2015年03月26日
こんな時こそ
この前、本屋で「むのたけじ」という人の本を買いました。
90何歳というサブタイトルがついた日記です。
月ごとにテーマがあり短いリード文がついた新書です。
そのリードのいくつかが腑に落ちてカウンターに行った次第です。
リードの中に「じっくり考えることは時間の節約になる」と
いうのがありました。
自己判断ですが、性格は結構、短気でいらち、辛気臭いことは大嫌い、
イライラすることが多い最近ですので、この言葉が余計に身にしみます。
昔に「忙しい、忙しいは怠け者の言い訳」という話を聞いたことがあります、
忙しいと思うのもゆったりと思うのも自分の心次第です。
今日はこれとこれを何時までにしないといけない、自分にプレッシャーをかけて
励みにするタイプなので、自分の予定通りに事が運ばないと、ついイライラ、
それでストレスが溜まることもあります。
予定を立てるにもじっくり時間をかけて、どこから手をつけるか優先順位を
しっかり考える、何事も予定通りに進まないのが世の常ですので、
想定外のことが起こることも考慮に入れてゆとりある計画を立てる。
そのことは自分の足で四国を歩いて身にしみているはずなのに、
学習能力が低い自分がいます。
難しいことは簡単に考え、簡単なことは難しく考えることも必要だと
人前で言っていた自分もいます。
動こうと決めたのなら動く前に時間が必要、この本はそんなことを
改めて言い聞かせてくれているようで・・・・・。
今日は暖かい一日でした、テクテクと膳所のまちを回っていました。
市民の方も選挙が近いことをご存知で「がんばってや」と
声を掛けていただくこともありました。
周囲の人たちも私のことを思って、いろんなことを言ってくれます、
中には右と左、まったく違う意見もあります、どちらを選ぶかの決断は私です。
選挙だけでなく人生そのものをじっくり考える、目前に忙しくなる
時期が迫っているか、こんな時だからこそ・・・・・です。
90何歳というサブタイトルがついた日記です。
月ごとにテーマがあり短いリード文がついた新書です。
そのリードのいくつかが腑に落ちてカウンターに行った次第です。
リードの中に「じっくり考えることは時間の節約になる」と
いうのがありました。
自己判断ですが、性格は結構、短気でいらち、辛気臭いことは大嫌い、
イライラすることが多い最近ですので、この言葉が余計に身にしみます。
昔に「忙しい、忙しいは怠け者の言い訳」という話を聞いたことがあります、
忙しいと思うのもゆったりと思うのも自分の心次第です。
今日はこれとこれを何時までにしないといけない、自分にプレッシャーをかけて
励みにするタイプなので、自分の予定通りに事が運ばないと、ついイライラ、
それでストレスが溜まることもあります。
予定を立てるにもじっくり時間をかけて、どこから手をつけるか優先順位を
しっかり考える、何事も予定通りに進まないのが世の常ですので、
想定外のことが起こることも考慮に入れてゆとりある計画を立てる。
そのことは自分の足で四国を歩いて身にしみているはずなのに、
学習能力が低い自分がいます。
難しいことは簡単に考え、簡単なことは難しく考えることも必要だと
人前で言っていた自分もいます。
動こうと決めたのなら動く前に時間が必要、この本はそんなことを
改めて言い聞かせてくれているようで・・・・・。
今日は暖かい一日でした、テクテクと膳所のまちを回っていました。
市民の方も選挙が近いことをご存知で「がんばってや」と
声を掛けていただくこともありました。
周囲の人たちも私のことを思って、いろんなことを言ってくれます、
中には右と左、まったく違う意見もあります、どちらを選ぶかの決断は私です。
選挙だけでなく人生そのものをじっくり考える、目前に忙しくなる
時期が迫っているか、こんな時だからこそ・・・・・です。
Posted by いとう茂 at
19:15
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2015年03月25日
Spring
今日は朝の内は雨でしたが、太陽が上がるにつれて
ポカポカした天気になってきました。
春が来た 春が来た・・・・・
