2016年03月26日

和太鼓の練習

昨夜は和太鼓の役員会がありました、新しいメンバーが急に増えて
元からいるメンバーとの技術的な差が出ていますし、元からいる
メンバーも技術にばらつきがあります、そんな現状をどうするか
話し合いました。
中学生から70歳手前まで、3世代が石鹿太鼓を構成しています、
そこへ20・30代の外国人4名と50代の女性2名の加入です。

初めてバチを持つ人もいれば、外国人でも太鼓の経験がある
人もいますし、バンドでドラムを叩いているオーストラリアの人も
いますので、一緒に練習はレベルが合わないので無理です。
そこで練習日の工夫を考えました、太鼓を始めた頃は週2回の
練習でしたので、今後は昔のように週1回から週2回の練習に
変えて行って1回は基礎練習、もう1回は通しの練習で演奏会などの
出演で叩く曲の練習を行います。

いつまで和太鼓が叩けるか分かりません、自分なりに満足な
演奏ができるようにふだんのトレーニングも怠らないようにしたい。
人には年だからといっても自分には年のせいで叩けないと
言い訳しないようにしょうと思っています。

元からいるメンバーの5名は20年以上一緒にやってきて、それなりに
呼吸が合っていますが、それぞれが10年ほどのブランクがあり、
昔叩いていた曲を忘れています、これからはそんな曲も思いだすように
練習を積んでいくことになりました。
昔から地域に伝わる伝承太鼓ではなく自分たちで作った創作太鼓ですので
次につなぐかここで途切れるか、それは自分たちにかかっています。
中高生もいますがこの先の進路次第で続けられなくなることも十分考えられます、
実際、これまでも高校生が何名か来ていましたが卒業で就職や進学と
地域から巣立っていって継続はかないませんでした。

社会人の参加が不可欠ですが、中高生もほんの少しの時間でも石鹿太鼓を
支えてくれれば、それの繰り返しで伝えていくこともできます、プロに憧れた
時期もありましたが、太鼓だけに没頭できない立場になり断念、もっとも
プロになれる資質がもとより欠如していましたが・・・・・。

役員会でさまざまな事を話しているうちに30年近く前の記憶がよみがえって
きました、由布院の源流太鼓に感化されていた時期があります、由布院にも
練習を見学に2度いきました、山の中で自動車のライトで太鼓を照らしての
練習は言葉を発することを拒むような張り詰めた空気が流れていましたし、
三重県で公演があることを知り見に行ったこともあります。

次の演奏は4月3日の膳所さくらまつりです。
アメリカ、イギリスの女性もデビューしそうで外国が身近に感じていただけたら
そんなことを考えています、それまでに練習はあと1回です、英語と日本語、
言葉も大切ですし、アイコンタクトも大切、それ以上に一つのものを作り上げる、
そのために自分ができることをする、そんな気持ちが必要だと言うことを思い出しました。


  
Posted by いとう茂 at 14:28Comments(0)

2016年03月25日

ささやかなお気に入り

誰にでもささやかな楽しみやお気に入りがあると思います。
そして案外こだわりもあるような気もします、シュークリームは
大好きだけど生クリームよりカスタードがいい、それを大きな口を
あけてガブットほお張る、あ~幸せ。
パスタは何があってもミートソース、それ以外だとどんなに有名な店で
食べてもおいしいと思わない。
コーヒーよりお茶、それも夏でも冬でも熱いお茶でないとダメ。

