2012年11月14日
逸話 伝説
日本各地にはいろいろな逸話や伝説があります。
いつ頃できたかは定かではありませんが、
現在でも語り継がれているものがいくつかあります。
大津でも・・・・、俵藤太の百足退治の話があります。
三上山を七回り半する大きな百足を、藤太が退治する話で、
弓矢で退治したことになっていますが、
それほど大きな百足が弓矢で退治できたのかとか
三上山を七回り半もする百足が実際いたのか
現実的な考え方では理解できませんが、
そう言ってしまうと話が成立しません。
藤太の武勇伝として子供のころに聞かされた
覚えがありそれなりに、わくわくした記憶があります。
四国といえば空海、弘法大師ですが、お大師さんにまつわる
逸話もたくさん残っています。
錫杖で地面を突くと温泉が湧き出たとか、谷底に身を投げたら
天女が現れその身を受け止めた。
これなどは壺阪霊験記の沢市とお里の話と共通で
目の悪い沢市は明け方になるとそっと家を抜け出す
お里を疑い問いただす。
お里は沢市の目が治るように願掛けをしていたと答えるが、
沢市の気持ちは晴れない、普段の生活で苦労を掛けている
お里を自由にしてやりたいと沢市は壺阪寺から谷底に
身を投げてしまいます。
沢市がいないことに気が付いたお里は壺阪寺に行き
沢市の草履を見つけて沢市が身投げをしたことを知り
自分もあとを追うのですが、二人をかわいそうと思う
観音様に救われ、二人は生き返り沢市の目も見えるようになる
というハッピーエンドの話だったと思います。
横にそれました。
空海の名前の由来ともいわれる出来事は
室戸岬にある御蔵洞(みくろどう)と言う海岸に面した
洞窟で起きたとされています。
座禅をしていたお大師さんの口に暁の明星が
飛び込み、この時悟りを開かれたというものです。
科学では解明できないものを信じるかどうかは
個人の自由です。
昔、月に兎がいて餅つきをしているという話を
聞かなかった人は少ないでしょう。
あんな大きな兎がいたらみんな食べられてしまう。
そう思った人も少ないでしょう。
ロマンと呼ぶか夢、癒しと考えるかは別にして、
このせちがらい世の中を生きてきて、
私たちはどこかに大切なものを忘れてきたか
落としてきた気がします。
自分探しではありませんが、見慣れた顔を
トイレの鏡に映してこようと思います。
いつ頃できたかは定かではありませんが、
現在でも語り継がれているものがいくつかあります。
大津でも・・・・、俵藤太の百足退治の話があります。
三上山を七回り半する大きな百足を、藤太が退治する話で、
弓矢で退治したことになっていますが、
それほど大きな百足が弓矢で退治できたのかとか
三上山を七回り半もする百足が実際いたのか
現実的な考え方では理解できませんが、
そう言ってしまうと話が成立しません。
藤太の武勇伝として子供のころに聞かされた
覚えがありそれなりに、わくわくした記憶があります。
四国といえば空海、弘法大師ですが、お大師さんにまつわる
逸話もたくさん残っています。
錫杖で地面を突くと温泉が湧き出たとか、谷底に身を投げたら
天女が現れその身を受け止めた。
これなどは壺阪霊験記の沢市とお里の話と共通で
目の悪い沢市は明け方になるとそっと家を抜け出す
お里を疑い問いただす。
お里は沢市の目が治るように願掛けをしていたと答えるが、
沢市の気持ちは晴れない、普段の生活で苦労を掛けている
お里を自由にしてやりたいと沢市は壺阪寺から谷底に
身を投げてしまいます。
沢市がいないことに気が付いたお里は壺阪寺に行き
沢市の草履を見つけて沢市が身投げをしたことを知り
自分もあとを追うのですが、二人をかわいそうと思う
観音様に救われ、二人は生き返り沢市の目も見えるようになる
というハッピーエンドの話だったと思います。
横にそれました。
空海の名前の由来ともいわれる出来事は
室戸岬にある御蔵洞(みくろどう)と言う海岸に面した
洞窟で起きたとされています。
座禅をしていたお大師さんの口に暁の明星が
飛び込み、この時悟りを開かれたというものです。
科学では解明できないものを信じるかどうかは
個人の自由です。
昔、月に兎がいて餅つきをしているという話を
聞かなかった人は少ないでしょう。
あんな大きな兎がいたらみんな食べられてしまう。
そう思った人も少ないでしょう。
ロマンと呼ぶか夢、癒しと考えるかは別にして、
このせちがらい世の中を生きてきて、
私たちはどこかに大切なものを忘れてきたか
落としてきた気がします。
自分探しではありませんが、見慣れた顔を
トイレの鏡に映してこようと思います。
Posted by いとう茂 at
12:13
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