そんな童謡もありましたが、3月もあと1週間です。
この月の終わりから来月の初めは桜の開花情報が
全国から届きます、桜の時期はあっという間に終わり、
統一地方選挙、それが終わるともう5月になります。
クールビズが始まるのも5月、後、一月ちょっとです。
昨日、ホテルの窓から琵琶湖を眺めていると、水鳥の数が
かなり少なくなっていました、この前水しぶきを上げて低空で移動していた
水鳥も北へ帰ったのでしょうか。
毎年のこととは言え長くて辛い旅立ちです、途中で力尽きる
鳥もいるでしょう、誰に教えてもらったわけでもないのに風の
抵抗を考えて三角形の形で飛んでいきます。
頂点にいる鳥が一番体力のない鳥だと聞いたことがあります。
力のある鳥にすれば、もっと速く飛びたいかもしれませんが、
全体が生き残るための最善の手段です。
一人は全体のために、全体は一人のために、
人間社会でこうした大移動をすれば力のない人は後ろに置いて
いかれ、力のある人はどんどん前に行ってしまう気がします。
思いやりとかいたわりということではなく、我を捨てる、
みんなで生きるというためには、そんなことも必要な気がします。
駐車場の隅にアザミが蕾をつけました。
子どもの頃はどこにでも自生していました、細かいとげに
刺されて痛い思いを何度もした記憶があります。
少しだけアザミのことを調べました。
「別名刺草。名前の由来は、アザム〈傷つける、驚きあきれる意〉
がもとで、花を折ろうとするととげに刺されて驚くからという説がある。」
ということで、私だけでなく誰でも刺されるようです。
「花言葉の「独立」「報復」は、アザミの葉や総苞(ツボミ)の
トゲにより国土を守ったとされるスコットランドの言い伝えに
由来するといわれます。「触れないで」の花言葉もアザミのトゲにちなみます。」
少し賢くなりました。
アザミが野草か雑草かは知りません、ちなみに野草は人間が
管理していない所に生える植物で雑草は庭や畑、道端など
人間が管理しているところに生える植物です。
どちらにも生えていますので・・・・・・。
やられたらやり返す、自分からは攻撃はしない、だから触れないで、
触ったら報復するよ、よく分かる花言葉です。
アザミの精神も、何となく気に入りそうです。
気分がそんなところに流れているからでしょうか。
ポカポカした天気になってきました。
春が来た 春が来た・・・・・
そんな童謡もありましたが、3月もあと1週間です。
この月の終わりから来月の初めは桜の開花情報が
全国から届きます、桜の時期はあっという間に終わり、
統一地方選挙、それが終わるともう5月になります。
クールビズが始まるのも5月、後、一月ちょっとです。
昨日、ホテルの窓から琵琶湖を眺めていると、水鳥の数が
かなり少なくなっていました、この前水しぶきを上げて低空で移動していた
水鳥も北へ帰ったのでしょうか。
毎年のこととは言え長くて辛い旅立ちです、途中で力尽きる
鳥もいるでしょう、誰に教えてもらったわけでもないのに風の
抵抗を考えて三角形の形で飛んでいきます。
頂点にいる鳥が一番体力のない鳥だと聞いたことがあります。
力のある鳥にすれば、もっと速く飛びたいかもしれませんが、
全体が生き残るための最善の手段です。
一人は全体のために、全体は一人のために、
人間社会でこうした大移動をすれば力のない人は後ろに置いて
いかれ、力のある人はどんどん前に行ってしまう気がします。
思いやりとかいたわりということではなく、我を捨てる、
みんなで生きるというためには、そんなことも必要な気がします。
駐車場の隅にアザミが蕾をつけました。
子どもの頃はどこにでも自生していました、細かいとげに
刺されて痛い思いを何度もした記憶があります。
少しだけアザミのことを調べました。
「別名刺草。名前の由来は、アザム〈傷つける、驚きあきれる意〉
がもとで、花を折ろうとするととげに刺されて驚くからという説がある。」
ということで、私だけでなく誰でも刺されるようです。
「花言葉の「独立」「報復」は、アザミの葉や総苞(ツボミ)の
トゲにより国土を守ったとされるスコットランドの言い伝えに
由来するといわれます。「触れないで」の花言葉もアザミのトゲにちなみます。」
