2015年08月26日

研修会in和歌山

今日は、保護司会の研修で和歌山刑務所まで行ってきました。
大津保護区は4つに分かれていて、私が所属しているのは中部で
エリアの保護司と更生保護女性会、あわせて39名でした。
岸和田でトイレ休憩し一路、和歌山を目指しました。
昨日のうちに日曜日の研修の報告書と一般質問を仕上げて
おきましたので、気持がかなり楽でした。

明日は、一般質問の会派での読み合わせ、仕上がってないと
帰ってからが大変です。
和歌山刑務所に向かう途中に和歌山城の見学もしました。
私より高齢の方が多く階段では苦労をされていました。
一番に天守閣まで上がり紀伊水道から淡路島、遠くに徳島を眺め、
しばし、ぼんやり。

夏の名残のセミがないていました。
夏になると神社に地虫をとりに行った昔を思い出しました。
お盆になると親から殺生したらあかんと、よく言われたものです。
セミは土の中で7.8年じっとして幼虫になり地上にいられるのは
1週間ほどなので、そう言ったのでしょう。

セミは7.8年地中にいますが、人間も母親のお腹に10月10日います、
しかし、人間が人間に生まれるまで、母親のお腹にはいるまでですが、
もしかすると、もっと長い期間どこかをさまよっているように思います。
ご縁と言えばそうなのでしょうが、目に見えない力で、お前は樹木、
お前は魚、お前は人間と選別されて、この世に生を授かる。
そのことを証明できませんが。
セミの声を聞きながら、くだらないことを考えていました。

刑務所のことは改めてアップしたいと思います。
今夜は29日の夏まつりで太鼓を叩きますので、それの最後の練習です。
帰ってすぐですので厳しいものがありますが、気を取り直して行ってきます。
29日は3回目の「明日の大津を考える会」もあります。
昼間に中抜けで行ってこようと思っています。
2回目のパネルディスカッションのテープ起こしがまだですので、
何とか29日までには間に合わせます。
明日の大津を考える会は29日、土曜日の2時から市民会館の小ホールで
開催されます、こちらもぜひ参加いただけたらと思います。
夏まつりで太鼓を叩く時間は午後6時15分前後からです。
新しく入ったメンバーを含め8名、どこまで揃うか今夜の詰め次第。
  
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2015年08月25日

おもしろうて やがてかなしき ・・・・・。

おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな
そんな句がありますが、この夏、
おもしろうて やがてかなしき 夏花火
そんなことを思いました。

およそ人間は何万発の花火を打ち上げたら、打ち上げてもらったら
満足するのだろう。
夜の8時から夜明けまで花火が上がっていたら、きっとやかましい、
安眠妨害、そんな苦情が出ると思います。

1発の花火に願いをこめる、心の底から祈る、そんな花火大会が
あってもいいと思うのは私ぐらいでしょうか。

夜空に大輪の花が咲き消えていく、次は・・・・・・
そんな期待に応えるようにまた大輪が咲きます、そして、消えていく。
連続でいくつもの花火が上がり息をのむ時間、破裂する音が
体にぶつかります。
心を揺らす瞬間の連続ですが、考える時間はありません。

生きている以上、希望もあれば悔いもある、願いもあれば謝罪もある、
そんなことを考えさせる暇もなく花火は上がり続けます。
数の多さや来客数でランク付けされる花火大会ですが、
煩悩の数とされる108発、間隔は1分、次は先の大戦で亡くなった
戦没者のための鎮魂の花火です・・・・・次は、大切な人の健康と
幸せを願う花火です・・・・・次は、あなたの心の中にある願いが
成就することを祈る花火です・・・・・。

そんな花火大会はないでしょう、きっと。
29日は膳所の夏まつり、この夏最後の花火が上がります。
何を祈り、何を謝罪し、何を・・・・・心の整理をして29日を待ってみよう。
そう思い、午前中に日曜日の研修の報告書、一般質問を完成させ
担当課と打ち合わせ、銀行、これから例会に出て委員会で
行っている少年鑑別所に本を贈る事業に出て・・・・・・・。
祈ることを忘れてしまいそうです。

