2019年04月04日

面白い話⑧

ある日、香川県で行政からの補助を受けて運行されている
福祉タクシーが財政難から廃止される方針だという情報が流れて
きました。
僕は早速、福祉タクシーで外出することで社会との接点を保っている
車いすの男性を取材し、男性が地域で孤立せずに暮らすためには
福祉タクシーが大切な存在になっていることをローカル放送の
ニュース番組でリポートしました。
そして放送からしばらくたって、事態が一変しました。
今度は一転して「福祉タクシー存続へ」というニュースが伝え
られたのです。
取材でお世話になった車いすの男性が喜んでいる様子が、目に浮かぶ
ようでした。
これは僕にとっても、純粋にうれしい体験でした。
何となく人の役に立てたんじゃないか、困っている人の力に
なれたんじゃないか、もしかしたら小さな正義を実行できたのかな、
そんな気分になった記憶が残っています。

テレビの仕事は放送されたら終わり。
苦労して番組を作っても、こちらの思いが100%伝わることは、
めったにありません。
無力感を感じることも、しばしばです。
でも、福祉タクシーの放送で感じた手ごたえは、僕に少し自信を
くれました。
「大勢の人を幸せにすることはできなくても、ある一人の幸せについて
深く考えることが、社会を変えるきっかけになることがある」
そう実感することができたからです。
この経験によって、自分の目指す方向は、「誰かが耳を傾けなければ
孤立して埋もれてしまう声を、ていねいにすくい上げること」
に定まったように思います。
「僕は一人ひとりの幸せに目を向けた放送を目指そう」
マスコミ人となった僕にとっての正義がおぼろげながら見えてきた、
初任地、四国・高松でのできごとでした。

NHKのなかでキャリアを積むごとに仕事の可能性が広がって
いきましたが、その一方で、壁を感じることも増えていきました。
自分が正しいと思う方向で番組を提案するのですが、社会的に
議論を二分するような大きなテーマであれば、いくら情熱を
持って臨んでも、個の力だけで実現させることは困難です。
社会をよくするためと思って書き上げた企画書も、決定権の
ある管理職のハンコがなければ、ただの紙くずとなります。
高い壁を乗り越えられず、自分が夢を描いた放送という
世界に限界を感じるようにもなりました。
番組を通して表現したかった正義の姿も輪郭がぼやけていきました。

そんなあるとき、仲間のディレクターや先輩プロデューサーの
協力もあって提案が通り、番組が一つ生まれました。
それは、明石徹之さんという自閉症の男性が川崎市の公務員として
働いている姿を記録したドキュメンタリーでした。
自閉症は先天的な脳の機能障害が原因とされる発達障害の一つです。
一般にコミュニケーションが苦手で、こだわりが強い傾向があります。
徹之さんも水やトイレが大好きで、子どもの頃は、道行く人にホースで
水をかけたりして叱られていました。
母親の洋子さんは、そのこだわりをやめさせようとしましたが、
徹之さんがパニックを起こしてしまうので、それもできません。
そこで、逆転の発想が生まれます。
「こだわりは人一倍興味が強い証拠。それを生きる力にすればよい」
洋子さんは水を存分に使える風呂やトイレの掃除を徹之さんに
教えました。
時間はかかりましたが、徹之さんは誰よりもピカピカに掃除が
できるように腕を挙げました。
さらに、洋子さんと二人三脚で猛勉強を続けた末に公務員試験に
パスし、川崎市の老人ホームで清掃の仕事を誠実に続けています。
こんな番組でした。
以下は後日アップします。
  
Posted by いとう茂 at 20:38Comments(0)