2016年07月20日

明日から夏休み

小学校生活で何が一番楽しかったと聞かれたら、即座に
夏休みと答えます。
修学旅行や運動会も楽しかったのですが、朝寝坊や夜更かしができる
夏休みに勝るものはないでしょう。
それが、楽しいのは私だけのものかもしれないと思ってしまいました。
緑のお爺さんも今日でしばらく休みですが、通学の子どもたちの
顔を見ているとそれほど嬉しい表情をしていないように感じました。

「明日から夏休みやな」そう声を掛けてもうなずくものの、
喜色満面という子どもはいませんでした。
疲れているのか実感がないのか学校が好きなのか理由はわかりませんが、
普段の日と同じような感じしか受けませんでした。
家に帰ってしばらくすると徐々に楽しさが出てくるといいのですが・・・・・。

今日は午後から特別委員会がありました、滋賀県の危機管理センターの
見学を行い、終了後は市役所で先日熊本地震の支援に行った職員から
報告を受けたことについて委員同士で討議を行いました。
20年余りの間に、阪神淡路、東日本の大震災、そして今回の熊本地震と
3度の大きな地震を経験しました。
今から思うと、阪神淡路大震災後は地震に備える準備や訓練も多く、
地域住民の意識も高かったように思いますが、東日本大震災で
原発事故と押し寄せる大きな津波を見て、改めて人間の無力さを
実感したのか、高揚していた防災意識が少し萎えたように感じます。

そして熊本大地震、九州ということもあり自分事ととらえている人は
さらに少なくなっている感もあります。

気づきは自らの中から出てくるものと、外部から気づかされる場合が
ありますが、外部からの方が多いのが一般的だと思います。
誰かと話をしていて気づくこともありますが、テレビや新聞の影響も
大きいものがあります。
ちなみに今回の参議院選挙で18歳から選挙に行けることになりましたが、
18歳の投票率は50%を超えていますし、19歳も約40%と全体の
投票率よりは低いものの18・19歳の平均は45%を超えています。
今年1月の市長選挙と昨年の統一選挙の市議会議員の投票率は
20代はともに20%台でした。
これもマスコミの影響が大きい証明かもしれません。

視聴率や購読数の争いも企業としては必要なことですが、
様々な選択ができ多くの気づきを導き出すような報道の仕方もあると
考えます。

明日から夏休み、お笑い番組も時には気分転換でいいでしょうが、
日本語の勉強もかねて、じっくり各局の報道を聞くのも気づきに
つながるでしょうし、自分だけの休日を過ごせると思います。


  
Posted by いとう茂 at 17:45Comments(0)

2016年07月19日

見果てぬ夢②

昨日は生涯学習センターで大津市の市民劇団の
「見果てぬ夢」を見てきました。
友人が劇団に参加していますので、毎回、上演が
あると連絡があり前売り券を買っています。
昨年は2月に京都演劇フェスティバルに参加する
形で上演がありましたが、大津での公演は13年から
3年ぶりとなりました。

「愛があれば抜けられない迷路はない、信じ続けて
叶わぬ夢はない」サブタイトルですが、劇の内容とは
別に、日常生活の中でも可能性を信じて生きていけたらと
思う言葉です。

出演者は11名、病院の裏庭が舞台でそこで繰り広げられる
人間模様の中から一筋の光明を見出し病気に立ち向かい
力強く生きていこうとする夫婦が主役のように見えますが、
私にはもっと他にも主役がいるように感じられました。

何度も劇を鑑賞していますが、全員がアマチュアですので
声の通り具合やせりふの言い回しなど素人の域を抜けない
人もいますが、それほど気になりません、それよりも毎回、
妙な感動を覚えるのは出演者の熱意がダイレクトに伝わる
からでしょう、まさにサブタイトルのように信じて叶わぬ演技は
ないという感です。

今回は2回の公演でしたが、それまでに練習を何度も繰り返し、
上演の日を迎えるわけで、本番が始まるころには劇が完成、
半分以上終わったという状態かも知れません。
私も和太鼓をしていますので演奏の機会がありますが、
一番怖いのは慣れです。
今回はこんな程度と勝手に判断して演奏に入ると、
思わぬミスをしてしまいます。

陸上や水泳のように記録で判断できればいいのですが、
生身の人間の演奏は毎回微妙にずれてしまいます。
おそらく聞いている人にはわからないことの方が多いと
思いますが、満足のいく演奏というのは数えるほどしか
ありません。
そうした中で、また誰かがミスをしたりリズムが早くなるのだろうと、
安易な気持ちで演奏をすると・・・・・・です。

日々真剣に、毎回初舞台の緊張感をもって、それはかなり
難しいのですが、慣れとは無縁のところに自分を置いて
臨む姿勢の重要さを今回の劇で改めて感じました。


  
Posted by いとう茂 at 17:29Comments(0)

