2024年02月24日

暖冬の影響か梅の開花の便りをよく目にします。
この前は九州の開花の知らせでしたし、京都の北野天満宮の梅も開花したというニュースもありました。
もう40年以上前になると思いますが、アヤハディオがアサヒと呼ばれていた頃に、枝ぶりが気に入って白梅を買ったことがあります。
四角い鉢に少し斜めに植えられた梅で、手首ほどの幹から小指くらいの枝が3本伸びていました。
世間の梅の時期よりも少し遅れて咲くのですが、白い凛とした花が好きで2・3度植え替えをして鉢を大きくして育てていました。
花が終わると端っこの方に肥料を置いて、来年も咲いてくれよ・・・。
桜と違って梅はバッサリ剪定をしますが、切るのがかわいそうだと思って残した枝には翌年花がつきませんでした。
大切に育てていたのですが、夏に地域のイベントがあり忙しくて水やりをすっかり忘れてしまい、枯らしてしまいました。
葉がいつの間にかなくなり、枝が変色しています。
こんなことなら庭に下ろしてやればよかったと悔やんでも後の祭りです。
桜と違い数輪の花をつけて咲く白梅でしたが、力強さがありましたし、存在感もありました。
ホームセンターに行くと時々園芸コーナーを見るのですが、白梅を買って・・・・前の白梅の二の舞なら可哀そうだし、すくすく成長しても白梅の寿命が長いだろうから、世話をする人間がいなくなれば枯れ木になってしまう。
そう考えると・・・手が出ません。
  
Posted by いとう茂 at 10:41Comments(0)

2024年02月23日

高校受験

私学の高校では合格発表が終わっているところもありますが、公立の高校は3月が入試で受験生は一番苦しい時期になっています。
半世紀以上前を振り返ると・・・受験勉強なんてやってたかなぁ・・・。
クラブは夏の大会が最後でしたから、授業が終わると友人たちと歩いて帰り、帰りにお好み焼きを食べに店に寄ったりしていました。
家に帰ると炬燵にもぐりこんで、テレビを見ながらうとうとして夕食・・・、夜になっても試験勉強はせずにいると親から「勉強しなさい」。
それを聞くのが嫌で自室にこもってラジオを聞いていた記憶しかありません。
父親からは小学校の時から「大学に行くなら東大か京大、それ以外は行かさない高校は大商に行け」と言われていました。
できる子どもならサラリーマン、できない子どもは商売、そんな色分けをされていたのだと思います。
選択肢がほぼない状態の中学生が当時は大勢いました。
私学の受験も公立高校のすべり止めがほとんどで、他には受験したことがない同級生ばかりでした。
進路は目の前の高校だけ、その先にどんな人生を歩むかは親が敷いたレールに乗るだけでした。
親が商売をしている同級生も何人かいましたが、高校を出て家業を手伝い、継いだもののほとんどが廃業して転職していきました。
親が敷いたレールを恨んでも、乗ったのは自分ですから天に唾です。
ただ、ほとんど勉強をしなくて入学した高校は、自分にとっては楽しい3年間を過ごせた場所でした。
毎日、毎日クラブで走ってばかりでしたが、大学受験もなく先のことを考えずにクラブに没頭できましたし、友人も気の置けない人間が多く、現在も何人かと交流があることを嬉しく感じています。
毒にも薬にもない友人ばかりですが、それが安心できる大きな要因です。
これから高校受験をする子どもたちは、50年後にどんな人生を送っているのか、人生いたるところに青山ありです。
活躍できる場所も骨を埋める場所も数えきれないくらいあると思います、いい春が来て自分だけの人生を生ききってほしいと願います。
  
Posted by いとう茂 at 14:33Comments(0)

