2016年12月26日
どこで笑うか、何が面白いか③
今日は午前中、例月出納検査でした。
5月に監査に就任して8回目の検査でした。
明日も監査があります、住民監査請求が出ている案件の
審査で、来月の中旬には報告をしなければいけませんので、
集中して審議をしています。
御用納めまで3日、いよいよ今年も押し詰まり新しい年が
目の前に迫ってきました。
今年を振り返る時間だけは作りたいと思います。
手帳を見ながら、あの時はこうだったとかこんなことが話題になった、
そんなことを思い出しながら、反省と感謝の繰り返し、
それらのすべてが来年への糧になればいいのですが・・・・・。
今日も、笑い話で吹き出していただければと思います。
「泳ぎの名人」
ある時、江戸の大川の橋を一人の男が通りかかりました。
男がふと川を見ると、人が水面に浮かんで川下へと動いているのが見えました。
不思議に思ったこの男は、さっそく近くの茶店の主人に尋ねました。
「ついいましがた大川で、うつむけになって身動き一つせずに
遠方まで泳いで行った人を見ましたが、どうやればあの様に
上手に泳げるものですかのう。
あれは、よほど泳ぎの名人と見ましたが、一体、何というお方じゃろう。
わしは泳ぎが下手なもんで、ぜひとも泳ぎを教えて欲しいものじゃ」
すると茶店の主人はあきれた顔をして、こう答えました。
「ああ、おおかたそれは、土佐衛門でございましょう」
「おお、土左衛門と申すお方ですか。して、住まいはどこですかな?
すぐにでも、教えをこいたいものだ」
茶店の主人は困った顔で、
「住まいは、あの世です」
※ 江戸時代の力士であった成瀬土左衛門(なるせどざえもん)の、
ぷっくりと太った体つきが、おぼれて死んだ水ぶくれの姿にそっくりだったので、
おぼれ死んだ人の事を土左衛門と呼ぶようになったそうです。
「金箱のかぎ」
大阪の商人が、四、五人そろって、旅あきないに出ました。
品物をみんな売り尽くしての帰り道、みんなは一緒の宿に泊まりました。
商人たちは寝る前に、それぞれお金をかぎのかかる金箱に入れました。
そして、ふろしきに包んで、まくら元に置いて寝たのです。
ところが次の朝、目を覚ましてみると、一人の商人の風呂敷包みがありません。
他の者は大変気の毒がって、あちらこちら探しましたが見つかりません。
「どうもこれは、夜の間に盗まれたに違いない」
みんなは、残念そうにため息をつきました。
ところが盗まれた本人は、けろっとして、
「みなさん。まあ、そう、ご心配くださいますな」
と、財布の中から、かぎを取り出して見せました。
「ほれ、この通り、かぎはこちらにございます。
盗まれた金箱には、ちゃんとかぎをおろしておきましたから、
ご心配はご無用にねがいいます」
それを聞いた仲間の一人が、
「のんきだねえ、かぎがなくったって、あんな金箱、
簡単に壊されて、中身はもう盗られてしまっているだろうに」
「あっ、・・・・・・」
「身投げ」
むかしは橋によっては、渡るのにお金を取られたそうです。
夜遅くに髪を振り乱しながら走ってきた娘が、橋の料金小屋の前に
一文を投げて、橋の上を通り過ぎようとしました。
すると中から出てきた番人が、慌てて声をかけました。
「これこれ、娘さん。この橋の渡り賃は、二文だよ」
すると娘は後ろを振り向いて、こう言いました。
「大丈夫。あたしは橋の真ん中まで行ったら、川に飛び込むから」
「聞き間違い」
ある男が眼の悪い佐助の手を引いて、眼の治療に連れて行きました。
歩いているうちに、道ばたに俵にくるまれた赤ん坊が捨ててあるのを見つけました。
男は驚いて、
「おいおい! 佐助よ。ここに、俵にくるんだ子めが捨ててあるぞ!」
と、教えました。
すると、佐助が、
「何だ? 米が捨ててある? それなら拾っておけ」
と、言いました。
「いやいや、そうじゃなくて、赤子めなのじゃ」
「赤米(あかごめ→小粒で味の悪い米で、貧しい人々の間で
食べられていました)か。まあ、赤米でもいいから、拾っておけ」
「いやいや、そうじゃなくて、人じゃ」
「四斗(しと→約七十二リットル)もあるのか。
それなら仲良く、二人で二斗ずつ分けよう」
「小男の願い」
生まれつき背の低いのを、とても悩んでいる男がいました。
男は毎日、神棚に手を合わせては、
「神さま、何とぞ背が高くなります様に、どうかお願いします」
と、お祈りをしていました。
ある日の事、ついに男の夢の中に神さまが現れて、こう言ったのです。
「お前の望みを、叶えてやろう。
目覚めた後、ご飯を一升と、お餅を一升食べ、酒を一樽飲んで、
そのまま眠るがよい。
そして目覚めた時に体中がだるく感じるから、その時、
体を上下へ十分に伸びをせよ。
そうすれば、お前の背は必ず、布団の長さまで伸びているだろう」
そこで、男は目覚めました。
「おお、ありがたいお告げだ。よし、さっそく試してみよう」
男はお告げの通り、一升のご飯を食べ、一升のお餅を食べ、
一樽の酒を飲むと、ぐでんぐでんに酔ってしまい、
その場で眠ってしまいました。
さて、男が目を覚ましてみると、お告げの通り体中が
だるくなっています。
そこで、体を上下にぐぐっと伸びをして、
「さて、これで願いが叶ったはず。布団の長さまで背が伸びるなんて、
ありがたい、ありがたい」
と、立ってみると、どうした事か、前よりも背がかなり低くなっているのです。
「おかしいな。確か布団の長さまで背が伸びているはずなのに。
・・・ああっ! このふとんは!」
男が布団を見てみると、何とその布団は寝る布団ではなく、
座布団だったのです。
5月に監査に就任して8回目の検査でした。
明日も監査があります、住民監査請求が出ている案件の
審査で、来月の中旬には報告をしなければいけませんので、
集中して審議をしています。
御用納めまで3日、いよいよ今年も押し詰まり新しい年が
目の前に迫ってきました。
今年を振り返る時間だけは作りたいと思います。
手帳を見ながら、あの時はこうだったとかこんなことが話題になった、
そんなことを思い出しながら、反省と感謝の繰り返し、
それらのすべてが来年への糧になればいいのですが・・・・・。
今日も、笑い話で吹き出していただければと思います。
「泳ぎの名人」
ある時、江戸の大川の橋を一人の男が通りかかりました。
男がふと川を見ると、人が水面に浮かんで川下へと動いているのが見えました。
不思議に思ったこの男は、さっそく近くの茶店の主人に尋ねました。
「ついいましがた大川で、うつむけになって身動き一つせずに
遠方まで泳いで行った人を見ましたが、どうやればあの様に
上手に泳げるものですかのう。
あれは、よほど泳ぎの名人と見ましたが、一体、何というお方じゃろう。
わしは泳ぎが下手なもんで、ぜひとも泳ぎを教えて欲しいものじゃ」
すると茶店の主人はあきれた顔をして、こう答えました。
「ああ、おおかたそれは、土佐衛門でございましょう」
「おお、土左衛門と申すお方ですか。して、住まいはどこですかな?