台風の影響で沖縄から九州が大変です。
西の小百合さんも・・・・・・大丈夫ですね。




  
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2015年08月24日

久しぶりに書店に・・・・

昨日は13時30分から京都で研修会がありました。
少し早めに出て書店めぐりをと考え、11時過ぎに家を出ました。
どういうわけか印刷のインクの香りが好きで、森林浴ではありませんが、
書店にいると心が休まります。

特別お目当ての本はなかったのですが、うろうろして2冊本を買いました。
1冊は作家で決めました、曽野綾子の「苦しみあってこその人生」です。
好きな作家の本にはつい手が伸びますが、曽野綾子もその一人です。
ただ、最近は過去に出版した何冊の本から抜粋して、それを1冊に
まとめての出版も多く敬遠していました、今回の本も同様ですが、
抜粋した本が「私日記」となっており、こちらはまだ読んでいませんので
購入に至りました。

もう1冊は浅田次郎の「一路」です、これは少し前にベストセラーになり
BSで金曜日に放映されています、本来ですと買うことはないのですが、
ここ30年近く親しくさせていただいている、先輩から「伊藤君は小説は
読まないのか」と聞かれ「あまり読みません、城山三郎、曽野綾子くらいで
浅田次郎も面白そうです」と答えたところ、「じゃ、浅田次郎の一路を読んで
みれば」と勧められましたので、「読みます」と言った手前もあり、
文庫本が出ていましたので選択しました。

上下巻の2部に分かれていますが、上巻が74万部突破と帯に印刷されて
いますが下巻は50万部突破となっていました。
上巻だけ読んで終わった人が多いのか、上巻が面白く下巻は単行本を
選ばれた人が多いのか、このアンバランスがおかしくもあり、気にもなりましたが、
食わず嫌いではいけないと思った次第です。

研修会場には12時30分頃到着、1番乗りでした。
涼しいホテルでゆっくり読書をと、考えこのようになりましたが、
正解でした、曽野綾子の本は1ページの字数も少なく読書がはかどり、
研修が始まるまでに3分の2以上読めました。
久しぶりに読書で至福の時間を過ごし、頭もすっきり、相変わらず耳の奥では
セミが鳴いているものの充実した研修になりました。

議会のサロンに今週の言葉を掲示していますが、そちらに使えそうな
文章もいくつかストックできました。

議会も8月通常会議まで1週間、午前中は議会運営委員会が開催され、
上程議案の説明がありました、これから3時間余り、議案の詳細な説明を受けます。
通常会議は2部構成で、9月25日に補正予算、条例などの議案の採決、
その後10月14日に平成26年度の決算の採決を行います。
それまで審議が続くわけですが、一般質問の締め切りも迫っています。
時間管理をしっかりしないと間に合わなくなる恐れもあり、
そこだけ間違わないようにしたいと思います。
  
Posted by いとう茂 at 12:55Comments(0)

2015年08月23日

どっち派

人それぞれ好みがあります、プロ野球、大相撲、
Jリーグ、歌手、女優、食べ物、車、ドラマ、旅行先、作家・・・・・。
こだわりがあるものと誰かの影響、ただなんとなく、好みの動機も
人それぞれでしょう。
好みでその人の性格が分かるとすれば私の性格が
わかってしまいますが、皆さんはどうでしょう。