2016年07月18日

見果てぬ夢

見果てぬ夢というと、「ラ・マンチャの男」を想像してしまいます。
見た記憶はありませんがソフィア・ローレンが出ていた映画
でした、ネットで確認しましたので間違いはありません。
その中で、気になった訳詞がありましたので紹介しておきます。

「見果てぬ夢」騎士遍歴の唄
夢は稔り難く (ゆめはみのりがたく)
敵は数多なりとも (てきはあまたなりとも)
胸に悲しみを秘めて (むねにかなしみをひめて)
我は勇みて行かん (われはいさみてゆかん)
道は極め難く (みちはきわめがたく)
腕は疲れ果つとも (うではつかれはつとも)
遠き星をめざして (とおきほしをめざして)
我は歩み続けん (われはあゆみつづけん)
これこそは我が宿命 (これこそはわがさだめ)
汚れ果てし この世から(けがれはてし このよから)
正しきを救うために (ただしきをすくうために)
如何に望み薄く 遥かなりとも (いかにのぞみうすくはるかなりとも)
やがて いつの日か光満ちて (やがていつのひかひかりみちて)
永遠の眠りに就く時来らん (とわのねむりにつくとききたらん)
たとえ傷つくとも (たとえきずつくとも)
力ふり絞りて (ちからふりしぼりて)
我は歩み続けん (われはあゆみつづけん)
あの星の許へ (あのほしのもとへ)

どんな感想を持たれるかは各自の自由です、人生には
肩に力を入れて歩くとき、高い目標に向かって歩くとき、
大きな役を引き受けたとき、日常とは違う「とき」が
あるものです、その「とき」を日常にも持ち続けて
生きられたら、大きな仕事ができるのか、それとも
緊張の連続でつぶされてしまうのか・・・・。
それも各自それぞれでしょう。

見果てぬ夢、最後まで見終えない夢。心残りなことのたとえ。
また、実現不可能な事柄のたとえ。
見果てるとは、最後まで見る。全部を見る。見届ける。
見果てぬのほうが響きが良いのですが、意味的には
見果てるのほうが良い場合が多いのでしょう。

心情的には、見果てぬの方が夢を追い続けるというイメージで
好印象を受けます、見果てるというと、もう十分納得、満足、
そんなイメージでいったん終わりという印象が残ります。
人間は人生が終わるときに、いくつかの未完の約束を残して
旅立つことが多いと思います。
約束は守りたいと思いますし、時間がかかっても果たそうと
思っています、他人との約束と自分との約束、どちらが守りやすいか
これは断然他人との約束だと思っています。
そんなに多くはないのですが、自分との約束があります、
未完のままではなく、達成してから旅立てたらと思っています。

見果てぬ夢のことで、こういうことではなく今日見てきた劇の
事を書こうと思っていました。
大津市の市民劇団が上演した劇のタイトルが「見果てぬ夢」
でした、この劇団に友人がいますので上演のたびに
見に行っていますが、いつも妙な感動があります。
そのことは後日紹介します。



  
Posted by いとう茂 at 22:38Comments(0)

2016年07月17日

仏教語②

四国88か所の82番根来寺で買った天台宗の
仏教語から紹介します。
ちなみに、88か所は以下の札所です、車やツアー
だと札所の名前はほとんど覚えられませんが、歩いて
回ると頭から離れないから不思議です。
阿波国(徳島県) 「発心の道場」
(1)霊山寺 - (2)極楽寺 - (3)金泉寺 - (4)大日寺 - (5)地蔵寺 -
(6)安楽寺 - (7)十楽寺 - (8)熊谷寺 - (9)法輪寺 - (10)切幡寺 -
(11)藤井寺 - (12)焼山寺 - (13)大日寺 - (14)常楽寺 -
(15)国分寺 - (16)観音寺 - (17)井戸寺 - (18)恩山寺 -
(19)立江寺 - (20)鶴林寺 - (21)太龍寺 - (22)平等寺 - (23)薬王寺

土佐国(高知県) 「修行の道場」
(24)最御崎寺 - (25)津照寺 - (26)金剛頂寺 - (27)神峯寺 -
(28)大日寺 - (29)国分寺 - (30)善楽寺 - (31)竹林寺 - (32)禅師峰寺 -
(33)雪蹊寺 - (34)種間寺 - (35)清瀧寺 - (36)青龍寺 - (37)岩本寺 -
(38)金剛福寺 - (39)延光寺

