内地を離れれば、二度と内地の地をふまないつもりです。
飛行機乗りの搭乗員です。
男の中の男です。
此処で何も思い残すことはありません。
何事も天命と思い覚悟は致しております。
「桜花散りて靖国の宮柱となる」
最後に皆様のご健康を祈っております。
サヨナラ
昭和十七年十一月十日
賢一より

父母御一同様

次は鉄血勤皇隊で15歳でなくなった沖縄県の中学三年生の遺書です。
「母上様に告ぐ」

お母さん、首里の都もとうとう戦の庭と化しまして、
自分等も鉄血勤皇隊として軍服姿に身を固め、
英米撃滅に邁進したのであります。
沖縄の戦場も、何時かは勝ち戦の時期が来るのですから、
母上様には御体大切にされまして、勝ち戦を待っていてください。
自分のことは、如何なる時にもご心配しないでください。
そして、小生を御国のために働かしてください。
自分もよき死に場所を見つけて、御国に御奉公するつもりです。
お母さん、自分の働きぶりを見てください。
九段の御社で、母上様さようなら。
散るべきときに散ってこそ
男と生まれし甲斐はありけり。

最後は三重県出身で陸軍看護婦として19歳でルソン島で
戦病死した少女のものです。
「父母への便り」

十字星を窓から見て泣いた時、
世に高いマニラの夕焼けにはるかな故国をしのび、
帰りたくなった時だってあります。
幼い子を見る時、洋司を思い、また喜代子、英子と思いが走ります。
年若くして国を離れる、
これは、これからの長い清子の人生に大きな役をしてくれるでしょう。
清子は身体の続く限り白衣の人として生きるつもりです。
ここは第一線だ、戦場だと働きがいを全身に感じ、
すべてを忘れてしまいます。
清子は山野家を代表した女の勇士です。
皆様に心配させるようなことは致しません。
身体の続く限り働きます。
靖国の宮で・・・・・・・・・。
皆様の御健康御多幸を祈ります。



  
Posted by いとう茂 at 12:33Comments(0)