2015年01月09日
抜粋のつづり④
お父さんが61歳で亡くなった。
年齢的に自分と重なるところがあり、ついつい
感情移入してしまいました。
同級生でも亡くなっている人が何人かおり「死」が
身近に感じられるようになってきました。
小学校6年の時に同じクラスだった本郷郁子さんという
女の子が亡くなりました、特別、親しいというわけでは
なかったのですがクラスの代表として4・5人で
お参りに行きました。
引っ越しをしていて、刑務所がある大平のあたりまで
バスに乗っていったので覚えている次第です。
どうぞ、だまされたと思って声を出してお読みください。
「最後の晩餐」
病名を告知された瞬間、肩をがっくりと落としたのを、
私は今でも鮮明に覚えている。五年前、父は61歳の若さでこの世を去った。
銀行を定年退職して一ヶ月後に肺にガンが発見され、
1年間の闘病生活を送った。
その闘病生活の末期、いよいよだと悟った父は、
最後は我が家で過ごしたいと言った。
家族全員が集う居間に父のベッドを用意し、
父を囲むようにして家族は最期の数日間を過ごした。
内臓の機能がほとんど動かなくなってしまった父は、
口から食べ物を運ぶ事はできず、点滴で養分を補給していた。
そんな父が「睦美、卵かけご飯が食べたい」
と消え入るような声で私に言った。
「すぐに用意するから」そう答え私は台所へと駆け込んだ。
私は、父の茶碗にご飯を盛りながら、父から聞いたある話を思い出していた。
父が幼い頃、卵は高級品で病気になった時以外は滅多に口にすることができなかったそうだ。
ある日どうしても卵が食べたかった父は仮病を使い、
風邪のふりをして布団に潜り込んだところ、
祖母が卵かけご飯を食べさせてくれたと、
父は私たちに話してくれたことがあった。
その話を思い出した瞬間、
「今の父の病気も仮病だったら・・・・・」
その思いで、私の胸はいっぱいになった。
そして瞳の奥から涙が溢れてきた。
そんな私の姿を見ていた母は、
「泣いちゃダメ。お父さんの前では絶対に」
そう言い、私の肩を優しく叩いた。
「お父さん、卵かけご飯持ってきたよ」
私は、できる限りの笑顔を作り、居間に戻った。
私はスプーンに一口分のご飯をすくい、父の口元に持っていった。
舐める程度の少しのご飯を父は懸命に噛んでいた。
「おいしいよ」
父はそう言いながら一筋の涙を流した。
その涙を見た私たち家族はついに堪えきれなくなり、
父に抱きついて泣いた。
「お父さん仮病だよね?卵かけご飯が食べたいから、
病気のふりをしているんだよね」
私は父に聞いた。
「そうだったらなぁ・・・・・。そうだったらいいな・・・・・」
頼りない声で父ははそう言った。
父のこの病気が仮病であったらいい・・・・・・。
どうか、神様、仮病でありますように・・・・・。
家族の誰もがそう祈った。
その翌日、父は静かに息をひきとった。
父が最後の晩餐に卵かけご飯を選んだのは、
子供の頃、仮病を使って卵かけご飯を食べたように、
この病気も嘘であったら・・・・・と言う一筋の願いからだったのかもしれない。
父が他界して以来、私は卵かけご飯の食べなかった。
父を思い出し切なくなるからだ。
父の5回目の命日、私は卵かけご飯を作った。
箸を口に運び、ご飯を舌に乗せた瞬間、
目頭が熱くなってきた。
私は食べかけの卵かけご飯を、父の仏壇にそっと供えた。
そういえば卵かけご飯も長い間食べていません。
今夜あたりいただくとしょうか、そんなことを思っていますが、
お漬物と味噌汁の一汁一菜で事が済みそうでシンプルな夕食に
なりそうです。
明日から3連休、11日は消防の出初式、12日は成人式と
行事があります、新年会はパラパラ、会議はそれなりに・・・・。
年齢的に自分と重なるところがあり、ついつい
