2016年12月31日
大晦日&どこで笑うか、何が面白いか④
今日で2016年が終わります。
振り返ってどんな1年でしたか。
私は5月に監査に就任して公式な会議が増えました。
通算32日、監査会が終わってからも読む資料がありますので、
実質はそれ以上になります、これまでの議員生活よりも
多忙ですが身につく知識は比べ物になりません。
その分、問題もあります地域にいない、そのことが人の口に
上ります、あいつはちっとも地元におらん、別にサボっている
わけではありません。
懸命に与えられた責任を果たそうとしているだけです、開き直る
気持ちはありませんが、これまでの生き方を変える気はありません、
というよりこれしかできない自分がいます。
与えられた場所で仕事をする、それを是とするか非とするかは、
私の力の及ばぬところかもしれません。
夢は、ホッとするおっちゃんと四国遍路です。
毎日歩いて歩いて足の豆をつぶして札所で不乱にお願いと懺悔、
そして、おいしく食事をいただき熟睡。
何も、野心はなく生きている自分、歩いている自分、何で生きて
るんやろ、何で歩いてるんやろ。
そんな自問を繰り返して前へ前へ、疲れて眠る、それの繰り返し、
何が見えるか、何を感じるか、そんなことは予想もつきませんし、
期待もしていません。
棺桶の蓋が閉じられるときに、言葉ではなくフッーと吐き出す息と
似合わない微笑で締めくくれたらそう願っています。
今年の終わりにどうぞ笑ってください。
笑いはいろんなものを中和しますし、案外、笑うことが苦手な日本人です。
「負け惜しみ」
小助の家に、友だちの平六がやって来ました。
「おお寒いな。こう寒くっちゃあ、やりきれねえな」
「本当にな、寒くてかなわねぇ。どうだい、今夜あたりふぐでも食いに行くか」
小助が誘うと、平六は顔をしかめて言いました。
「いやいや、ふぐはやめよう」
「なんだお前、ふぐにあたるのが、そんなに怖いのか?」
「いや、怖くはない。ただ、魚が嫌いなのさ。
その代わり四本足なら、何でも食っちまうぜ。
犬でも、ネコでも、キツネでも、タヌキでも、ウマでも、ウシでも、
それにサルでも、四本足なら何でもござれだ」
すると小助が、意地悪く言いました。
「ほほう。四本足なら何でもか。・・・それなら、
このこたつも四本足だ、これも食うのか?」
「ああ、こいつも食って食えない事はないが、
しかしこたつはあたる物だろう。あたる物と知っては、どうも食いにくい」
「話半分」
京都へ商売に行く江戸の男に、物知りの男が注意をしました。
「京へ商いに行くそうだが、くれぐれも油断するなよ。
京の商人はみんな曲者で、とんでもない値段をふっかけてくるからな。
だから京では、何でも値切ったほうが良いぞ。
例えば二両の値段なら、本当は一両の品だと思え」
「おお、では、その通りにしよう」
男は喜んで、京都へ出かけて行きました。
さて京都に着くと、やっぱり教えられた通り、
何でもかんでも、とんでもなく高い値段です。
「なるほど、言われた通り、ここは恐ろしいところだ。
でもこれはみな、半分ずつに聞いておけばよいのだな」
それからしばらく立つと、男にも京都の友だちが出来ました。
「お前さんの名前は、何と申す」
江戸の男が聞くと、京の男は、
「六兵衛と、言いまする」
それを聞いた男は、こう思いました。
(さてさて、京の人は、かけ値をするから、これはさしづめ三兵衛だろう)
「して、お家は、どのぐらいの広さでございます?」
「五間の間口の家でございます」
(よしよし、ならば本当は、二間半の間口の家だな)
「して、何人で暮らしておいでですかな?」
「ただいまは、わたし一人でございます」
(よしよし、これも半分か。・・・おや?)
