2015年01月20日
木にまつわる言葉
議員の控え室からは京阪の線路に沿って植えられたケヤキと
イチョウの木が正面に見え、右には大津商業の桜が見えます。
春は満開の桜、初夏には若い息吹を感じる若葉、夏には
濃い緑葉、秋には燃えるような黄葉、紅葉、冬は凛とした裸木。
四季折々に目を楽しませてくれます。
「木」で思い出す言葉を考えると・・・・。
「倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る」
管子の中におさめられている言葉です、管仲と言う人の言葉だと言われて
いますが、管子のすべてを管仲が書いたものではないという説もあり
定かではありません。
管仲は孔子よりも100年以上前の人だったと思います。
孔子は性善説ですが、管仲は老子や荘子と同じく性悪説を唱えた人です。
倉廩(そうりん)とは食べ物を入れておく倉のことで、一般的には
衣食足りて礼節を知る、と言う方がピンとくるかもしれません。
管仲と仲の良かった幼馴染に鮑淑牙(ほうしゅくが)と言う人がいます。
二人の仲の良かったことのたとえで「管鮑の交わり」と言う言葉もあります、
これは、刎頚の友、断金の交わり、金襴の契り、竹馬の友、莫逆の友・・・・・
それらと同義語ですがあまり耳にしません。
仲の良かった二人が、ある時に敵味方に分かれて戦をします、
勝ったのは管仲側で、鮑淑牙の才能と友情を重んじた管仲が
宰相に鮑淑牙の命乞いをして、事なきを得、その後、鮑淑牙は
宰相にまで上り詰めますが管仲はその下で鮑淑牙を支えたと言います。
そうした二人を見て巷の人が管鮑の交わりと言ったようです。
ちなみに、管仲の家は裕福でしたが鮑淑牙の家は母は一人の
貧乏な家だったそうです。
その管仲の言葉に。
「一年の計は穀を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)く、
十年の計は木を樹うるに如くは莫く、
終身の計は人を樹うるに如くは莫し」
と言うものがあります、私はこの計を結果と勝手に理解しています。
1年で結果を出すなら穀物を植えなさい、10年で結果を出すなら
木を植えなさい、人づくりは一生と言う長い時間がかかる。
その他に、昔、学校で習ったルターの言葉で
「たとえ明日、世界が滅びようとも
私は今日リンゴの木を植える」
というのもありました、これも独訳ですが、自分のやるべきことは
どんな時でもやりぬくと解釈しています。
もう一つ、同じような意味ですが、昔に読んだ本で「木を植えた人」
舞台は外国だったと思います、アメリカではなくヨーロッパだった・・・・?
荒れ地を開墾して黙々と樫だったかドングリだったかを植え続ける人の話でした。
本棚にあるか探して見つかればもう一度読み返してみようかと・・・・・。
今日は、これから長浜に行ってきます、滋賀県の議長会主催の
研修会です、大津市議会もほぼ全員出席です。
昨夜は商工会議所の正副部会長、関係議員の会合の後
懇親会がありましたが、二次会の誘いも断り8時過ぎに帰宅しました。
疲れていたのか珍しく10時過ぎには夢の中でした。
いつもは睡眠時間が5時間ほどですが昨夜は8時間以上、
朝6時30分までぐっすり寝て、緑のお爺さんも快調でした。
昨日、献血に行って採血の間に日赤の看護師さんに前々回と
前回の献血者の数を尋ねると、前々回は50人くらいだったのが
前回は80人以上だったということでした。
これは9月の通常会議で職員の職務専念義務から献血が
はずされ、それまでは時間休をとって献血に行っていたのが
上司の許可だけで協力できるようになったためで、多くの
職員が献血に協力してくれています。
日常の業務のほかに見えない所で献血に協力して
人助けをする、当然と言う人もあるかもしれませんが、
私は立派なことだと思います。
特に若者の献血離れが問題になっていますので、
定期的に献血に協力する習慣を身に付けていただければと思います。