少し賢くなりました。
アザミが野草か雑草かは知りません、ちなみに野草は人間が
管理していない所に生える植物で雑草は庭や畑、道端など
人間が管理しているところに生える植物です。
どちらにも生えていますので・・・・・・。
やられたらやり返す、自分からは攻撃はしない、だから触れないで、
触ったら報復するよ、よく分かる花言葉です。
アザミの精神も、何となく気に入りそうです。
気分がそんなところに流れているからでしょうか。
Posted by いとう茂 at
12:42
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2015年03月24日
明日から春休み
いよいよ明日から春休みです、9月18日から始めた緑のお爺さんも
明日から4月7日までお休み、通学する子どもたちに「今日で終わりやね」
そう言うと「うん」とうなずいて嬉しそうに学校に向かいました。
自分が子どもの頃は春休みは宿題がなく、短いながらも
制限がない時間がとても嬉しかったのを覚えています。
大人の社会ではこうした制限がない時間がほとんどありません、
5月のゴールデンウイーク、お盆と正月にまとまった休みが
普通はありますが、墓参り、帰省、家族旅行など行事が入るか
自分でスキルアップのために習い事に出かけたりと、
どこか制限があります、ボンヤリと時間を過ごしていようものなら、
時間がもったいないから何かしょうと周囲から急き立てられたりします。
春の陽だまりに寝転んで流れる雲をずっと見ていたい。
そんな夢のような時間が来るのはまだまだ先です、
その前にしなければいけないことが・・・・・・。
1年の締めくくりの成績表はどうだったのでしょう。
これも大人の社会ではありません、評価は職責や給料に
反映されますが成績表という形ではもらえないのがほとんどです。
議員は過去の仕事が評価され次の選挙で審判を受ける、
そんな時期が近づいてきました。
明日は二度目の予備審査です、不足していた書類もそろい、
立候補に必要な書類が完成。
今日湖岸道路を走っているとなぎさ公園に桜が咲いていました、
彼岸桜でしょうか、この前の通常会議で膳所公園の桜について
質問をしました、そのために事前に桜についても自分なりに
調べました、彼岸桜は寿命が長く、1000年を超えるものもありますが、
ソメイヨシノは6・7十年、中には120年を越すものもあるということですが、
正確にはわかっていないようです。
江戸時代に東京の染井村で交配された桜で吉野桜といわれていたのが、
地名が入ってソメイヨシノになっています。
交配種ということでクローン、同じ性格を持っていますので病気にかかると
次から次と感染していきます。
花が咲き出すのが幼木からということで人々に受け入れられた
のも、いたるところにソメイヨシノがある理由ですが、大阪や東京などの
大都市は先の戦争で空襲にあっていますので、植えられたのは戦争後に
なります、寿命が6・70年ですのでそろそろリミットです。
そんな理由で膳所公園の桜についても質問をしたのですが、
もうひとつ満足できる答弁ではありませんでしたので、次のステージがあるのなら
改めて質問をしたいと思います。
次のステージのために春休み返上で顔晴れ(がんばれ)です。
明日から4月7日までお休み、通学する子どもたちに「今日で終わりやね」
そう言うと「うん」とうなずいて嬉しそうに学校に向かいました。
自分が子どもの頃は春休みは宿題がなく、短いながらも
制限がない時間がとても嬉しかったのを覚えています。
大人の社会ではこうした制限がない時間がほとんどありません、
5月のゴールデンウイーク、お盆と正月にまとまった休みが
普通はありますが、墓参り、帰省、家族旅行など行事が入るか
自分でスキルアップのために習い事に出かけたりと、
どこか制限があります、ボンヤリと時間を過ごしていようものなら、
時間がもったいないから何かしょうと周囲から急き立てられたりします。
春の陽だまりに寝転んで流れる雲をずっと見ていたい。
そんな夢のような時間が来るのはまだまだ先です、
その前にしなければいけないことが・・・・・・。
1年の締めくくりの成績表はどうだったのでしょう。