江戸の男は、京の男をじろじろながめまわしました。
(はて、どう見ても半分には見えぬが)
江戸の男は、思わず首を傾げて尋ねました。
「して、もう半分は、どなたでございます?」
「水、お望み次第」
江戸時代には、色々と変わった商売がありましたが、
そんな江戸の人たちも首を傾げる様な看板が、ある店にかけてありました。
《水、お望み次第》
それを見た一人の男が、店の中に入っていきました。
「ご亭主、『水お望み次第』とあるが、それはどう言う意味だ?」
「はい。甘い水でも、辛い水でも、お客さまのご注文の水を、何でもご用意いたします」
「何でも? 本当に何でも出来るのか?」
「はい。さようで」
すると男は、意地悪そうに言いました。
「では、丸い水が欲しい。丸い水を持ってきてくれ」
「はい、すぐに」
やがて亭主は、きれいな茶わんに、水をいっぱいくんで持って来ました。
「これ亭主、これが丸い水か?」
「はい」
「これのどこが、丸いのだ?」
「はい、澄みきっております」
「何、何じゃと?」
「澄みきった水。すなわち、すみを切った、丸い水でございます」
「さぞおりこうで」
ある日の事、旦那が小僧に言いました。
「いいか、人と言う物は変わる物で、子どもの頃はりこう者でも、
大人になって馬鹿者になる奴がいる。
その反対に、子どもの頃はお前の様な大馬鹿者でも、
大人になるとりこう者になったりするんだ。
だからお前もあきらめず、りこう者の大人になるんだぞ」
すると小僧は、感心した様にこう言いました。
「なるほど。それなら旦那さまが小さい頃は、
さぞかしりこうなお子でございましたのでしょうね」
「・・・・・・」
「女中の脈」
江戸のあるお店で働いている女中は、とても控えめで、
何かにつけて謙遜するのでした。
ある日の事、奥さんが風邪を引いたので、かかりつけの
お医者さまに来てもらいました。
その時に奥さんは、ついでに女中を呼んで言いました。
「確かお前も、気分が悪いと言っていたわね。ついでだから、
お医者さまに脈をみてもらいなさいな」
すると女中は、慌てて言いました。
「いえいえ、めっそうもない。わたしの様な女に、
脈なんてたいそうなものがあるものですか」
振り返ってどんな1年でしたか。
私は5月に監査に就任して公式な会議が増えました。
通算32日、監査会が終わってからも読む資料がありますので、
実質はそれ以上になります、これまでの議員生活よりも
多忙ですが身につく知識は比べ物になりません。
その分、問題もあります地域にいない、そのことが人の口に
上ります、あいつはちっとも地元におらん、別にサボっている
わけではありません。
懸命に与えられた責任を果たそうとしているだけです、開き直る
気持ちはありませんが、これまでの生き方を変える気はありません、
というよりこれしかできない自分がいます。
与えられた場所で仕事をする、それを是とするか非とするかは、
私の力の及ばぬところかもしれません。
夢は、ホッとするおっちゃんと四国遍路です。
毎日歩いて歩いて足の豆をつぶして札所で不乱にお願いと懺悔、
そして、おいしく食事をいただき熟睡。
何も、野心はなく生きている自分、歩いている自分、何で生きて
るんやろ、何で歩いてるんやろ。
そんな自問を繰り返して前へ前へ、疲れて眠る、それの繰り返し、
何が見えるか、何を感じるか、そんなことは予想もつきませんし、
期待もしていません。
棺桶の蓋が閉じられるときに、言葉ではなくフッーと吐き出す息と
似合わない微笑で締めくくれたらそう願っています。
今年の終わりにどうぞ笑ってください。
笑いはいろんなものを中和しますし、案外、笑うことが苦手な日本人です。
「負け惜しみ」
小助の家に、友だちの平六がやって来ました。
「おお寒いな。こう寒くっちゃあ、やりきれねえな」
「本当にな、寒くてかなわねぇ。どうだい、今夜あたりふぐでも食いに行くか」
小助が誘うと、平六は顔をしかめて言いました。
「いやいや、ふぐはやめよう」
「なんだお前、ふぐにあたるのが、そんなに怖いのか?」
「いや、怖くはない。ただ、魚が嫌いなのさ。