すぐにでも、教えをこいたいものだ」
茶店の主人は困った顔で、
「住まいは、あの世です」
※ 江戸時代の力士であった成瀬土左衛門(なるせどざえもん)の、
ぷっくりと太った体つきが、おぼれて死んだ水ぶくれの姿にそっくりだったので、
おぼれ死んだ人の事を土左衛門と呼ぶようになったそうです。
「金箱のかぎ」
大阪の商人が、四、五人そろって、旅あきないに出ました。
品物をみんな売り尽くしての帰り道、みんなは一緒の宿に泊まりました。
商人たちは寝る前に、それぞれお金をかぎのかかる金箱に入れました。
そして、ふろしきに包んで、まくら元に置いて寝たのです。
ところが次の朝、目を覚ましてみると、一人の商人の風呂敷包みがありません。
他の者は大変気の毒がって、あちらこちら探しましたが見つかりません。
「どうもこれは、夜の間に盗まれたに違いない」
みんなは、残念そうにため息をつきました。
ところが盗まれた本人は、けろっとして、
「みなさん。まあ、そう、ご心配くださいますな」
と、財布の中から、かぎを取り出して見せました。
「ほれ、この通り、かぎはこちらにございます。
盗まれた金箱には、ちゃんとかぎをおろしておきましたから、
ご心配はご無用にねがいいます」
それを聞いた仲間の一人が、
「のんきだねえ、かぎがなくったって、あんな金箱、
簡単に壊されて、中身はもう盗られてしまっているだろうに」
「あっ、・・・・・・」
「身投げ」
むかしは橋によっては、渡るのにお金を取られたそうです。
夜遅くに髪を振り乱しながら走ってきた娘が、橋の料金小屋の前に
一文を投げて、橋の上を通り過ぎようとしました。
すると中から出てきた番人が、慌てて声をかけました。
「これこれ、娘さん。この橋の渡り賃は、二文だよ」
すると娘は後ろを振り向いて、こう言いました。
「大丈夫。あたしは橋の真ん中まで行ったら、川に飛び込むから」
「聞き間違い」
ある男が眼の悪い佐助の手を引いて、眼の治療に連れて行きました。
歩いているうちに、道ばたに俵にくるまれた赤ん坊が捨ててあるのを見つけました。
男は驚いて、
「おいおい! 佐助よ。ここに、俵にくるんだ子めが捨ててあるぞ!」
と、教えました。
すると、佐助が、
「何だ? 米が捨ててある? それなら拾っておけ」
と、言いました。
「いやいや、そうじゃなくて、赤子めなのじゃ」
「赤米(あかごめ→小粒で味の悪い米で、貧しい人々の間で
食べられていました)か。まあ、赤米でもいいから、拾っておけ」
「いやいや、そうじゃなくて、人じゃ」
「四斗(しと→約七十二リットル)もあるのか。
それなら仲良く、二人で二斗ずつ分けよう」
「小男の願い」
生まれつき背の低いのを、とても悩んでいる男がいました。
男は毎日、神棚に手を合わせては、
「神さま、何とぞ背が高くなります様に、どうかお願いします」
と、お祈りをしていました。
ある日の事、ついに男の夢の中に神さまが現れて、こう言ったのです。
「お前の望みを、叶えてやろう。
目覚めた後、ご飯を一升と、お餅を一升食べ、酒を一樽飲んで、
そのまま眠るがよい。
そして目覚めた時に体中がだるく感じるから、その時、
体を上下へ十分に伸びをせよ。
そうすれば、お前の背は必ず、布団の長さまで伸びているだろう」
そこで、男は目覚めました。
「おお、ありがたいお告げだ。よし、さっそく試してみよう」
男はお告げの通り、一升のご飯を食べ、一升のお餅を食べ、
一樽の酒を飲むと、ぐでんぐでんに酔ってしまい、
その場で眠ってしまいました。
さて、男が目を覚ましてみると、お告げの通り体中が
だるくなっています。
そこで、体を上下にぐぐっと伸びをして、
「さて、これで願いが叶ったはず。布団の長さまで背が伸びるなんて、
ありがたい、ありがたい」
と、立ってみると、どうした事か、前よりも背がかなり低くなっているのです。
「おかしいな。確か布団の長さまで背が伸びているはずなのに。
・・・ああっ! このふとんは!」
男が布団を見てみると、何とその布団は寝る布団ではなく、
座布団だったのです。
Posted by いとう茂 at
13:25
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2016年12月25日
馬と呼ばれて・・・・
子どもの頃は「イテやん」と呼ばれることが多かったのですが、
成長するにつれて「茂ちゃん」「茂さん」に変わってきました。
現在でも茂さんという呼び方をしてくれる人はたくさん
いますし、議員の仲間も茂議員、茂さんと呼ぶ人もいます。
誰にでもあだ名や通り名があると思いますが、ずっと
呼ばれているのが「馬」です。
顔が長いからというのが理由ですが、自分では人並みはずれて
顔が長いかといつも疑問に思っています。
生まれも午年ですので特別悪い気はしません。
干支の中で一番お金儲けをするのが馬だと思います。
私に限って言えばお金儲けとは無縁の人間ですが、
干支の中で架空の動物である辰以外で、その動物自体の
価格や能力で稼ぐお金は馬が断然だと思います。
今日は競馬の有馬記念があり1年の競馬に幕を下ろしました。
もう長く競馬をしていませんので、有馬記念も見ていませんし、
どの馬が勝ったのかも知りません。
1着になった馬の優勝賞金は1億8千万円、三冠馬と言われる
皐月賞、ダービー、菊花賞の3つのレースの優勝賞金の合計は
3億6千万円近くになります。
ちなみに、一番優勝賞金が高額なのは、ジャパンカップの
2億5千万円です。
大相撲の幕内最高優勝の賞金は1,000万円、男子ゴルフですと
日本オープンゴルフなどの優勝賞金が4,000万円となっていますが、
大相撲ですと15日間、ゴルフでも4日間かけて優勝を争いますが、
競馬ですと2分足らずから3分余りで優勝が決まります。
もちろん実働時間の長さでいえば大相撲やゴルフの方が長く、
競走馬はせいぜい3・4年といったところですが、馬と人間の