一見付き合うのに気を遣いそうですが相手の癖や好みを知ってしまえば
懐に入るのは簡単かもしれません。
こちらがどれだけ相手に合わせられるかだと思います。

個人的なささやかな楽しみやお気に入りは・・・・・。
最近嬉しかったことを考えてみると、夜食に小さい犬と食べる焼き芋、
オーブントースターで焼いて皮をむいて食べますが、小さい犬には
少し覚ましてからでないと熱いままだと食べたいのに食べられない
もどかしさからかワンワン吠えてしまいます。
時間が来ると足元に擦り寄ってきてクゥーンクゥーン。
100均で買った3本入りの4Bの鉛筆、シャープペンの芯も鉛筆も
濃い目を使っています、筆圧が少しですみますし長い時間
書き続けても疲れが少ないからです、これは、万年筆も同じです、
ボールペンより軽くかけますので疲れません、ただ、万年筆で書く
書類が少ないのが残念です、最近はほとんどパソコンですし、
書類によっては黒または青のボールペンと指定があるものもあります。

3本の鉛筆を削って早速ためし書きをしましたが、今まで使っていたものと
それほど書き味に差がありません、少し色が4Bにしては薄い気もしますが、
値段を考えると満足ですし、得をした気分です。
鉛筆やボールペンを最後まで使うのもささやかな楽しみです、持ちにくい
ちびった鉛筆を使って字を書くのは余計な力が入ってかえって疲れますが、
それでも最後まで使い切った小さな達成感があります。
これが万年筆だと違った思いが出てくるから不思議です。
カートリッジのインクが切れたり、万年筆本体のインクが切れると、
切れやがった、そんな気持ちがわいてきます。

今日は議会は議案調査、ひっそりしていました。
月曜日は2月通常会議の最終日、新年度予算の採決を含めて全議案の
採決が行われます、その前には賛成、反対の討論があります。
午後から始まりますが閉会は夜になりますので夕食の準備が必要です。
今日はこれから和太鼓の役員会です、新しくアメリカ、イギリス、オーストラリアから
メンバーが増えました、国際色豊かな練習風景ですが、外国の文化を
吸収しょうとする彼らの熱意にこちらも背中を押されて熱が入ります。

この前の火まつりで一人デビューしましたし、夏まつりには4名ともデビュー
できればと考えています、日本に来た思い出のひとつとして母国でも
和太鼓の輪を広げてくれれば・・・・・これはささやかではなく大きな願いです。




  
Posted by いとう茂 at 17:34Comments(0)

2016年03月24日

小さい犬の日常

大きい犬が亡くなってから我が家の犬は小さい犬だけです。
娘が子育てで忙しく「もう飼えないから、お父さん飼ってやって」と
押し付けられて4年余りになります、飼ってやって、人のものを頼むのが
その言葉かと思いながらも、これまで飼ってきました、引き取る条件が
「お父さんは散歩には連れて行かないぞ」です。
これは大きい犬のときも同じことを言いました。
大きい犬を飼う時に、娘は「うん、散歩も餌やりも世話は全部私がする」でしたが・・・・・・・。

大きい犬が来る前、昭和52年頃だったと思いますが、縁があって柴犬を
飼うことになり朝夕の散歩は私の日課でした、16年いたのですが息を
引き取るときに居合わせて、言葉ではいえない辛さと悲しさを感じ
もう二度と犬は飼うまいと決めました。
それから4・5年して大きい犬を娘が拾ってきました。
決して犬が嫌いではなく、むしろ大好きでしたが柴犬の最後を見てから
情が移ることで別れが余計悲しくなる、そう感じた私の自己防衛が
散歩には連れて行かないという言葉です。
もう20年ほど前のことです、大きい犬の晩年と小さい犬は1年余り重なります、
二匹の犬を飼うなどとは夢にも思いませんでした。

今も足元でちょろちょろしています、私が朝出かけるとそれからは
誰もいない空間でおとなしく待っています、朝の散歩はダイエットを
兼ねて妻が出かけています。
時折子どもの声がすると吠え立てるようですが、基本的には
じっと待っているとのことですが、私が帰ると足元でじゃれたり
お腹を天井に向けて「さすって」とねだったり、落ち着くまでしばらく
時間がかかります。