これも大人の社会ではありません、評価は職責や給料に
反映されますが成績表という形ではもらえないのがほとんどです。
議員は過去の仕事が評価され次の選挙で審判を受ける、
そんな時期が近づいてきました。
明日は二度目の予備審査です、不足していた書類もそろい、
立候補に必要な書類が完成。
今日湖岸道路を走っているとなぎさ公園に桜が咲いていました、
彼岸桜でしょうか、この前の通常会議で膳所公園の桜について
質問をしました、そのために事前に桜についても自分なりに
調べました、彼岸桜は寿命が長く、1000年を超えるものもありますが、
ソメイヨシノは6・7十年、中には120年を越すものもあるということですが、
正確にはわかっていないようです。
江戸時代に東京の染井村で交配された桜で吉野桜といわれていたのが、
地名が入ってソメイヨシノになっています。
交配種ということでクローン、同じ性格を持っていますので病気にかかると
次から次と感染していきます。
花が咲き出すのが幼木からということで人々に受け入れられた
のも、いたるところにソメイヨシノがある理由ですが、大阪や東京などの
大都市は先の戦争で空襲にあっていますので、植えられたのは戦争後に
なります、寿命が6・70年ですのでそろそろリミットです。
そんな理由で膳所公園の桜についても質問をしたのですが、
もうひとつ満足できる答弁ではありませんでしたので、次のステージがあるのなら
改めて質問をしたいと思います。
次のステージのために春休み返上で顔晴れ(がんばれ)です。
Posted by いとう茂 at
16:17
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2015年03月23日
抜粋のつづり 74集
「森信三と言う素晴らしい教育哲学者がいる」
そんな話を伝え聞いたのは昭和52年、私が福岡の教育委員会で
指導主事を務めていた時でした。
当時は全国各地に校内暴力の嵐が吹き荒れ教育の荒廃が
深刻化していました、私の地元でも生徒がトイレを壊したり
教室のガラスを叩き割ったりするような中学校が何校もあり
教育をいかに基本から立て直すかということが喫緊の課題に
なっていました。
森先生が福岡の仁愛保育園で母親を対象にお話しをされると
聞いた私は、早速聴講させていただくことにしました。
驚いたのは、そこでは大の哲学者が、
「呼ばれたら大きな声でハイと返事をしましょう、ハイと言う返事が
人間の我を断つのです」
と、実に単純極まりないことを熱心に説かれていたのです。
「腰骨立てましょう腰骨イコール主体で、腰骨を立てない限り
真の人間にはなれません」
「しつけの3大原則というものがあります」
1朝の挨拶をする子
2ハイとはっきり返事ができる子に
3席を立ったら必ず椅子を入れ、履物を脱いだら必ず揃える子に
人間を作っていく上での基本を見事にとらえたお話に、
目から鱗が落ちる思いがしました。
人生を変える出逢いを果たしたのは師が82歳私が47歳の時でした。
衝撃を受けた私は、入手困難だった森先生の全集25巻を東京の古本屋に
求め当時のお金で40万円の大枚をはたいて入手しました。
そこに記されていた言葉は一言一句が強烈に心に響き、
重要と思われるところに朱線を引きながら再読を繰り返すうちに、
全文真っ赤に染まりました。
また森先生が来福されるたびに私は案内役を務め、
ご講演先に随行して先生の教育哲学を一生懸命に吸収しました。
先生が学校を訪れる際に必ず見ていかれるのが下駄箱でした、
子供たちの履物の揃え方にはその学校の程度が如実に現れることを教わりました。
ご講話の前でもガヤガヤと騒がしい学校では、生徒たちを1メートル間隔に座らせて
あっという間に私語を封じ込められたのには驚かされました。
先生の教えが私の心をとらえて離さなかったのは、
その内容の素晴らしさはもとより、それら1つ1つがすべて実践に裏打ちされており、
ご自身の体にはまり込んでいたからだと思います。
今でも忘れられ忘れられないのは、一日の講演が終わり中洲で
夕食をご一緒した帰りに近くの那珂川を散歩していたときのことでした。