比較で干支の中の比較ではありません。
干支の中で見世物やペットになりうる動物は、結構いますが、
ペットで2億円を超えて取引される干支の動物は聞いた記憶が
ありませんし、例えばホワイトタイガーがお隣の京都動物園で
公開になったとして、大人の入園料は600円ですから、毎日
長蛇の列で見学者が来れば馬と並ぶように思います。
競走馬と同様、私も長期の仕事は苦手です、集中力は
ある方だと思いますが、毎日朝早くから夜遅くまでとなると
集中力が切れてしまいます。
そんな時は人の話も馬耳東風・・・・・。
今年も残り1週間、馬耳東風にならないように、緩急をつけて
来年につなげたいと思います。
成長するにつれて「茂ちゃん」「茂さん」に変わってきました。
現在でも茂さんという呼び方をしてくれる人はたくさん
いますし、議員の仲間も茂議員、茂さんと呼ぶ人もいます。
誰にでもあだ名や通り名があると思いますが、ずっと
呼ばれているのが「馬」です。
顔が長いからというのが理由ですが、自分では人並みはずれて
顔が長いかといつも疑問に思っています。
生まれも午年ですので特別悪い気はしません。
干支の中で一番お金儲けをするのが馬だと思います。
私に限って言えばお金儲けとは無縁の人間ですが、
干支の中で架空の動物である辰以外で、その動物自体の
価格や能力で稼ぐお金は馬が断然だと思います。
今日は競馬の有馬記念があり1年の競馬に幕を下ろしました。
もう長く競馬をしていませんので、有馬記念も見ていませんし、
どの馬が勝ったのかも知りません。
1着になった馬の優勝賞金は1億8千万円、三冠馬と言われる
皐月賞、ダービー、菊花賞の3つのレースの優勝賞金の合計は
3億6千万円近くになります。
ちなみに、一番優勝賞金が高額なのは、ジャパンカップの
2億5千万円です。
大相撲の幕内最高優勝の賞金は1,000万円、男子ゴルフですと
日本オープンゴルフなどの優勝賞金が4,000万円となっていますが、
大相撲ですと15日間、ゴルフでも4日間かけて優勝を争いますが、
競馬ですと2分足らずから3分余りで優勝が決まります。
もちろん実働時間の長さでいえば大相撲やゴルフの方が長く、
競走馬はせいぜい3・4年といったところですが、馬と人間の
比較で干支の中の比較ではありません。
干支の中で見世物やペットになりうる動物は、結構いますが、
ペットで2億円を超えて取引される干支の動物は聞いた記憶が
ありませんし、例えばホワイトタイガーがお隣の京都動物園で
公開になったとして、大人の入園料は600円ですから、毎日
長蛇の列で見学者が来れば馬と並ぶように思います。
競走馬と同様、私も長期の仕事は苦手です、集中力は
ある方だと思いますが、毎日朝早くから夜遅くまでとなると
集中力が切れてしまいます。
そんな時は人の話も馬耳東風・・・・・。
今年も残り1週間、馬耳東風にならないように、緩急をつけて
来年につなげたいと思います。
Posted by いとう茂 at
21:35
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2016年12月24日
クリスマスイブ・もみの木
今日はクリスマスイブ、と言ってもあまり関係はありません。
若い人たちは食事だデートだ映画だと忙しく動きプレゼントの
交換でクライマックスを迎える一日になるのでしょうか。
キリストの誕生日を祝う仏教徒?同じように聖人と言われる、
お釈迦様の花まつりは桜の時期なのに、入学式と重なることが多く
ほとんど気づかずお寺の前を通り過ぎてしまいますし、
孔子の誕生日は、いつだったのかも知りません。
ハロウィンの経済効果がバレンタインデーの経済効果を
上回ったようですが、1100億円ほどです、それに比べて
クリスマスは約6倍の経済効果があります。
と言っても、顔にペイントをしたり奇抜な衣装を身にまとって
通りを闊歩するハロウィンはおじさんやおばさんの文化には
なじまない・・・・・・。
そう感じるのは、おじさんを超えてお爺さんの域だからでしょうか。
若い頃はバレンタインも心が躍る節目の日でしたが、いつの頃からか、
失望の日に変わり、今では、普通の日に変わりました。
お返しをしなくていいやと思うことは、負け惜しみかも知れませんが・・・・・。
クリスマスだけでなく普段からも、ケーキは何十年も食べていませんが、
お酒をやめてからはシュークリームやドーナツは食べるようになりました。
人が影響を受けるのは人だけでなく食べ物からも影響を受ける、
そのことに気づきました。
いくつになってもその時を大事にしたいと思います。
過ぎた時間は返りませんし、変えることはできませんが、今この時は
丁寧にも雑にも過ごせます、気にいった時は丁寧に、そうでない時は
雑に過ごす、無意識の中でそういう過ごし方をしてしまうのが人間の
ように思います。
だからこそ、残り時間と健康が気になる峠にいるから、峠を一歩一歩
上り切り、ゆっくり穏やかに無理なく下りたいと願います。
「もみの木」
むかしむかし、ある森の中に、小さいもみの木がありました。
「あっ、ぼくの頭の上をまた、ウサギが飛びこした。いやだな、
はやく大きくなりたいな」
もみの木は上を見あげては、大きい木をうらやましいと思いました。
お日さまが、それを見て言いました。
「あせらないでもいいよ。いつか、いやでも大きくなるさ。
それよりも、若い時を大事にするといいよ」
でも小さいもみの木には、その意味がよくわかりません。
クリスマスが近づくと、森の若い木が次々に切られました。
「ねえ、スズメさん。あの木たちは、どこへ行くんだい?」
「あれは、クリスマス・ツリーになるのさ。キラキラしたモールや
玉でかざられて、そりゃあ、きれいになるのさ」
「ふうん。ぼくも、はやくそんなふうになりたいなあ」
それを聞いて、お日さまは言いました。
