2015年01月18日
抜粋のつづり⑥
「1本を踏み出して」
1ヶ月後に結婚式をあげたいんです、そんなお電話をいただいたのは
今から10年前,私がウェディングプランナーになって、
まだ2年目の事でした。
新婦のお父様は末期ガンで余命1ヵ月、お母様が居られず、
ご自分は男手1つで育ててくれたお父様にどうしても
花嫁姿を見せてあげたいとの事でした。
結婚式は通常、半年から1年かけて準備をするのですが、
私は事情を伺い絶対に花嫁姿を見ていただきましょうと、
お約束してすぐ準備にかかりました。
ところが翌日、新婦はその予約をキャンセルされたのです。
お医者様から改めてお話があり、お父様はあと2週間位しか
持たないと言われたそうなのです。
「1か月では間に合わないのであきらめようと思います」
受話器を置いたあと釈然としない思いが胸を覆いました。
本当にこれでいいのだろうか、私はもともと情に薄いタイプの人間でした。
それまで他人と、それまで人と深く関わり心の底から感動したり
嬉しい涙を流したりした経験は皆無でした。
当時、社会的にほとんど認知されていなかったウェディングプランナーと
言う仕事を選んだのはこの仕事を通じて有賀さんという名前を呼ばれて
感謝されるような働き方をしたいと言う思いがあったからです。
考えた末、私はその新婦に病室での式を提案させていただきました。
人の命が関わっており、これが私にはとても気の重い仕事でした。
けれども人としてぜひこの仕事をお引き受けしたい、
ここで何かをすれば何かが変わるかもしれない、
そう考えて社長に直訴し、新婦もその提案を大変喜んでくださったのです。
ところが非情にもお父様は挙式を翌日に控えて天に召されました。
どうして神様はあと一日待ってくれなかったのだろう、
悔しい思いとともに、後悔の念が胸を突き上げてきました。
余計なことをして皆様を傷つけてしまった。
なんとお詫び申し上げるべきだろう・・・・・。
ご連絡をためらっている所へ新婦から思いのほか明るい声で電話がかかってきました。
葬儀は無事終わり入籍も済ませたので真っ先に私に報告したかったとおっしゃるのです。
「父親に花嫁姿を見せられませんでしたが、おかげで式のために集まった
皆さんに見守られて父は逝くことができました。
きっかけをいただいた有賀さんは、私たちの恩人です」
初めて自分の意思で1歩踏み出した結果、
思いがけず頂いた感謝の言葉。
私は頬を濡らして受話器を握りしめました。
就職した12年前は、結婚式とはこういうものと言う固定観念がまだ根強く残っていました。
型通りに進行されるプログラムの中で普段は個性的な新郎新婦も、
借りてきた猫のようにおとなしくなり式場で流される涙も想定内の物でしかありませんでした。
せっかく高いお金を払っていただくのだからもっと楽しく盛り上がるものにしたい。
素人の強みからケーキカットの場所や順番など、
これまでの決まり事を次々と変え、時には事前の打ち合わせにない
サプライズの要素も取り入れ、お客様から大きな反響をいただきました。
もちろん、ただ奇をてらえば良いというものではありません。
新郎新婦にとって意味があり喜んでいただけるものでなければ
逆にクレームとなります、そのヒントを探るため打ち合わせの段階から
新郎新婦のちょっとした言葉や表情の動きにも神経をめぐらせるのです。
気がつけば、これまでに関わらせていただいた式は1,000組以上にもなり
印象的なエピソードをこのほど自著「大切な人に会いたくなる結婚式の物語」に綴りました。
けれどもこのウェディングプランナーと言う仕事はいくら経験を積んでも
ベテランになれない仕事だと実感しています。
お二人の歩みや家ご家族との関わり方など、どの組をとっても同じケースはないからです。
良いアイディアが浮かばず逃げ出したくなることもしばしばです。
それでもこの仕事を続けているのは、人見知りで深い人間関係の築けなかった私が、