あたりにたくさんの紙屑やゴミが落ちているのをご覧になり先生はおもむろに、
それらを素手で拾い始められたのです。
私たち同伴の一行もしばらく先生に従い紙屑を拾いましたが、
一区切りついたところで森先生はこうおっしゃいました。
「紙屑はその国の文化の象徴ですからね」
私には紙屑はその街の文化の象徴と言われたようで大変恥ずかしい
思いがしました、それを機に月に1度博多駅の早朝清掃を始め、
もう20年継続しています。
紙屑の教えは学校にも当てはまり、乱れた学校は決まって
規律が乱れ校内も汚れています。
私自身、生徒の半数が遅刻をする学校に赴任したことがあります、
問題は生徒ばかりでなく先生方まで遅刻をすると言う深刻な状況でした。
私は指導めいた事は一切せず、毎朝1番に登校すると、
森先生の教えにならってまず校長室の掃除を励行しました。
そこから隣の事務室、さらには保健室と日ごとに掃除場所を拡大して
いくにつれ、手伝ってくださる先生が現れ掃除の輪は全校に広がっていきました。
結局、1ヵ月もたたないうちに学校は規律を取り戻したのです。
森先生がお亡くなりになって早や20年以上が経ちます、
その後も私は様々な教育理論を学びましたが、いまだに森先生の
右に出るものに出会っていません、この頃では先生の謦咳に接した
方も少なくなり、その教えの真髄が忘れさられていくことが気がかりです。
教育の現場では今も挨拶や掃除の指導が行われていますが、
それらをただ口先だけで言い聞かせるだけでは決して子ども達の
訓導はできません、彼らの行く末を心底願って指導すること、
そして何よりもそれを説く指導者が自ら実践する人であること。
森先生の在りし日の姿を思い返すたびにその感を強くします。
私は現在83歳ですが妻に先立たれ1人暮らしを余儀なくされています、
人間には確固たる生きる目的が必要であることを痛感する日々ですが、
奇しくも森先生も同じ歳に独居生活を始められたことが大きな励みになっています。
既に現役を退いて久しい私ですが、今の自分の立場で少しでも
他人様のために尽くすことが日々の大きな目標です。
外で人に出会えばこちらから先に挨拶をし、道端に1つでもゴミが落ちていれば
それを拾う。
森信三先生の凛とした佇まいを思い描きながらそうした細やかな行いを
積み重ね実践の人の真髄を少しでも継承して行くことができれば幸いです
そんな話を伝え聞いたのは昭和52年、私が福岡の教育委員会で
指導主事を務めていた時でした。
当時は全国各地に校内暴力の嵐が吹き荒れ教育の荒廃が
深刻化していました、私の地元でも生徒がトイレを壊したり
教室のガラスを叩き割ったりするような中学校が何校もあり
教育をいかに基本から立て直すかということが喫緊の課題に
なっていました。
森先生が福岡の仁愛保育園で母親を対象にお話しをされると
聞いた私は、早速聴講させていただくことにしました。
驚いたのは、そこでは大の哲学者が、
「呼ばれたら大きな声でハイと返事をしましょう、ハイと言う返事が
人間の我を断つのです」
と、実に単純極まりないことを熱心に説かれていたのです。
「腰骨立てましょう腰骨イコール主体で、腰骨を立てない限り
真の人間にはなれません」
「しつけの3大原則というものがあります」
1朝の挨拶をする子
2ハイとはっきり返事ができる子に
3席を立ったら必ず椅子を入れ、履物を脱いだら必ず揃える子に
人間を作っていく上での基本を見事にとらえたお話に、
目から鱗が落ちる思いがしました。
人生を変える出逢いを果たしたのは師が82歳私が47歳の時でした。
衝撃を受けた私は、入手困難だった森先生の全集25巻を東京の古本屋に
求め当時のお金で40万円の大枚をはたいて入手しました。
そこに記されていた言葉は一言一句が強烈に心に響き、
重要と思われるところに朱線を引きながら再読を繰り返すうちに、
全文真っ赤に染まりました。
また森先生が来福されるたびに私は案内役を務め、
ご講演先に随行して先生の教育哲学を一生懸命に吸収しました。
先生が学校を訪れる際に必ず見ていかれるのが下駄箱でした、
子供たちの履物の揃え方にはその学校の程度が如実に現れることを教わりました。
ご講話の前でもガヤガヤと騒がしい学校では、生徒たちを1メートル間隔に座らせて