「この広々とした森で、お前は若い時を楽しんでおくといいよ」
やがてもみの木は大きくなり、美しい枝を広げました。
とうとうある年の冬、木こりがこのもみの木に目をとめました。
「やあ、クリスマス・ツリーにぴったりだ」
もみの木は切られて町に運ばれ、ある家に買われました。
絵や置物のある立派な広間に、もみの木は置かれました。
「さあ、ツリーをかざろう、きれいにかざろう」
子どもたちのはしゃぐ声が、聞こえます。
もみの木は、むねがドキドキしてきました。
「あっ、鈴がついたぞ。ロウソクも、ともった。サンタクロースの人形もいる。
星もあるぞ」
自分につけられるかざりに、もみの木は目をみはりました。
「メリー・クリスマス!」
子どもたちはツリーのまわりで歌ったり、おどったり、そのにぎやかな事。
そしてみんなで、クリスマスプレゼントのつつみを開きました。
「わーい、いいな、うれしいな」
「これ、わたし、ほしかったの」
しばらくして子どもたちは、ツリーのかざりもわけてもらいました。
鈴だの、モールだの、それぞれが好きな物をもらいました。
次の朝、この家の使用人が枝だけになったもみの木を、
屋根裏部屋にかたづけました。
「暗いし、一人でさびしいな。それに寒い・・・」
もみの木が、ブルッと身ぶるいした時です。
ネズミが、飛び出してきました。
「あっ、もみの木さんだ。クリスマスは終わったのね。
ぼくたちに、昨日の話を聞かせてよ」
「うん、じゃあ、聞いてね」
もみの木は、少し元気が出てきました。
クリスマスの話を色々したあと、自分が育った森の事も話しました。
「おもしろいね。それで? それから?」
ネズミたちは、熱心に耳をかたむけました。
でもいく日かすると、あきてきて、
「もっと、別の話がいいよ。ベーコンやチーズがあるところは、どこかとか」
「そんな事は、ぼく知らないんだ」
「つまんないの、じゃあね」
ネズミたちは、どこかへ行ってしまいました。
もみの木は、また一人ぼっちです。
ある日、使用人が屋根裏部屋にあがってきました。
もみの木は引きずられて、中庭へ出されました。
「ああ、花が咲いている。鳥も歌っている。やっぱり外の空気は、
いいなあ。何か良い事が、おこりそうだ」
もみの木は喜びましたが、それどころではありません。
もみの木はコーン、コーンと、いきなりオノで切られて、
まきにされてしまったのです。
まきになったもみの木は、台所のかまどにくベられてパシパシと燃えはじめました。
「ああ、何もかもおしまいだ。お日さまが若い時を大事にしろと言ったのは、
こう言う事だったんだ」
もみの木は深いため息をつき、音をたてて燃えていきました。
若い人たちは食事だデートだ映画だと忙しく動きプレゼントの
交換でクライマックスを迎える一日になるのでしょうか。
キリストの誕生日を祝う仏教徒?同じように聖人と言われる、
お釈迦様の花まつりは桜の時期なのに、入学式と重なることが多く
ほとんど気づかずお寺の前を通り過ぎてしまいますし、
孔子の誕生日は、いつだったのかも知りません。
ハロウィンの経済効果がバレンタインデーの経済効果を
上回ったようですが、1100億円ほどです、それに比べて
クリスマスは約6倍の経済効果があります。
と言っても、顔にペイントをしたり奇抜な衣装を身にまとって
通りを闊歩するハロウィンはおじさんやおばさんの文化には
なじまない・・・・・・。
そう感じるのは、おじさんを超えてお爺さんの域だからでしょうか。
若い頃はバレンタインも心が躍る節目の日でしたが、いつの頃からか、
失望の日に変わり、今では、普通の日に変わりました。
お返しをしなくていいやと思うことは、負け惜しみかも知れませんが・・・・・。
クリスマスだけでなく普段からも、ケーキは何十年も食べていませんが、
お酒をやめてからはシュークリームやドーナツは食べるようになりました。
人が影響を受けるのは人だけでなく食べ物からも影響を受ける、
そのことに気づきました。
いくつになってもその時を大事にしたいと思います。
過ぎた時間は返りませんし、変えることはできませんが、今この時は
丁寧にも雑にも過ごせます、気にいった時は丁寧に、そうでない時は
雑に過ごす、無意識の中でそういう過ごし方をしてしまうのが人間の
ように思います。
だからこそ、残り時間と健康が気になる峠にいるから、峠を一歩一歩
上り切り、ゆっくり穏やかに無理なく下りたいと願います。
「もみの木」
むかしむかし、ある森の中に、小さいもみの木がありました。
「あっ、ぼくの頭の上をまた、ウサギが飛びこした。いやだな、
はやく大きくなりたいな」
もみの木は上を見あげては、大きい木をうらやましいと思いました。
お日さまが、それを見て言いました。
「あせらないでもいいよ。いつか、いやでも大きくなるさ。
それよりも、若い時を大事にするといいよ」
でも小さいもみの木には、その意味がよくわかりません。
クリスマスが近づくと、森の若い木が次々に切られました。
「ねえ、スズメさん。あの木たちは、どこへ行くんだい?」
「あれは、クリスマス・ツリーになるのさ。キラキラしたモールや
玉でかざられて、そりゃあ、きれいになるのさ」
「ふうん。ぼくも、はやくそんなふうになりたいなあ」
それを聞いて、お日さまは言いました。
「この広々とした森で、お前は若い時を楽しんでおくといいよ」
やがてもみの木は大きくなり、美しい枝を広げました。
とうとうある年の冬、木こりがこのもみの木に目をとめました。
「やあ、クリスマス・ツリーにぴったりだ」
もみの木は切られて町に運ばれ、ある家に買われました。
絵や置物のある立派な広間に、もみの木は置かれました。
「さあ、ツリーをかざろう、きれいにかざろう」
子どもたちのはしゃぐ声が、聞こえます。
もみの木は、むねがドキドキしてきました。
「あっ、鈴がついたぞ。ロウソクも、ともった。サンタクロースの人形もいる。