この仕事を通して人様の人生に親身に関われるまでに成長できたこと、
そして式が終わるたびに「ありがとう」の言葉をいただけるからです。
冒頭にご紹介した新婦については、喪が明けた後に改めて式のお手伝いを
させていただくことになりました。
式は天国のお父様にも見ていただけるようガーデンで行うことになりましたが、
当日はあいにくの雨。
浮かない表情の新郎新婦の傍で私たちスタッフは準備を進めつつどうか晴れますようにと
心の中で懸命に祈りました、するとどうでしょう予定の15分前に
雨はピタリとやみ、式は無事取り行われたのです。
「奇跡がおきましたね」
新郎新婦にそうお声掛けした時、お二人からいただいた言葉に思わず涙があふれました。
「いえ、私たちにとっての奇跡は有賀さんに出会えた事です」
仕事で悩む時、迷う時、あの感動が今も私を支え、
後押ししてくれます。
これから手を携えて人生を歩んでいかれる新郎新婦のために
「ありがとう」と喜んでいただける思い出に残るひとときを創ってまいりたいと思います。
両親が健在の中、めでたく、下の娘も結婚しました。
時々、顔を見せますが元気で仲良くやっているようで
安心しています。
親の責任は果たしたつもりで、あとは自分たちで
独立した家庭を築いてもらえたらと思います。
この土日は何かと予定が詰まっています。
明日からも会議が詰まっています、明日は採血車が
市役所に来ますので午前中に献血を済ませて
午後からは商工会議所の正副部会長と関係議員の会合、
火曜日は長浜で議員研修会、木曜日は北消防署の視察と
教育厚生委常任委員会と総務常任委員会の合同審査会、
金曜日は政策検討会議があります。
日曜日は午前中は近江大橋の上にいます。
レイクマラソンの立哨です、どうぞ暖かい日でありますように。
午後からは月例の勉強会です。
2月通常会議を控えていますが何かと多忙です。
1ヶ月後に結婚式をあげたいんです、そんなお電話をいただいたのは
今から10年前,私がウェディングプランナーになって、
まだ2年目の事でした。
新婦のお父様は末期ガンで余命1ヵ月、お母様が居られず、
ご自分は男手1つで育ててくれたお父様にどうしても
花嫁姿を見せてあげたいとの事でした。
結婚式は通常、半年から1年かけて準備をするのですが、
私は事情を伺い絶対に花嫁姿を見ていただきましょうと、
お約束してすぐ準備にかかりました。
ところが翌日、新婦はその予約をキャンセルされたのです。
お医者様から改めてお話があり、お父様はあと2週間位しか
持たないと言われたそうなのです。
「1か月では間に合わないのであきらめようと思います」
受話器を置いたあと釈然としない思いが胸を覆いました。
本当にこれでいいのだろうか、私はもともと情に薄いタイプの人間でした。
それまで他人と、それまで人と深く関わり心の底から感動したり
嬉しい涙を流したりした経験は皆無でした。
当時、社会的にほとんど認知されていなかったウェディングプランナーと
言う仕事を選んだのはこの仕事を通じて有賀さんという名前を呼ばれて
感謝されるような働き方をしたいと言う思いがあったからです。
考えた末、私はその新婦に病室での式を提案させていただきました。
人の命が関わっており、これが私にはとても気の重い仕事でした。
けれども人としてぜひこの仕事をお引き受けしたい、
ここで何かをすれば何かが変わるかもしれない、
そう考えて社長に直訴し、新婦もその提案を大変喜んでくださったのです。
ところが非情にもお父様は挙式を翌日に控えて天に召されました。
どうして神様はあと一日待ってくれなかったのだろう、
悔しい思いとともに、後悔の念が胸を突き上げてきました。
余計なことをして皆様を傷つけてしまった。
なんとお詫び申し上げるべきだろう・・・・・。
ご連絡をためらっている所へ新婦から思いのほか明るい声で電話がかかってきました。