ビールと発泡酒がそれぞれ1本ずつ、どちらから飲みますか。
私は迷わず、ビールから飲みます、一口目の喉ごしを考えると
これは譲れません。

よく言われるのが食事で好物から食べる人、好物を最後に
食べる人、これはケースバイケースで特別こだわりはありません。

子どもの時に飲んだコーヒー牛乳とりんごジュース、
どちらも牛乳瓶に入っていました、容量も同じ、
これはりんごジュースに軍配です。

鳥の水炊きとブタの水炊き、米のとぎ汁でとった出汁は
捨てがたいのですが、ブタの方が好みです。
ちなみに我が家はほとんど鳥・・・・・。

インスタントラーメンはお湯が沸騰してから麺を入れる、
それとも水から入れる、なぜか昔から水からです。

少し古いのですが、ON、王選手か長島選手か、
これも迷わず王選手。

芋焼酎か麦焼酎、断然芋です、お湯割で。

春夏秋冬で二つの季節を選ぶなら、これも迷わず、秋と冬。

日本犬か外国犬、考える余地なしに日本犬、
我が家にいるのはなぜかミニチュアダックスですが。
ついでに、犬か猫は、これも犬です。

宝くじは連番、バラ、これは臨機応変です。
サマージャンボはミニのバラにしました、結果は・・・・・・。

自動車に乗るなら、ドライバー、同乗者。
これはドライバーがいいです、どこまででも運転していたい。

文字を書くなら縦書き、横書き、これは横書きです。
昔、山頭火の俳句を横書きして叱られました。

刺身はマグロ、タイ、ブリといった魚派、アワビ、サザエ、バイガイ
といった貝派、なぜか、貝派です。

万年筆、ボールペン、鉛筆、好きな順位は、
万年筆、鉛筆、ボールペン。

朝陽と夕日、これも夕日です。
44年前、西海大橋から見た夕日は今も脳裏に焼きついています。

飲みに行くなら大勢で、それとも一人で、これはメンバーにもよりますが、
基本は一人が気楽でいい。

ドラマはサスペンス、歴史もの、これは歴史ものです。

今日はこれから、京都で夕方まで研修です。
研修の報告が火曜日まで、一般質問の作成も火曜日。
明日は午後から8月通常会議の勉強会が夕方まであります。
色々とすることが多く大変ですが、焦らずこなしていきます・・・・できるかな。

  
Posted by いとう茂 at 11:59Comments(0)

2015年08月22日

村山・安倍談話、天皇のお言葉

かなり長くなります。
マスコミで村山談話という言葉をお聞きになった方は多くても
実際に談話を聞いた方は少ないと思います。
今年の安倍談話と読み比べていただけたらと思います。
最後に、今年の終戦記念日の天皇陛下のお言葉を
紹介します。

村山内閣総理大臣談話 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
平成7年8月15日 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。
今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の
多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、
今日の平和と繁栄を築いてまいりました。
このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の
英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。
ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、
あらためて深甚な謝意を表明いたします。
また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に
今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、
有難さを忘れがちになります。
私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、
戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては
世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に
深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。
政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との
関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、
この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。

また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、
わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、
私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、
来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、
人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、
戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、
多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。

私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を
謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、
心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、
独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、
それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、
核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、
国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。
これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の
御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、
信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

続いて安倍首相の談話です。

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、
二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、
その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、
広がっていました。
圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。
その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。
アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。
日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、
それまでの植民地化にブレーキがかかりました。
この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。
人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。
戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。
しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、
経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。
その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、
力の行使によって解決しようと試みました。
国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。
こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。
日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした
「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。
進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、
深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。
終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、
飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。
広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、
沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。
中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、
戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。
戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。
歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。
一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。
この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、
もう二度と用いてはならない。
植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。
自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。
七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、
静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、
痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。
その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、
台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、
戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、
戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、
これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、
日本再建の原動力となった事実を。
中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、
再び祖国の土を踏むことができた事実を。
米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、
長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、
日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、
それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。
戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、
すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、
過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。
謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、
貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。
そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。
それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、
米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、
恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。
歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、
アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、
この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、
力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。
この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。
唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、
国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や
名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。
二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、
世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、
自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、
途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。
繁栄こそ、平和の礎です。
暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、
医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を
揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、
「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、
世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、
そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。
その決意であります。

最後は天皇陛下のお言葉です。

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、
さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々と
その遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、
発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、
平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、
我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。
戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに
思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、
今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、
戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、
世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


  
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