星もあるぞ」
自分につけられるかざりに、もみの木は目をみはりました。
「メリー・クリスマス!」
子どもたちはツリーのまわりで歌ったり、おどったり、そのにぎやかな事。
そしてみんなで、クリスマスプレゼントのつつみを開きました。
「わーい、いいな、うれしいな」
「これ、わたし、ほしかったの」
しばらくして子どもたちは、ツリーのかざりもわけてもらいました。
鈴だの、モールだの、それぞれが好きな物をもらいました。
次の朝、この家の使用人が枝だけになったもみの木を、
屋根裏部屋にかたづけました。
「暗いし、一人でさびしいな。それに寒い・・・」
もみの木が、ブルッと身ぶるいした時です。
ネズミが、飛び出してきました。
「あっ、もみの木さんだ。クリスマスは終わったのね。
ぼくたちに、昨日の話を聞かせてよ」
「うん、じゃあ、聞いてね」
もみの木は、少し元気が出てきました。
クリスマスの話を色々したあと、自分が育った森の事も話しました。
「おもしろいね。それで? それから?」
ネズミたちは、熱心に耳をかたむけました。
でもいく日かすると、あきてきて、
「もっと、別の話がいいよ。ベーコンやチーズがあるところは、どこかとか」
「そんな事は、ぼく知らないんだ」
「つまんないの、じゃあね」
ネズミたちは、どこかへ行ってしまいました。
もみの木は、また一人ぼっちです。
ある日、使用人が屋根裏部屋にあがってきました。
もみの木は引きずられて、中庭へ出されました。
「ああ、花が咲いている。鳥も歌っている。やっぱり外の空気は、
いいなあ。何か良い事が、おこりそうだ」
もみの木は喜びましたが、それどころではありません。
もみの木はコーン、コーンと、いきなりオノで切られて、
まきにされてしまったのです。
まきになったもみの木は、台所のかまどにくベられてパシパシと燃えはじめました。
「ああ、何もかもおしまいだ。お日さまが若い時を大事にしろと言ったのは、
こう言う事だったんだ」
もみの木は深いため息をつき、音をたてて燃えていきました。
Posted by いとう茂 at
10:13
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2016年12月23日
茂呂副市長退任式の市長、副市長あいさつ
11月通常会議で定数2のうち空席となっていた
もう一人の副市長に鷲見徳彦・市福祉 子ども部長が就任する
人事案件に合意しました。
2014年の5月末をもって副市長が辞任してから2年7か月ぶりに
二人の副市長体制が整いました。
今後は伊藤康行副市長と市長を補佐して34万市民のために
これまで培ってこられた行政手腕を発揮していただきたいと思います。
今日は、2014年5月に辞任された茂呂副市長の退任式の
挨拶を再アップします、これまでのお礼、職員の皆さんへ、そして、
市長へのお願いで構成されています。
冒頭に市長の挨拶も掲載しました。
かなりのボリュームですが改めて読み直すのも気づきがあり
参考になることがありました。
越市長挨拶
それでは茂呂副市長の退任にあたり、私から
挨拶をさせていただきます。
茂呂副市長にはこの2年間、副市長としてこの大津市
そして私を支えていただき、本当にありがとうございました。
本当に茂呂副市長にこの2年間、副市長としての重責を担っていただいた
ことについて、心から感謝を申し上げます。
そしてまた、副市長になられる前も40年という大変長い間に渡って
この大津市役所で大津市民のために、この大津市役所で働いていただいたことに
敬意と、そして感謝の意を表します。
振り返りますと私が、市長になりまして行政のことは分からない中で、
茂呂副市長には平成24年の6月に副市長に就任をしていただき、
豊富な経験そして、知識を持って支えていただきました。
その中でも特に茂呂副市長は、ここにいらっしゃる職員のみなさんや
議会の皆さん、また市民の皆さんとのパイプ役として、
常に多くの方々と、お話をしていただいたと思っております。
そういった中で大津市において、大きな懸念事項や案件について
道筋、また解決方法を示していただいたと思っております。
例えば、ゴミ処理施設の件にしても、常に地元に足を運んでいただき、
お話をしていただいたのは、茂呂副市長であります。
本当にこれについては茂呂副市長なくしては、大津市における
困難な案件について、方向づけるということ、また、解決するということが
できなかったと思っております。
これから、今日、明日を持って茂呂副市長は退任をされることになります。
茂呂副市長が担っていただいた役割が、非常に大きかった分
不安に思うこともありますけれども、これからここにいらっしゃる職員の皆さんと
一丸となって頑張ってまいりたいと思っておりますので、
これからも茂呂副市長は市役所の外からではありますけれども、
私たちを暖かく見守っていただければと思います。
本当に今までお世話になってありがとうございました。
茂呂副市長あいさつ
エー茂呂でございます。
・・・・・多くの市議会議員の方々がお忙しい中、
わざわざお越しいただき、・・・・本当に私にとって
大きな喜びであり光栄でございます、ありがとうございます。
そしてまた職員の皆さんも、こんなに大勢お越しいただいて
感激であります、また、その前に市長から・・・・・恐縮しております。
皆さんもお立ち頂いている中恐縮でございますが、
お時間をいただいてちょっとご挨拶をと思います。
平成24年6月、市長のご要請を受けまして、そして、全ての議員の
皆様のご承認をいただきまして、副市長に就任して以来、
同僚、後輩の暖かい声を背中に受けながら、微力を尽くしてまいりましたが、
一身上の都合により5月31日で退任する、ということになりました。
これは市長とも協議をしました結果の適切な選択であったと考えておりますが、
