2015年08月15日

終戦記念日

実際には戦争を知りません。
そういう日本人が大半になりました、戦争に行った軍人、医師、
看護婦、新聞記者等々・・・・・・。
戦争は戦場だけで行われていたのではなく帰りを待つ家族も
戦争をしていたのだと思います。
回天特別攻撃隊で22歳で亡くなった息子を思う母親の手記です。

「わが家の桃太郎」
あの子はよく祭日に帰って来る。
今日は明治節、なんだか関夫が帰ってくるような気がしてならない。
朝から気もそぞろで落ち着かぬ。
お昼になった、あの子の好きなものを作ってもみた。
座敷を整頓したり、寝具を干してみたりして、
あてのない人を待っていたが、晩になっても姿を見せぬ・・・・。
もうこの世にはいないかも知れぬと考えたり、
また正月にでもひょっこり帰ってくるかも知れぬ、
と希望をもってみたりしながら、床についたのは十時をすぎてからだった。

いつかとろとろしたと思うころ、強くベルが鳴った。
あっ!関夫の鳴らし方だ。
はじかれるように飛び起きて玄関に出た。
暗い外に立っているわが子を見たとき、
無事に生きていてくれたという喜びで胸が一杯になった。
そのころ神風特別攻撃隊のことが新聞やラジオに発表されたばかりだったので、
いろいろ話している間に、何気なく、聞いてみた。

「若い人が飛行機で敵艦に体当たりして、死んでいくなんて、
本当にもったいないことだね。
必死でなくても何とか勝つ方法がありそうなものなのにね」
関夫は何とも答えなかった。
自分が今必死の作戦を前にして、親に最後の別れに来ているなどということは、
おくびにも出さなかった。

次の朝、早く起きた関夫は、湯殿で頭から何杯も水をかぶりながら、
何事かを祈念しているようであった。
ボサボサに伸びた髭が、ことさら気になるのも女親のせいだろうか。
「忙しくて散発する暇もないの?」
・・・・・・無言、
「恐ろしい顔になったものね、疲れているの?」
やはり無言。

ずっと前に帰ってきた際、結婚してもよいなどといっていた事を思い出したので、
話をしてみたところ、関夫は何食わぬ顔で
「前にいったことは、取り消し、取り消し、みんな取り消し、今はとても忙しいので、
次に帰ってきたときにゆっくり話しましょう」といった。

この日は運悪く父は田舎に行っていてとうとう会えなかった。
最後の食事があまり進まないので
「今日はなぜ少ししか食べないの?」
「おかずが沢山あるのでね、それにぼくも大分大きくなったんだから、
そう何時までも大食いじゃないんだよ」
と笑いながら言った。
しかしお酒はうまそうに飲み「お母さんも」と杯を出し、
二人で楽しくくみかわした。
これが、関夫にとってはせめてもの別れの杯のつもりだったのだろう。

いくら腹が決まっていても、母を目の前にしては、
さすがに胸がせまり食事も、ノドを通らなかったのではなかろうか。

私が駅までぜひ送りたいといったが、門前でいいよといい、
母がつくった、握飯を風呂敷に包んで、手にぶら下げ、
ゆったりした足取りで去っていった。

どこから来て、何処へ行くともいわないで行ってしまった、
わが家の桃太郎は待てども待てども鬼が島から帰ってこない。


  
Posted by いとう茂 at 13:04Comments(0)