夕食のために部屋を出ると食事を済ませて戻るまで「キャンキャン」
の連呼です、部屋に帰ると何もなかったようにおとなしくなります。
時折やってくる虫を追いかけたり水を飲んだり動きは意外と
すばしっこいときもあります、短い足と長い胴、どこからそれだけ
速く動く力がでるのか思います。

私が寝るまでの長い夜の始まりです、パソコンに向かっていると
おとなしくしていますが、手を休めてテレビを見ていると寄ってきて
前足を膝に伸ばしてカリカリ、食べ物が欲しいわけではなく
遊んでくれのサインです。
放っておくと椅子の周りを回ってワンワン、強硬手段に出ます。
顔や体をいい加減に撫でていると手抜きが分かるのか再び
ワンワン、こうなると収まるまで時間がかかります、ひたすら体を
撫でてうっとりしてくるのを待つしかありません。

小さい犬は誰が飼い主か知っているかどうかは分かりません、
散歩と定期的な餌やりは妻の仕事です、時間的に一番長くいるのは
私ですのでスキンシップと叱る回数も一番多いと思います。
甘やかすのは私以外の家族、さてさて、飼い主は・・・・・。

人間のように気分転換に外に出て新鮮な空気を吸いに行くことも
できませんし、ちょっと違うものを食べたいと思っても選択することも
できません、私が気まぐれで冷蔵庫から何か持ってくる程度で、
最近の楽しみは一緒に食べる夜食の焼き芋だと勝手に思っています。

ともあれ、10時間程度毎日一人で?限られたスペースでの生活、
楽しみを見つける努力をしているのか、それとものんびりを楽しんでいるのか、
立場を変わることはできませんが、一度くらいそんな生活もいいものかと
羨ましさも感じます。
隣の芝生が青く見えるのは人間社会に限ったことではないようで・・・・・・。








  
Posted by いとう茂 at 12:28Comments(0)

2016年03月22日

時と変化

3連休が終わり緑のお爺さんも再開です、小学6年と中学3年の
子どもたちが卒業して通らなくなりましたので通行する人は
かなり減りましたが、通過する自動車の台数は変わりません。
話に夢中になり「おはよう」の声も耳に入らない子どもも大勢
いますので、交差点でいったん止まって自動車の通過を
待つよう指示してもお構いなしに歩こうとします。

来月からは親に手を引かれて幼稚園に通っていた子どもや、
自動車や自転車で保育園に行っていた子どもが小学校に
通学します、お祭り騒ぎのようなはしゃぎぶりで道路を左右に
ジグザグに歩く子どももいます。
そんな子どもが1学期が終わる頃には、それなりに道路の端を
歩いて通学できるようになるのが不思議なくらいです。
緑のお爺さんもあと2日です、春休みで来月8日までお休み、
行かなくてもいいと思うと気が緩んで朝寝坊、そう思ったときも
ありましたが、年のせいか定時に目が覚めてしまいます。

市役所に向かう途中に見た比良山はこの前までの雪が消えていました、
琵琶湖で波に揺られる水鳥も北へ旅立ったのか数が減っていました。
最後まで読んだことがない方丈記ですが、冒頭の部分はよく浮かんできます、
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

通学の子どもたちの顔ぶれも、比良山の景色も水鳥も時間の経過と共に
変っていきます、変っていくのが自然なのか、不易と流行ではありませんが、
変っていいものと変ってはいけないもの、人それぞれ違うでしょう。
人が人を大切に思う、介護の世界でも自立支援の世界でも職業として
大切に思うのと家族の一員として大切に思うのとでは大切の度合いが
変ってきます。

目の前に大切な人がいます、腫れ物に触るように、床の間に飾るように
大切にする人もあれば、普段どおり対等に扱う人もいます。
目の前の人にとって、どちらの対応が嬉しいでしょう、私なら奉られるより
対等に扱われる方がうれしいと感じます。
自分だけご馳走をいただくことも恐縮ですし、暖房のきいた部屋で次から
次へとお茶やお菓子を出されるより、同じように仕事をさせていただく方が
気が楽です。