イチョウの木が正面に見え、右には大津商業の桜が見えます。
春は満開の桜、初夏には若い息吹を感じる若葉、夏には
濃い緑葉、秋には燃えるような黄葉、紅葉、冬は凛とした裸木。
四季折々に目を楽しませてくれます。
「木」で思い出す言葉を考えると・・・・。
「倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る」
管子の中におさめられている言葉です、管仲と言う人の言葉だと言われて
いますが、管子のすべてを管仲が書いたものではないという説もあり
定かではありません。
管仲は孔子よりも100年以上前の人だったと思います。
孔子は性善説ですが、管仲は老子や荘子と同じく性悪説を唱えた人です。
倉廩(そうりん)とは食べ物を入れておく倉のことで、一般的には
衣食足りて礼節を知る、と言う方がピンとくるかもしれません。
管仲と仲の良かった幼馴染に鮑淑牙(ほうしゅくが)と言う人がいます。
二人の仲の良かったことのたとえで「管鮑の交わり」と言う言葉もあります、
これは、刎頚の友、断金の交わり、金襴の契り、竹馬の友、莫逆の友・・・・・
それらと同義語ですがあまり耳にしません。
仲の良かった二人が、ある時に敵味方に分かれて戦をします、
勝ったのは管仲側で、鮑淑牙の才能と友情を重んじた管仲が
宰相に鮑淑牙の命乞いをして、事なきを得、その後、鮑淑牙は
宰相にまで上り詰めますが管仲はその下で鮑淑牙を支えたと言います。
そうした二人を見て巷の人が管鮑の交わりと言ったようです。
ちなみに、管仲の家は裕福でしたが鮑淑牙の家は母は一人の
貧乏な家だったそうです。
その管仲の言葉に。
「一年の計は穀を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)く、
十年の計は木を樹うるに如くは莫く、
終身の計は人を樹うるに如くは莫し」
と言うものがあります、私はこの計を結果と勝手に理解しています。
1年で結果を出すなら穀物を植えなさい、10年で結果を出すなら
木を植えなさい、人づくりは一生と言う長い時間がかかる。
その他に、昔、学校で習ったルターの言葉で
「たとえ明日、世界が滅びようとも
私は今日リンゴの木を植える」
というのもありました、これも独訳ですが、自分のやるべきことは
どんな時でもやりぬくと解釈しています。
もう一つ、同じような意味ですが、昔に読んだ本で「木を植えた人」
舞台は外国だったと思います、アメリカではなくヨーロッパだった・・・・?
荒れ地を開墾して黙々と樫だったかドングリだったかを植え続ける人の話でした。
本棚にあるか探して見つかればもう一度読み返してみようかと・・・・・。
今日は、これから長浜に行ってきます、滋賀県の議長会主催の
研修会です、大津市議会もほぼ全員出席です。
昨夜は商工会議所の正副部会長、関係議員の会合の後
懇親会がありましたが、二次会の誘いも断り8時過ぎに帰宅しました。
疲れていたのか珍しく10時過ぎには夢の中でした。
いつもは睡眠時間が5時間ほどですが昨夜は8時間以上、
朝6時30分までぐっすり寝て、緑のお爺さんも快調でした。
昨日、献血に行って採血の間に日赤の看護師さんに前々回と
前回の献血者の数を尋ねると、前々回は50人くらいだったのが
前回は80人以上だったということでした。
これは9月の通常会議で職員の職務専念義務から献血が
はずされ、それまでは時間休をとって献血に行っていたのが
上司の許可だけで協力できるようになったためで、多くの
職員が献血に協力してくれています。
日常の業務のほかに見えない所で献血に協力して
人助けをする、当然と言う人もあるかもしれませんが、
私は立派なことだと思います。
特に若者の献血離れが問題になっていますので、
定期的に献血に協力する習慣を身に付けていただければと思います。
Posted by いとう茂 at
11:09
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