一方で、多くの方々の期待に十分にお応えできなかったと言うことにつきまして、
これは私の力不足によるものでありまして、二年の任期を残して退任、
心からお詫び申し上げます。
どうぞお許しいただきたいと思います。
本日は貴重な時間でありますが、この経過の概要を報告して
併せて私の仲間である職員の皆さんに、いささかの年長者として
贈る言葉を申し上げたいと思います。
私は職員とのパイプ役となること、市長から期待されまして、
その後肝に銘じて職務に取り組んでまいりましたが、
実際にはなかなかそういう役割は難しい、ということは困難を覚えることも
少なからずあり、容易ではございませんでした、そうした中で本年3月、副市長として
2回目となる当初予算編成そして人事異動を見届けてきたわけでありますが、
それらの重要な作業のの課程においても、職員の中に蓄積をされてきた
良質の情報を十分に生かすことができなかった。
あるいは現場の声をしっかりと市長に聞いていただくことができたかという点において、
私自身が非常に反省するところがございます。
で、お断りするまでもございませんが、予算は議会の慎重審議の結果承認を
いただいております。
人事についても新体制が円滑に動いて新年度がスムーズに動いておりますので、
何ら問題はございません。
私はあくまで、組織の内部の意思決定のプロセスにおける私自身の
役割と言うことで申し上げておるものでございます。
また時を同じくして3月、職員の分限化の条例の適用を求めて1,900人に上る
職員からの嘆願書が提出されまして、これに対して本市は、責任に基づく
慎重な判断の結果で条例については、これについては不適用と言う決定を行ったわけです。
この決定と、また別にですね、私はこの時に多数の職員の意思表示に私自身として、
真っ向から向き合えたのかどうか、そして、それに対して確かなメッセージを返すことが
できたかと言うことを自問いたしました。
すなわちこれまた、一つの重要な場面に立ち会ってパイプ役の本来的な機能を
果たすことができたかどうか、この部分についても私は残念ながら
不十分な対応しかなし得なかったということだと思います。
こうしたことから、副市長としてすでに2年分の結果責任を負うところの
私が今後とも職務を続けるうえで、一つの大きな分かれ道に差しかかったと
感じたのはやはり3月であります。
これは一つとしては副市長としての私の力量の問題でありますし、
もう一つは市長とその右腕であるところの私の相互の関係の問題でもある、
で、そこでそのことを率直に市長に申しあげまして、しっかりと市長のお役に立てない、
であれば、私としたらもはや辞職しかない、と言う気持ちをお伝えしましたところ、
市長も真剣に耳を傾けていただきまして、私の進退に係る協議が始まりました。
ところがちょうどその時に、富田教育長の辞職という大きな出来事がありました。
富田氏は技術者としての合理的精神とそれから教育改革に賭ける情熱を併せ持った方で、
子どもの立場からの教育改革に一生懸命に努めておられたのですが、
就任以来市長部局との連携の在り方について、苦慮しておられました。
私と富田氏はお互いに信頼をおく間柄でありましたが、同氏は26年当初の
予算の編成において、教育委員会の意見の反映がなかなか難しいということについて
心を痛めておられました。
こうした事情がご本人の重大な決断に結び付いたと私は認識いたしております。
もちろん、一時は健康を損なわれて、それを理由に退任されたという事実を否定するものではありません。
これもまた市長部局と教育委員会との連携調整と言う私の大変重要な役割に
係ることとしてお話をしているわけであります。
やがて年度末であったことから、26年度当初予算の事業推進を最優先しようと
いうことでありまして、新規事業計画とか部局長意見の聴取など一連の仕事を
進めて新年度をスタートしつつ、また市長とのご相談を再開してまいりましたと言う次第です。
さて、私の尊敬するところの先輩であり目標でもありました佐藤賢氏井上俊生氏のお二人の副市長は
時の市長の厚い信任を受けて行政推進を果たされましたが、私としてなかなか同様の働きをすることが
かなわずに、また、パイプ役として十分な働きをなし得なかったと、いうことにつきましては
先ほど述べました通りであります。
一方市長は、就任3年を迎えて、内外の事情にも通じてこられましたことから、
私も少々、いわば案内役と言うことでの、その仕事は一定完了しておりましたし、
市長からございましたゴミ処理施設についても・・・・・方針転換がはかれた
これ一つの到達でございまして、市長におかれては一山越えられた
こんな状況でございます。
で、私にとって容易ではなかった職員とのパイプ役と言うことにつきましても、
今後、市長ご自身がパイプ役、パイプとなられますよう、むしろその方が好ましいのではないかと
本市内部の現状を踏まえつつ、こうした状況を重ね合わせた結果、円滑な組織運営と、
市政推進のためには私の退任もありうる選択肢である、いうご判断をいただいて
私は市長から一身上の都合での退職、いうことをお認め頂いたわけであります。
以上が概略のご説明でありまして、皆様にはどうぞよろしくご理解いただきたいと存じます。
次は、私の在任期間中の忘れがたい出来事を3つだけ、
主に、内部の視点からお話ししたいと思います。
まず、一昨年に全国的な社会問題と化しました、いじめ事件について
避けて通るわけにはまいりません。
私たちは大変尊い犠牲の上に、重要な課題認識とそれから
貴重な教訓を得たわけであります。
それらを踏まえて教育委員会、学校現場において真摯な取り組みが
着実に進められていることをここでお伝えしておきたいと思います。
その取り組みの第一歩をしるされたのが、澤村元教育長であると
私は考えております。
同氏はかけがえのない一つの命が失われたということを