感情移入してしまいました。
同級生でも亡くなっている人が何人かおり「死」が
身近に感じられるようになってきました。
小学校6年の時に同じクラスだった本郷郁子さんという
女の子が亡くなりました、特別、親しいというわけでは
なかったのですがクラスの代表として4・5人で
お参りに行きました。
引っ越しをしていて、刑務所がある大平のあたりまで
バスに乗っていったので覚えている次第です。
どうぞ、だまされたと思って声を出してお読みください。
「最後の晩餐」
病名を告知された瞬間、肩をがっくりと落としたのを、
私は今でも鮮明に覚えている。五年前、父は61歳の若さでこの世を去った。
銀行を定年退職して一ヶ月後に肺にガンが発見され、
1年間の闘病生活を送った。
その闘病生活の末期、いよいよだと悟った父は、
最後は我が家で過ごしたいと言った。
家族全員が集う居間に父のベッドを用意し、
父を囲むようにして家族は最期の数日間を過ごした。
内臓の機能がほとんど動かなくなってしまった父は、
口から食べ物を運ぶ事はできず、点滴で養分を補給していた。
そんな父が「睦美、卵かけご飯が食べたい」
と消え入るような声で私に言った。
「すぐに用意するから」そう答え私は台所へと駆け込んだ。
私は、父の茶碗にご飯を盛りながら、父から聞いたある話を思い出していた。
父が幼い頃、卵は高級品で病気になった時以外は滅多に口にすることができなかったそうだ。
ある日どうしても卵が食べたかった父は仮病を使い、
風邪のふりをして布団に潜り込んだところ、
祖母が卵かけご飯を食べさせてくれたと、
父は私たちに話してくれたことがあった。
その話を思い出した瞬間、
「今の父の病気も仮病だったら・・・・・」
その思いで、私の胸はいっぱいになった。
そして瞳の奥から涙が溢れてきた。
そんな私の姿を見ていた母は、
「泣いちゃダメ。お父さんの前では絶対に」
そう言い、私の肩を優しく叩いた。
「お父さん、卵かけご飯持ってきたよ」
私は、できる限りの笑顔を作り、居間に戻った。
私はスプーンに一口分のご飯をすくい、父の口元に持っていった。
舐める程度の少しのご飯を父は懸命に噛んでいた。
「おいしいよ」
父はそう言いながら一筋の涙を流した。
その涙を見た私たち家族はついに堪えきれなくなり、
父に抱きついて泣いた。
「お父さん仮病だよね?卵かけご飯が食べたいから、
病気のふりをしているんだよね」
私は父に聞いた。
「そうだったらなぁ・・・・・。そうだったらいいな・・・・・」
頼りない声で父ははそう言った。
父のこの病気が仮病であったらいい・・・・・・。
どうか、神様、仮病でありますように・・・・・。
家族の誰もがそう祈った。
その翌日、父は静かに息をひきとった。
父が最後の晩餐に卵かけご飯を選んだのは、
子供の頃、仮病を使って卵かけご飯を食べたように、
この病気も嘘であったら・・・・・と言う一筋の願いからだったのかもしれない。
父が他界して以来、私は卵かけご飯の食べなかった。
父を思い出し切なくなるからだ。
父の5回目の命日、私は卵かけご飯を作った。
箸を口に運び、ご飯を舌に乗せた瞬間、
目頭が熱くなってきた。
私は食べかけの卵かけご飯を、父の仏壇にそっと供えた。
そういえば卵かけご飯も長い間食べていません。
今夜あたりいただくとしょうか、そんなことを思っていますが、
お漬物と味噌汁の一汁一菜で事が済みそうでシンプルな夕食に
なりそうです。
明日から3連休、11日は消防の出初式、12日は成人式と
行事があります、新年会はパラパラ、会議はそれなりに・・・・。
Posted by いとう茂 at
12:48
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