あっという間に私語を封じ込められたのには驚かされました。
先生の教えが私の心をとらえて離さなかったのは、
その内容の素晴らしさはもとより、それら1つ1つがすべて実践に裏打ちされており、
ご自身の体にはまり込んでいたからだと思います。
今でも忘れられ忘れられないのは、一日の講演が終わり中洲で
夕食をご一緒した帰りに近くの那珂川を散歩していたときのことでした。
あたりにたくさんの紙屑やゴミが落ちているのをご覧になり先生はおもむろに、
それらを素手で拾い始められたのです。
私たち同伴の一行もしばらく先生に従い紙屑を拾いましたが、
一区切りついたところで森先生はこうおっしゃいました。
「紙屑はその国の文化の象徴ですからね」
私には紙屑はその街の文化の象徴と言われたようで大変恥ずかしい
思いがしました、それを機に月に1度博多駅の早朝清掃を始め、
もう20年継続しています。
紙屑の教えは学校にも当てはまり、乱れた学校は決まって
規律が乱れ校内も汚れています。
私自身、生徒の半数が遅刻をする学校に赴任したことがあります、
問題は生徒ばかりでなく先生方まで遅刻をすると言う深刻な状況でした。
私は指導めいた事は一切せず、毎朝1番に登校すると、
森先生の教えにならってまず校長室の掃除を励行しました。
そこから隣の事務室、さらには保健室と日ごとに掃除場所を拡大して
いくにつれ、手伝ってくださる先生が現れ掃除の輪は全校に広がっていきました。
結局、1ヵ月もたたないうちに学校は規律を取り戻したのです。
森先生がお亡くなりになって早や20年以上が経ちます、
その後も私は様々な教育理論を学びましたが、いまだに森先生の
右に出るものに出会っていません、この頃では先生の謦咳に接した
方も少なくなり、その教えの真髄が忘れさられていくことが気がかりです。
教育の現場では今も挨拶や掃除の指導が行われていますが、
それらをただ口先だけで言い聞かせるだけでは決して子ども達の
訓導はできません、彼らの行く末を心底願って指導すること、
そして何よりもそれを説く指導者が自ら実践する人であること。
森先生の在りし日の姿を思い返すたびにその感を強くします。
私は現在83歳ですが妻に先立たれ1人暮らしを余儀なくされています、
人間には確固たる生きる目的が必要であることを痛感する日々ですが、
奇しくも森先生も同じ歳に独居生活を始められたことが大きな励みになっています。
既に現役を退いて久しい私ですが、今の自分の立場で少しでも
他人様のために尽くすことが日々の大きな目標です。
外で人に出会えばこちらから先に挨拶をし、道端に1つでもゴミが落ちていれば
それを拾う。
森信三先生の凛とした佇まいを思い描きながらそうした細やかな行いを
積み重ね実践の人の真髄を少しでも継承して行くことができれば幸いです
Posted by いとう茂 at
14:05
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2015年03月22日
四国遍路⑭
途切れ途切れの記憶をつなぎながらの四国遍路。
途切れずに札所をつないでいこうと思います。
次に行く計画も立たないままの回想です。
水井橋を渡り遍路道を進みます太龍寺までは
4キロ余り、休み休みでも2時間足らずで到着の予定、
でしたが・・・・・・。
どうも足取りが重い、11時過ぎですが昼食のおにぎりと
みかんを1個、お茶を少々、先ほどの東屋から20分も歩いていません。
予定では太龍寺の後12キロほど歩いて22番平等寺までですので
5時前にはゆっくり到着できます、が、太龍寺の上りで大苦戦。
少し歩いただけで汗の量がひどく多いのに気づきました、
お接待のみかんをもう一つ、これで水分は水筒だけになりました。
この日は四万十市で40度を超えた日で徳島でも38度でした。
どうも足取りが・・・・。
ここで悪夢がよみがえりました、最初に焼山寺に上った時、
13キロを8時間30分かかったことです、あの時も発汗量が多く
熱中症の一歩手前で、昼間なのに夕暮れのように薄暗い
感じでした、今回はそこまで入ってませんが、二歩くらい手前。
あと1キロくらいの所だったでしょうか、どうにも歩けません、