重く受け止めつつ、また一方でいじめを行った少年たち、
さらには行わなかった多くの同級生たち、こうした子どもたちが
いまだ未完成で保護を必要とする存在でもあるという認識の下で、
この体験が避けがたく、彼らの心の傷となって残るであろうということについて
教育者として深く憂慮し、行動しょうとされました。
このことが強く印象に残っています。
二つ目は災害です、本市は二年続きで大きな災害に見舞われました。
市民の皆様は大変ご苦労いただきましたし、本市も常に市長が陣頭指揮に
立たれ、消防、危機防、建設をはじめ全部局が力を合わせて
救援と復旧に取り組みました。
特に一昨年は、県内12市から支援の申し出がありまして延べ260人の
各市の職員の方々が、本市職員に交じって土砂撤去に汗を流していただきました。
このことも忘れられない思い出です。
災害復旧に技術職を派遣するということはよくある話なんですが、
一般職をこうした業務にかりだした、極めて異例のことでありまして、
特に災害の少なかった本市にとって初めての受入れでありました。
近隣との市町との平素のお付き合いの大切さを再認識した出来事でもございました。
三つ目は南部クリーンセンターの白紙撤回です。
本市は、越市長のもとで将来世代の負担軽減を重視し、
安定操業と災害対応にも十分配慮して、ゴミ処理施設を3から2へ、
方針転換を行いまして、説明を尽くして地元及び議会のご理解をいただいたところであります。
しかし、地元の方々にしてみれば、かつて市からのたっての要請を受け、
様々な意見がある中で議論を重ねた挙句、大津市全体の利益を考えて、
ようやく受け入れを承知したところ、今度は一転して大津市から
一方的に建設中止を告げられたわけですから、そんな状況でありましたから、
一時は行政不信の声が上がったということも避けがたい成り行きであります。
ゴミ焼却施設の建設計画が無くなるんだったら、地元には受け入れやすい方針変更である
という見方がもしあるとしたら、それは極めて表面的な見方であります。
施設の受け入れ決定に当たって、地域の方々が費やしてこられた
身を削るような多くの時間、それから突きつけられた課題の克服に注がれたエネルギー
というのは大変なものでありまして、これが自らの原因によらず、
無に帰することとなった時の虚しさ、あるいは徒労感と言うのは
本当に大きなものであったろうと想像します。
そしてその感覚は、建設推進のために地元との対話を続けてきた環境部の
職員も、当時は深く共有されました。
これは彼らの誠実な仕事ぶりの反映でもあったと私は認識しています。
こうした中、本市は精力的に内部協議を重ねまして、職員一丸となって、
方針転換を図ることとなり、各方面への説明を丁寧に尽くした結果、
今は、ありがたいことに地元のご理解と信頼をいただいていますが、
南部クリーンセンターに限りません。
ゴミ処理施設をお受入れいただいている各学区の住民のみなさん、
とりわけ自治会の役員の方々のご苦労の大きさに、これに改めて気づかされて、
そして、そうした方々の大津のまちづくりに対するご理解とご協力に対して、
行政職員として、感謝の念を一層深めることとなった重要な契機となりました。
次は私から職員の皆さんへのメッセージです。
職員の皆さん、特に部下を持った職員の方におかれましては、
職場の仲間を大切にしてください。
すべての職員は、縁あって人生のある時期に、
同じ職場で働くわけですが、家に帰れば夫であったり、
妻であったり母や息子、娘であったり、それぞれ誰かにとって、
かけがえのない存在として固有の人生を生きているわけであり、
そんなかけがえのない一人ひとりが毎朝、出勤してきて上司として
部下として机を並べる、これが職場であります。
もちろん我々は第一に公務員でありまして、職場には職場のルールがあり、
職員たる者これに従うことが大原則であります。
そのうえで上司は、全ての職員が世の中において
かけがえのない存在であるという当たり前の
事実を常に忘れないでほしいと思います。
そうした当たり前の感覚と認識に支えられた民主的な
職場を作るよう、築くよう特に、人の上に立つ人にお願いを申し上げます。
職員を将棋の駒ではなく一人の生身の人間として尊重してください。
そのような職場で職員が互いに心を通わせ、
自ら選んだ道である公務の遂行を通じて自己実現の
喜びを実感できるということでありましたら、そして、その力を
市長のもとで一つに束ねることができるなら、モラルとモチベーションは
おのずから高まり、市民のためにより良い仕事ができるものと私は確信しております。
これに関連して不祥事について申し上げます。
昨今の本市の状況は市民の皆様に本当に申し訳ない事であり、
引き続き全庁挙げての取り組みを着実に進めていくことが肝要であります。
しかし、現状を通して、市役所には膿がたまっているとの言葉があります。
これはどういう実態を指すのか、職員は我が事として考えてみる必要があります。
実は私自身は膿がたまっているとは思っておりません。
同じく物のたとえでいうならば、大量の白い砂の中に一つまみの
黒い砂が混じっている状態であると思いますし、さらによく見れば
黒い砂の中にも灰色や白黒マダラやそうした粒が混入してます。
黒い砂は断固排除すべきですし、灰色やマダラは、よく見極めたうえで、
適切な対処が必要であります。
もし、白い砂を黒く変色させていく組織風土や文化が確かに
この市役所にあるとするならば、それこそ膿がたまっている状態でありまして、
組織の存立の根幹にかかわる問題であります。
不祥事の対策は究極のところ全体の奉仕者たる公務員を志して市役所に入った
職員一人ひとりのモラルの問題に突き当たります。
内部通報もセキュリティも大変大切ですが、最後の砦は個人の心の中にあります。