葬儀は無事終わり入籍も済ませたので真っ先に私に報告したかったとおっしゃるのです。
「父親に花嫁姿を見せられませんでしたが、おかげで式のために集まった
皆さんに見守られて父は逝くことができました。
きっかけをいただいた有賀さんは、私たちの恩人です」
初めて自分の意思で1歩踏み出した結果、
思いがけず頂いた感謝の言葉。
私は頬を濡らして受話器を握りしめました。
就職した12年前は、結婚式とはこういうものと言う固定観念がまだ根強く残っていました。
型通りに進行されるプログラムの中で普段は個性的な新郎新婦も、
借りてきた猫のようにおとなしくなり式場で流される涙も想定内の物でしかありませんでした。
せっかく高いお金を払っていただくのだからもっと楽しく盛り上がるものにしたい。
素人の強みからケーキカットの場所や順番など、
これまでの決まり事を次々と変え、時には事前の打ち合わせにない
サプライズの要素も取り入れ、お客様から大きな反響をいただきました。
もちろん、ただ奇をてらえば良いというものではありません。
新郎新婦にとって意味があり喜んでいただけるものでなければ
逆にクレームとなります、そのヒントを探るため打ち合わせの段階から
新郎新婦のちょっとした言葉や表情の動きにも神経をめぐらせるのです。
気がつけば、これまでに関わらせていただいた式は1,000組以上にもなり
印象的なエピソードをこのほど自著「大切な人に会いたくなる結婚式の物語」に綴りました。
けれどもこのウェディングプランナーと言う仕事はいくら経験を積んでも
ベテランになれない仕事だと実感しています。
お二人の歩みや家ご家族との関わり方など、どの組をとっても同じケースはないからです。
良いアイディアが浮かばず逃げ出したくなることもしばしばです。
それでもこの仕事を続けているのは、人見知りで深い人間関係の築けなかった私が、
この仕事を通して人様の人生に親身に関われるまでに成長できたこと、
そして式が終わるたびに「ありがとう」の言葉をいただけるからです。
冒頭にご紹介した新婦については、喪が明けた後に改めて式のお手伝いを
させていただくことになりました。
式は天国のお父様にも見ていただけるようガーデンで行うことになりましたが、
当日はあいにくの雨。
浮かない表情の新郎新婦の傍で私たちスタッフは準備を進めつつどうか晴れますようにと
心の中で懸命に祈りました、するとどうでしょう予定の15分前に
雨はピタリとやみ、式は無事取り行われたのです。
「奇跡がおきましたね」
新郎新婦にそうお声掛けした時、お二人からいただいた言葉に思わず涙があふれました。
「いえ、私たちにとっての奇跡は有賀さんに出会えた事です」
仕事で悩む時、迷う時、あの感動が今も私を支え、
後押ししてくれます。
これから手を携えて人生を歩んでいかれる新郎新婦のために
「ありがとう」と喜んでいただける思い出に残るひとときを創ってまいりたいと思います。
両親が健在の中、めでたく、下の娘も結婚しました。
時々、顔を見せますが元気で仲良くやっているようで
安心しています。
親の責任は果たしたつもりで、あとは自分たちで
独立した家庭を築いてもらえたらと思います。
この土日は何かと予定が詰まっています。
明日からも会議が詰まっています、明日は採血車が
市役所に来ますので午前中に献血を済ませて
午後からは商工会議所の正副部会長と関係議員の会合、
火曜日は長浜で議員研修会、木曜日は北消防署の視察と
教育厚生委常任委員会と総務常任委員会の合同審査会、
金曜日は政策検討会議があります。
日曜日は午前中は近江大橋の上にいます。
レイクマラソンの立哨です、どうぞ暖かい日でありますように。
午後からは月例の勉強会です。
2月通常会議を控えていますが何かと多忙です。
Posted by いとう茂 at
14:22
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