気分が悪くなりましたので、階段に座り荷物もおろし、靴も脱いで
放心状態です、時間を気にせず休むことに決めて息を整えますが
荒い息が収まりません、水筒のお茶も残りわずかです、
幸いなことは蚊がいないことです、蚊がいると休憩になりませんが、
いないのでゆっくり休めます。
後ろからは誰も来ません、山中にただ一人、死ぬ時はこんなもんか、
漠然としか考える力がなく、それでかえって救われる思いです。
携帯がつながるのかも確認することを忘れ、30分は休んだでしょう、
少し息も整ったので思い切って水筒のお茶を飲み干しました。
これで水分はなくなりました、着ているものは汗でびっしょりです。
そのせいで夏場だというのに冷えて寒い、明らかに異変が起きています。
それでも上らなくては、その気持ちだけで靴を履き荷物を背負い
上りだしますが10歩歩くのが精いっぱい、10歩で休憩、10歩で休憩。
休憩しているときに、ボーとした頭が何かを思い出しました。
ウエストバッグをゴソゴソ・・・・・。
ありました、鶴林寺でいただいたお接待の飴とチョコレート、
おにぎりを食べるほど気分はよくなっていませんが、飴なら
大丈夫、早速口に入れると甘さが一杯に広がります。
命拾いとはこういうことでしょう、1時間以上予定より遅れて
太龍寺の納経所の前に到着、すぐに自販機で水分補給、
飲んだしりから汗が落ちます、水筒にもお茶を補給し、スポーツドリンクを
もう1本、ここでも30分くらい固まっていました。
先に納経を済ませました、ここの天井には竜の絵が描かれていますが
それも見るのを忘れていました、明らかに集中力・注意力がなくなっています。
ここは予定変更、歩いて平等寺まではあきらめます。
お寺の隣に「山茶花」という民宿があり予約を入れようか迷っているうちに
体調が悪くなったので、ある意味助かりました。
この時間からキャンセルだと迷惑がかかりますから。
先に納経を済ませたのは、歩きならここに戻ってきますがロープウェイなら
お参りが済むとここには帰りません、予定変更はロープウェイとタクシーで
平等寺へということです。
読経も声がかすれています、足取りも重くロープウェイの乗り場へ行き、
タクシー会社の電話番号を尋ねると、そこからタクシーを頼んでくれました。
小さな親切が身に沁みます、ロープウェイはこれで3回目です、66番雲辺寺にも
ロープウェイはありますし、別格の箸蔵寺にもあります。
下に降りるとタクシーが待っていてくれました、平等寺まで楽をして
体も楽になりました、平等寺も無事にお参りが済みました。
体も戻り、新野駅まで歩き電車移動で23番薬王寺を目指します。
新野駅でも時間待ちです、その間に今夜の宿を探します。
薬王寺は日和佐にありますが、もう少し遠くまで電車移動と決め、
海部の「みなみ旅館」に電話を入れると泊れるということで一安心。
薬王寺は厄除けのお寺ということで男坂、女坂と名付けられた
階段を上って行きます、階段の両端には1円玉がいくつも置かれて
お参りの人の多いことがわかります。
お参りを済ませて日和佐駅に行くと40分ほど時間があります。
駅の横にある無料の足湯でのんびり、片手にはなぜかビールが・・・・・。
みなみ旅館は駅から5分余り想像していた通りの民宿で
料金もリーズナブル、ここから室戸岬までは1泊二日の行程です。
先を急ぐ遍路ではありませんが、暑さで今日のように体調を
崩してもいけないので始発で甲浦(かんのうら)まで行き、バスで
室戸の近くまで行って少し歩いて24番最御崎寺(ほつみさきじ)に
行くことにしました。
途切れずに札所をつないでいこうと思います。
次に行く計画も立たないままの回想です。
水井橋を渡り遍路道を進みます太龍寺までは
4キロ余り、休み休みでも2時間足らずで到着の予定、
でしたが・・・・・・。
どうも足取りが重い、11時過ぎですが昼食のおにぎりと
みかんを1個、お茶を少々、先ほどの東屋から20分も歩いていません。
予定では太龍寺の後12キロほど歩いて22番平等寺までですので
5時前にはゆっくり到着できます、が、太龍寺の上りで大苦戦。
少し歩いただけで汗の量がひどく多いのに気づきました、
お接待のみかんをもう一つ、これで水分は水筒だけになりました。