その代わり四本足なら、何でも食っちまうぜ。
犬でも、ネコでも、キツネでも、タヌキでも、ウマでも、ウシでも、
それにサルでも、四本足なら何でもござれだ」
すると小助が、意地悪く言いました。
「ほほう。四本足なら何でもか。・・・それなら、
このこたつも四本足だ、これも食うのか?」
「ああ、こいつも食って食えない事はないが、
しかしこたつはあたる物だろう。あたる物と知っては、どうも食いにくい」
「話半分」
京都へ商売に行く江戸の男に、物知りの男が注意をしました。
「京へ商いに行くそうだが、くれぐれも油断するなよ。
京の商人はみんな曲者で、とんでもない値段をふっかけてくるからな。
だから京では、何でも値切ったほうが良いぞ。
例えば二両の値段なら、本当は一両の品だと思え」
「おお、では、その通りにしよう」
男は喜んで、京都へ出かけて行きました。
さて京都に着くと、やっぱり教えられた通り、
何でもかんでも、とんでもなく高い値段です。
「なるほど、言われた通り、ここは恐ろしいところだ。
でもこれはみな、半分ずつに聞いておけばよいのだな」
それからしばらく立つと、男にも京都の友だちが出来ました。
「お前さんの名前は、何と申す」
江戸の男が聞くと、京の男は、
「六兵衛と、言いまする」
それを聞いた男は、こう思いました。
(さてさて、京の人は、かけ値をするから、これはさしづめ三兵衛だろう)
「して、お家は、どのぐらいの広さでございます?」
「五間の間口の家でございます」
(よしよし、ならば本当は、二間半の間口の家だな)
「して、何人で暮らしておいでですかな?」
「ただいまは、わたし一人でございます」
(よしよし、これも半分か。・・・おや?)
江戸の男は、京の男をじろじろながめまわしました。
(はて、どう見ても半分には見えぬが)
江戸の男は、思わず首を傾げて尋ねました。
「して、もう半分は、どなたでございます?」
「水、お望み次第」
江戸時代には、色々と変わった商売がありましたが、
そんな江戸の人たちも首を傾げる様な看板が、ある店にかけてありました。
《水、お望み次第》
それを見た一人の男が、店の中に入っていきました。
「ご亭主、『水お望み次第』とあるが、それはどう言う意味だ?」
「はい。甘い水でも、辛い水でも、お客さまのご注文の水を、何でもご用意いたします」
「何でも? 本当に何でも出来るのか?」
「はい。さようで」
すると男は、意地悪そうに言いました。
「では、丸い水が欲しい。丸い水を持ってきてくれ」
「はい、すぐに」
やがて亭主は、きれいな茶わんに、水をいっぱいくんで持って来ました。
「これ亭主、これが丸い水か?」
「はい」
「これのどこが、丸いのだ?」
「はい、澄みきっております」
「何、何じゃと?」
「澄みきった水。すなわち、すみを切った、丸い水でございます」
「さぞおりこうで」
ある日の事、旦那が小僧に言いました。
「いいか、人と言う物は変わる物で、子どもの頃はりこう者でも、
大人になって馬鹿者になる奴がいる。
その反対に、子どもの頃はお前の様な大馬鹿者でも、
大人になるとりこう者になったりするんだ。
だからお前もあきらめず、りこう者の大人になるんだぞ」
すると小僧は、感心した様にこう言いました。
「なるほど。それなら旦那さまが小さい頃は、
さぞかしりこうなお子でございましたのでしょうね」
「・・・・・・」
「女中の脈」
江戸のあるお店で働いている女中は、とても控えめで、
何かにつけて謙遜するのでした。
ある日の事、奥さんが風邪を引いたので、かかりつけの
お医者さまに来てもらいました。
その時に奥さんは、ついでに女中を呼んで言いました。
「確かお前も、気分が悪いと言っていたわね。ついでだから、
お医者さまに脈をみてもらいなさいな」
すると女中は、慌てて言いました。
「いえいえ、めっそうもない。わたしの様な女に、
脈なんてたいそうなものがあるものですか」
Posted by いとう茂 at
17:10
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