大切にしょうと思っている方はそうも行かないかもしれませんが、大切にする、
それは待遇ではなく、接する気持ちのほうが重いように感じます。
不易と流行、こうした考え方は不易でありたいと思います。
それでも、大切にする人がVIPクラスならそうも行かない現実があるかもしれません。
そこで思い出したいのが平常心。
特別だと思うからかえって無礼な振る舞いをしてしまうこともあります。
大切だから普段着で接する。

不変でいるためには脱皮と言う変化を繰り返し、より大きな視野を養う
ことが必要かもしれません、大きな視野と言うと、より柔軟ということにも
通じる部分があります、矛盾するものをどう調和させるか・・・・・。
春の陽気のせいで朝から取り留めのないことを考えていました。
  
Posted by いとう茂 at 21:28Comments(0)

2016年03月21日

ケンカするほど仲がいい

相性ということを考えると理屈で割り切れることが少なく、何故か、
不思議と、そんな前置きがつくことが多くあります。
男女のことは打っちゃっといて、男同士の相性を考えると
外見では、判断できない二人が仲がよくて雰囲気が似ている二人が
犬と猿、そんなこともあります。
犬も猿も出る間がなくて馬が合う、理由は当人同士も分からないかもしれません。
男女の好きではなく、別の好きであっても伊藤肇の、好きと嫌いと 
どれほど違う 命ただやる ほど違う。
あいつのためやったら、お前が言うのやったら・・・・・・。
特別な気持ちで動くことがあります、それでも世間の物差しに合わないときは、
いくらお前の頼みでもこれだけは無理、ならぬ物はなりませぬ。

そんなことはお前に言われなくても分かってる、どうにもならないから
お前に頼んでるんやろ、法律に違反しない限り協力する人もいるでしょう。

本音で語り合える人でも議論だけで終わる人もいます、同じ言葉でも
「心配してくれるのは嬉しいけど、こっちを選ぶ」「何でわからへん」
「何回いわれても結果は同じ、こう決めた」「勝手にせい」それで
終わる人間関係もあります。

馬が合う人間同士のぶつかりは、相手のことを認めているかどうか、
そのことが必要な気がします、「そこまで心配してくれるのは嬉しいけど
こう決めたんや」「アカンていうてるやろ」「何度言われてももうかわらへん」
「頼むわ、もういっぺん考えてぇや」「アカン、無理」押したり引いたり、
それでも相手を認めていれば、もう一度考えてみようか、そんな気になるもので、
「分かったわ、お前には負けたわ」そんな結論になることもあります。

ケンカはしないにこしたことがないのでしょうが、本音でぶつかり合えるからこそ、
その根底には目には見えない信頼関係があるからケンカになるのでしょう。
それと、目の高さが同じと言うか、親分子分の関係では命令になりますし、
ケンカには至らないでしょうし、それを無視して押し切ると人間関係が
壊れてしまうでしょう。
普段から互いに相手の視線で考えていることが相手にも伝わるから信頼され
こちらも安心して本音を語れる、年を重ねるごとに友だちは減っていきます、
そんな中で、馬の合う友だちを減らさないために迎合したり、へつらったり
そんなことで守ろうとせずに、やはり是は是、非は非、それと、お前一人を
悪者にはせぇへんよ、もっと頼ってくれよ、差し伸べる手、寄り添う心も不可欠です。

夜道を肩を並べて歩きながら、「俺が友だちでよかったやろ」
「誰もお前のことを友だちやと思ってへんわ」「口の減らんやつやなぁ、ほんまに」
「お前に言われとうないわ」「もうええ」「アハハ」「お前もあほやなぁ」「お前には負けるわ」
「アハハ、イッパイやるか」「おう」さてさて、私にそんな友だちが何人いるでしょう。

  
Posted by いとう茂 at 22:40Comments(0)