この日は四万十市で40度を超えた日で徳島でも38度でした。
どうも足取りが・・・・。
ここで悪夢がよみがえりました、最初に焼山寺に上った時、
13キロを8時間30分かかったことです、あの時も発汗量が多く
熱中症の一歩手前で、昼間なのに夕暮れのように薄暗い
感じでした、今回はそこまで入ってませんが、二歩くらい手前。
あと1キロくらいの所だったでしょうか、どうにも歩けません、
気分が悪くなりましたので、階段に座り荷物もおろし、靴も脱いで
放心状態です、時間を気にせず休むことに決めて息を整えますが
荒い息が収まりません、水筒のお茶も残りわずかです、
幸いなことは蚊がいないことです、蚊がいると休憩になりませんが、
いないのでゆっくり休めます。
後ろからは誰も来ません、山中にただ一人、死ぬ時はこんなもんか、
漠然としか考える力がなく、それでかえって救われる思いです。
携帯がつながるのかも確認することを忘れ、30分は休んだでしょう、
少し息も整ったので思い切って水筒のお茶を飲み干しました。
これで水分はなくなりました、着ているものは汗でびっしょりです。
そのせいで夏場だというのに冷えて寒い、明らかに異変が起きています。
それでも上らなくては、その気持ちだけで靴を履き荷物を背負い
上りだしますが10歩歩くのが精いっぱい、10歩で休憩、10歩で休憩。
休憩しているときに、ボーとした頭が何かを思い出しました。
ウエストバッグをゴソゴソ・・・・・。
ありました、鶴林寺でいただいたお接待の飴とチョコレート、
おにぎりを食べるほど気分はよくなっていませんが、飴なら
大丈夫、早速口に入れると甘さが一杯に広がります。
命拾いとはこういうことでしょう、1時間以上予定より遅れて
太龍寺の納経所の前に到着、すぐに自販機で水分補給、
飲んだしりから汗が落ちます、水筒にもお茶を補給し、スポーツドリンクを
もう1本、ここでも30分くらい固まっていました。
先に納経を済ませました、ここの天井には竜の絵が描かれていますが
それも見るのを忘れていました、明らかに集中力・注意力がなくなっています。
ここは予定変更、歩いて平等寺まではあきらめます。
お寺の隣に「山茶花」という民宿があり予約を入れようか迷っているうちに
体調が悪くなったので、ある意味助かりました。
この時間からキャンセルだと迷惑がかかりますから。
先に納経を済ませたのは、歩きならここに戻ってきますがロープウェイなら
お参りが済むとここには帰りません、予定変更はロープウェイとタクシーで
平等寺へということです。
読経も声がかすれています、足取りも重くロープウェイの乗り場へ行き、
タクシー会社の電話番号を尋ねると、そこからタクシーを頼んでくれました。
小さな親切が身に沁みます、ロープウェイはこれで3回目です、66番雲辺寺にも
ロープウェイはありますし、別格の箸蔵寺にもあります。
下に降りるとタクシーが待っていてくれました、平等寺まで楽をして
体も楽になりました、平等寺も無事にお参りが済みました。
体も戻り、新野駅まで歩き電車移動で23番薬王寺を目指します。
新野駅でも時間待ちです、その間に今夜の宿を探します。
薬王寺は日和佐にありますが、もう少し遠くまで電車移動と決め、
海部の「みなみ旅館」に電話を入れると泊れるということで一安心。
薬王寺は厄除けのお寺ということで男坂、女坂と名付けられた
階段を上って行きます、階段の両端には1円玉がいくつも置かれて
お参りの人の多いことがわかります。
お参りを済ませて日和佐駅に行くと40分ほど時間があります。
駅の横にある無料の足湯でのんびり、片手にはなぜかビールが・・・・・。
みなみ旅館は駅から5分余り想像していた通りの民宿で
料金もリーズナブル、ここから室戸岬までは1泊二日の行程です。
先を急ぐ遍路ではありませんが、暑さで今日のように体調を
崩してもいけないので始発で甲浦(かんのうら)まで行き、バスで
室戸の近くまで行って少し歩いて24番最御崎寺(ほつみさきじ)に
行くことにしました。
Posted by いとう茂 at
22:16
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