伊予国(愛媛県) 「菩提の道場」
(40)観自在寺 - (41)龍光寺 - (42)佛木寺 - (43)明石寺 - (44)大寶寺 -
(45)岩屋寺 - (46)浄瑠璃寺 - (47)八坂寺 - (48)西林寺 - (49)浄土寺 -
(50)繁多寺 - (51)石手寺 - (52)太山寺 - (53)圓明寺 - (54)延命寺 -
(55)南光坊 - (56)泰山寺 - (57)栄福寺 - (58)仙遊寺 - (59)国分寺 -
(60)横峰寺 - (61)香園寺 - (62)宝寿寺 - (63)吉祥寺 - (64)前神寺 -
(65)三角寺

讃岐国 「涅槃の道場」
(徳島県)(66)雲辺寺(香川県) (67)大興寺 - (68)神恵院 - (69)観音寺 -
(70)本山寺 - (71)弥谷寺 - (72)曼荼羅寺 - (73)出釈迦寺 - (74)甲山寺 -
(75)善通寺 - (76)金倉寺 - (77)道隆寺 - (78)郷照寺 - (79)天皇寺 -
(80)國分寺 - (81)白峯寺 - (82)根香寺 - (83)一宮寺 - (84)屋島寺 -
(85)八栗寺 - (86)志度寺 - (87)長尾寺 - (88)大窪寺

「出世」
地位や名声を得ることを「出世」と言いますよね。
仏教語では「迷いの俗世を離れて仏教修行に生きる」という意味と、
お釈迦様が人々を救うためにこの人間世界に出現されたことから、
「この世に生まれる」という大きく二つの意味があります。
しかし、どちらも目的は人々を救い、善い方向へと導くことにあります。
自分のことばかり考えて、地位や名声にとらわれていては、
本当の出世はできそうにありませんね。

「諦める」
一般に「あきらめる」というと「しかたがないと断念する」といった
マイナスの意味で用いることが多い言葉ですが、一方で
「明らかに見極める」「つまびらかにする」といったプラスの
意味があることをご存知でしょうか。
同じ漢字の意味なのに、正反対の意味があるのは日本語の奥深い
ところですが、仏教語ではこの「諦」という字を「真理・さとり」の
意味で用います。
たとえ思い通りにいかない時でも「明らかに見極める」気持ちを
持つ中で、「真理」を見つけていきたいものです。

「以心伝心」
言葉に出さないで心が通じ合うことを「以心伝心」といいますね。
本来の仏教語では、文字や経論によらずに師匠から弟子へと
直接、法を伝えることを言います。
なんだか超能力のようですが、あるテレビ番組で行われた
犬と飼い主の実験では、飼い主が家に帰ろうとする心を、
遠く離れた自宅で待つ犬君が受け止めて玄関まで迎えに出る
ことが確認されていました。
これは犬君だけでなく、人間同士でもありうる話だと思いませんか?
世界中の人々が幸せに暮らせる世の中へ向けて、お互いがお互いの
幸せを祈りたいものです。


  
Posted by いとう茂 at 09:42Comments(0)

2016年07月16日

寂しいと困る

この前、親しくしている人と話をしていて、大切な人や
好きな人が亡くなったり遠くに行ったときは切ない気持ちに
なると思うと話すと、その人は最愛の伴侶を失ったときは、
一人ぼっちでやりきれないだろうということでした。
そして逆に自分が死んでしまったときに、どう思ってほしいか
という話題になり、私が寂しいと思ってほしいと言うと、
その人は困ると思ってほしいと言いました。

寂しくてたまらなくなるから、悲しくて立ち直れないから
困るのかと思ったら、自分がその人のために役に立っていた、
必要とされていたからだと言いました。
それも一理あるのでしょうが、納得できませんでした。

私の自己実現像は「ホッとするおっちゃん」です。
宴席や会議で顔を見るとホッとする人がいます。
その多くは、その人がいると酒席が盛り上がるとか会議の
進行が円滑にいく、そんな理由が多いのですが、そこには
その人が間に合う、役に立つという思いがあります。

社会にはそうした人は必要ですし、そうした人が活躍して
活性化していくことも多いでしょうし、宴席も楽しいものになります。
それとはまったく違う意味で、宴席にいるだけで場が和む人、
特別な話題提供がなくても顔を見ているだけでお酒が進む、
会議でも多くの発言がなくても、その人がいるだけで重要なことが
決まったり、事業に対して希望が持てるようになったりすることが
あるものです。

こういう場合はその人がいると役に立つ、いないと困るというより
いないと寂しいと感じるし、いれば安心するということです。
元に戻ります、いなくて困る人は代わりの人が出てくるものですし、
いないことに慣れてしまいますが、いないと寂しい人は代わりが
ありません、寂しさも慣れるのかもしれませんが、長い時間が
かかりますし、時にはずっと寂しさを抱き続けて生きることも
あると思います。

会者定離、いないと寂しい思いをする人と出会うために
私たちは生まれてきたのでしょうか。

  
Posted by いとう茂 at 23:28Comments(0)