2015年08月18日

後顧の憂い

国を思い、家族そして大切な人を思い、多くの人が死んでいきました。
大きな流れにあらがうこともできず、後顧に憂いを残して
死んだ人も多かったでしょう、無念という気持ちはなかったのでしょうか。
工作兵曹長として大和に乗船し、29歳で亡くなった愛知県出身の
軍人の遺書です。

「嫁ではなく、我が子と思って」

我、軍人としての本分を立派に果たし、神風大和艦上に最期を飾るは、
無上の誉れと深く心に銘記し笑って死するものなり。
御両親様、妻愛子は良嫁になかりしが、我の妻で御座います。
夫婦の契りを立て、二世を誓いし以上は、
我と一心同体なりし事は申すまでもないと存じまする。
ましてや我は国難に殉ずる軍人です。
其の家族が軍人の家族らしからぬ事、此の世に多しと承り、
此処に一言遺書を記するものなり。
(中略)
1、里方へ帰るも可なれど、里方にては御迷惑せられますれば、
我家にいては居辛く本人としては我家を出て静かに自活したき希望なれば、
本人の希望通りに自力自活の道に進む様御願い申し上げます。
其の上にて再婚の道有ればお進めください。
再婚致す迄は愛子の籍は我が妻として置いて戴きたく御願い申し上げます。

1、人間は感情の動物なれば、憎きやつと思えばだんだん遠ざかり、
可愛がれば愛子とても孝養せなくてはならなくなると我は存じますれば、
嫁と思わず、我子と思われまして可愛がって下さいますよう御願い申し上げます。
(後略)

もう一人紹介します、学徒出陣で神風特別攻撃隊として出撃して
昭和20年4月28日に戦死した福岡県出身の22歳の京大生の遺書です。

「弱い心をお笑いください」

四月十六日
今日は未だ生きております。
昨日、父さん、母さん、兄姉にも見送って頂き、
全く清らかな気持ちで出発できました。

敏子にお逢いになった由、皆何を感じられたか知りませんが、
心から私が愛した、たった一人の可愛い女性です。
純な人です。
私の一部と思って何時までも交際してください。
葬儀には是非呼んで下さい。

お父様、お母様。
本当に優しく心から私を可愛がって頂きましたこと有難く御礼申します。
私は一足先に死んでゆきますが、
私が、あの弱かった私が国に殉ずることを喜んで下さると思います。
長い間御世話になり何一つ喜んで頂く様なことも致しませず相済まぬと思っております。
私の死はせめてもの恩返しと思って下さい。

四月十七日
今日も生きています。
皆に逢えて安心です。
心に残るのは敏子のことのみ。
弱い心をお笑いください。
しかし死を前にして、敏子に対する気持ちの深さを今更の様に驚いています。
人間の真心の尊さを思って下さい。

四月二十八日
軍服を脱いで行きます。
真新しいのが行李の中にありますから、それを家に、
古い方を敏子に送って下さい。
必ずお願いします。
戦死がわかりましたら一度家に呼んで遺書等と一緒にお渡しになれば良いと思います。

愛子さんも敏子さんももう亡くなっておられるでしょう、二人が
どんな人生を送ったのか知る由もありませんが、
ほんの束の間の時間を確かな手ごたえと感じ、
長い人生を歩まれたと思います。
人は人をどこまで支配、縛り付けられるのか、二度と逢うことのない人を心に
思い続けてどれだけの時間を過ごせるのか考えてしまいました。


  
Posted by いとう茂 at 12:29Comments(0)