2024年02月22日

ひな祭り

来月3日のひな祭りまで10日ほどになりました。
二人の娘は嫁いでいますので、ひな人形を飾ることもなく桃の花もありませんし、普段と変わらない座敷です。
嫁ぐ時にも家が狭いから置いておいて、その一言でひな人形は箱に入ったままです。
女の子の幸せとすこやかな成長を願うひな祭りですが、親は娘がいくつになっても幸せを祈るものです。
旧暦のひな祭りですから実際には一月ほど後になります、桃と桜は咲く時期が重なっていますが、3月3日は桃の節句になっています。
ソメイヨシノはクローンの桜で、誕生は江戸時代になりますが、節句が日本に伝わったのは遣唐使の時代ですから、平安時代だと思います。
先輩の桃を桜が凌駕して、桜の節句とはならなかったのは日本人の知恵かもしれません。
子どものころにひな祭りに招待されたことが2・3度ありました。私のほかにも男の子がいましたし、女の子もいました。
バラずしやケーキをいただいた記憶がありますが、七段飾りや五段飾りのひな人形は・・・見た記憶がありません。
ひな人形がなくてもひな祭りはできます、おそらく親が娘のすこやかな成長を願ってささやかでも宴をと考えて、悪ガキも呼んでいただいたのだと思います。
今は引っ越して訪れた家もなく、面影はありませんがどこかで元気に過ごしていると思います。
  
Posted by いとう茂 at 21:42Comments(0)

2024年02月21日

順調ですが

日曜日の夜は読書の日と決めてから、欠かさず読書をしています。
短い時で4時間、長い時は朝方まで7時間程度になります。
およそ半年になりますが、欠かさずに継続できているということは、習慣になったと感じています。
そんな中でも、安岡正篤の本は、表現も難しく単語も知らないものがあり、読むのに時間がかかります。
2行ほど読んで・・・どんな意味?
また戻って読み返す作業の連続です。
本棚にはまだ10冊ほど安岡正篤の本がありますので、全部読むのにはかなりの時間を要しそうです。
他にも、「こうあらねばならない」調の頑固おやじの中野孝次も苦労しそうですが、この人が犬のことを書くと、目尻が下がった文章になるから不思議です。
「ハラスのいた日々」なんかは、もらい泣きしそうな表現でした。
「清貧の思想」と同じ作者かと考えてしまいます。
硬い本2冊と柔らかい本1冊がコンビで読んでいますので、息がつまってきたら逃げ場があります。
この年になって読書、自分で自分の守りをする手段ですが、他に趣味はなかったのか・・・。
これも自分のこれまでの生き様の結果です。
ただ「読む」作業は順調でも「記憶」という作業はそうでもなく、非常に歩留まりが悪いのが現実です。
しかし、これはこれで自分の老いを実感する手段として貴重なものかもしれないと感じています。
教養というものではなく「認知症予防」と言った側面が強い読書ですが、活字とともに老いていけるのなら良しとしたいと考えています。
  
Posted by いとう茂 at 17:02Comments(0)

2024年02月20日

御陣乗太鼓

この前、能登半島地震で被害を受けた町の様子の映像を見ました。
その中で、和太鼓の映像があり男性が映っていました。
男性は63歳、御陣乗太鼓の叩き手で、昨年は800回を超える公演があったと話していました。
ホテルや会館で演奏をしたり、遠征もあったのだと思いますが、800回というと仕事が太鼓の演奏でないと実現できません。
これまでに御陣乗太鼓を生で何回か聞いていますが、1基の太鼓を3・4人で打ちます、一人は地打ちといって「ドコドコドコドコ」と基本のリズムを打ち、それに合わせて代わる代わる打ち手が入って違うリズムを打つシンプルな太鼓です。
太鼓の経験者なら、「地打ちが難しいなぁ」と感じると思います。
一定の速さと正確さが求められますが、ほかの人も同じ太鼓を叩きますので、しっかりバチを握っていないとはじかれてしまいます。
しかし、強く握りすぎると手首が動かずにリズムが乱れます。
男性は「太鼓が好きだからまだまだ叩きたい」と話していました。
御陣乗太鼓の由来は、記憶が定かではないのですが、上杉謙信が攻めてきたときに、面をつけて着物はぼろぼろにして、頭を海藻で覆って上杉謙信の陣に夜襲をかけて、追い払い町を救った・・・だったと思います。
上杉勢にすれば化け物が来たと驚いたのでしょう。
ようやくボランティアが入り、壊れた家の中から家具や家電製品が運び出され、復旧に向けての動きが出てきましたが、仮設住宅の供給は遅れていますので、多くの人が避難所での生活です。
御陣乗太鼓で自然災害が逃げ出すことはありませんが、被災者に元気を与えることはできます。
ニュースを見て太鼓の響きで一日も早い復旧・復興を願わずにはいられませんでした。
  
Posted by いとう茂 at 15:12Comments(0)