2015年05月17日

みかんは皮から、魚は腹から、人は心から・・・・

昔、子どもの頃の年末の楽しみの一つにコタツに入って
みかんを食べることがありました。
商売をしている関係で問屋からお歳暮でミカンを貰うことも
あったのでしょう。
手が黄色くなるほど食べた日もありました。

今のように、コンビニやテイクアウトの店もなく、
おやつといってもふかし芋や柿、トウモロコシ・・・・ほとんどありません。
そんな時に箱に入ったみかんは天の恵みでした。

みかん箱の下の方に詰められたみかんの中には、皮がジュクジュク
して腐りだしたものもありました、祖母からは「どうもあらへん、そこだけ
ほかしたらええんや」と言われましたが、子どもの頃は腐ったみかんが
あるとよけて食べていたのを覚えています。
引っ付きあったみかんは一方が腐るとすぐに隣にうつって行きます。
ほんの2・3日で真っ白なカビが生えたみかんが何個もできることが
ありました。

こうした現象を古人は朱に交われば赤くなる、そんなことわざや
よき師との出会いが、その人の人生を変える、といった教えとして
我々に残してくれたのでしょうか。

祖母が言ったように皮の腐ったみかんでも中は大丈夫なことが多く、
食べてもお腹をこわすことはありませんでした、バナナもそういう所が
あります、皮が黒くなっていても中は黄色いまま、これも皮から腐る例です。

時期外れですが、さんまの腹を子どもの頃は苦くて食べられませんでした。
今でも苦手な大人は周囲にたくさんいます、いつの頃からかこの苦さが
おいしいという感覚に変わりました。
魚屋で売っているサンマの中には腹を抜いて売られているものもあります。
サンマは食べたものを消化するスピードが早く腐敗するまでいかないから
食べられるという話を聞いたことがあります。
それでも、サンマを含めて魚は腹から腐るように思います。

みかんも魚も腐っていくのが目に見えますが、人間が心が
腐っても外からは見えません「あいつのはらわたは腐ってる」
そんな言葉を聞くことがありますが、実際にはらわたが腐っているのではなく、
精神、考え方、生き様を指すものだと思います。
やけを起こしたり落ち込んでいる時に「腐るなよ」と声を掛けることがあります。
これも気持ちのありようを指して言う言葉です。

人間も生き物ですから実際にはお腹から腐るのでしょうが、日常生活の中で
心が腐っても、また、どうしようもない迷惑な人間でも反省と改心ができれば
腐った状態から何度でも抜け出せます。
菊池寛の「恩讐の彼方に」だったと思いますが盗みや人殺しをした男が
改心して僧侶になり一心に洞窟を掘る話がありましたが、
これも、一念発起、改心した話です。

これには、周囲の応援や叱責も必要ですが、何より本人の自覚、
気付き、そんなものが欠かせません、その人自身がこうするという
強い意志を持たないと元の木阿弥。
腐った心をもとに戻すのには相当なエネルギーがいります。
腐る前に天日に干したり水をやったり、うまく気分を切り替えたりと
常に気を配るのと自分で自分を卑下しすぎない、過大評価しない、
そして、自分を信じる、そんなことが求められると思います。

ミカンや秋刀魚は一度腐るともとに戻りません、しかし人間は
腐ることで成長ができる、腐ることを勧めるつもりはありませんが、
天気でも晴ればかりではなく時には大雨や雷もあります。
雨があるから晴れた時に気持ちも晴れますし、その逆もあります。
日々、天気が変わるように人の心も一定ではありません。
時には台風のように荒れ狂う心の状態も心のストレッチに
なるように思います。



  
Posted by いとう茂 at 17:50Comments(0)