その深みに直接響くような働きかけをいかにして行うことができるのか、
これが難題でありますが根本解決への正しい道筋であり、その環境を整備するのが
先ほど述べたような職場づくりであることは間違いありません。
最後に市長に申しあげます。
市長は4年で結果を残そうと積極的に行動してこられましたが、
特に、今年度は市民に対して変化を実感していただける
年にしたいと抱負を語っていらっしゃいます。
人口が減り高齢化が進むこの我が国において、
市民の幸福を求めて将来のまちづくりを展望する時、
本市の現在の姿をどのように解釈するかは極めて重要な問題であります。
その姿は多面体であって私たちの前には長年にわたる
人々のたゆまぬ営みの成果、試行錯誤を重ねて行き着いた先の安定の形、
これから大切に育てていくべき若木の苗床、さらには時代の変化に
取り残された旧態依然たる風習やシステム等々、様々な景色が展開しております。
その中から変えていくもの、守っていくものを、これについて
現場の声、職員の声に耳を傾けて丁寧に仕分けをしたうえで、
次なる行動に移ることが重要であると考えます。
変えるべきものは痛みを伴っても変えなければなりませんが、
一方、守るべきものを変えてしまった場合は取り返しがつきません。
変える、変えないの仕分けに一人の意思ではなく、多くの英知を動員してくださるよう
お願い申し上げます。
思いの強さは正義ではありません。
偉そうなことを申し上げましたが、実は私5月22日に部長会において、
市長が全部局長に対して、職員の声をよく聞き、そして信頼し
任せると表明されたことに深く感動いたしました。
これは極めてシンプルな言葉ながら、指導者にとっては
決して簡単なことではありません。
2年間、市長のお仕事をまじかで拝見し、手伝わせてもいただいて、
市長の権限の大きさと責任の重さを改めて知り得た私としましては、
市長が決意を持ってこの発言をされたものと理解し、大変嬉しい気持ちで拝聴しました。
市長職は激務ですが、どうぞ健康にご留意いただき職員を大切に、
市民にお役立ていただきますようお願いを申します。
また、伊藤副市長には、このたび大変ご迷惑をおかけすることになり、
誠に申し訳ございません。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
大変長いご挨拶となりました。
職員の皆さん、大津は本当に素晴らしいまちであります。
皆さんは、この大津のまちで、市民のために働くことの喜びと誇りを胸に、
一丸となって市長を支え、精一杯いい仕事をして下さい。
私は39年の公務員人生を終了しますが、実に多くの方々にご指導いただき、
お世話になったことが思い出されます。
人に支えられてしか人は生きられません。
そのありがたさを最後の日に噛みしめております。
市議会議員各位、職員の皆さん、ご出席くださったすべての方々に対しまして、
私の39年分の心からのお礼を申し上げて終わりとします。
皆様、長い間、本当にありがとうございました。
もう一人の副市長に鷲見徳彦・市福祉 子ども部長が就任する
人事案件に合意しました。
2014年の5月末をもって副市長が辞任してから2年7か月ぶりに
二人の副市長体制が整いました。
今後は伊藤康行副市長と市長を補佐して34万市民のために
これまで培ってこられた行政手腕を発揮していただきたいと思います。
今日は、2014年5月に辞任された茂呂副市長の退任式の
挨拶を再アップします、これまでのお礼、職員の皆さんへ、そして、
市長へのお願いで構成されています。
冒頭に市長の挨拶も掲載しました。
かなりのボリュームですが改めて読み直すのも気づきがあり
参考になることがありました。
越市長挨拶
それでは茂呂副市長の退任にあたり、私から
挨拶をさせていただきます。
茂呂副市長にはこの2年間、副市長としてこの大津市
そして私を支えていただき、本当にありがとうございました。
本当に茂呂副市長にこの2年間、副市長としての重責を担っていただいた
ことについて、心から感謝を申し上げます。
そしてまた、副市長になられる前も40年という大変長い間に渡って
この大津市役所で大津市民のために、この大津市役所で働いていただいたことに
敬意と、そして感謝の意を表します。
振り返りますと私が、市長になりまして行政のことは分からない中で、
茂呂副市長には平成24年の6月に副市長に就任をしていただき、
豊富な経験そして、知識を持って支えていただきました。
その中でも特に茂呂副市長は、ここにいらっしゃる職員のみなさんや
議会の皆さん、また市民の皆さんとのパイプ役として、
常に多くの方々と、お話をしていただいたと思っております。
そういった中で大津市において、大きな懸念事項や案件について
道筋、また解決方法を示していただいたと思っております。
例えば、ゴミ処理施設の件にしても、常に地元に足を運んでいただき、
お話をしていただいたのは、茂呂副市長であります。
本当にこれについては茂呂副市長なくしては、大津市における
困難な案件について、方向づけるということ、また、解決するということが
できなかったと思っております。
これから、今日、明日を持って茂呂副市長は退任をされることになります。
茂呂副市長が担っていただいた役割が、非常に大きかった分
不安に思うこともありますけれども、これからここにいらっしゃる職員の皆さんと
一丸となって頑張ってまいりたいと思っておりますので、
これからも茂呂副市長は市役所の外からではありますけれども、
私たちを暖かく見守っていただければと思います。
本当に今までお世話になってありがとうございました。
茂呂副市長あいさつ
エー茂呂でございます。
・・・・・多くの市議会議員の方々がお忙しい中、
わざわざお越しいただき、・・・・本当に私にとって
大きな喜びであり光栄でございます、ありがとうございます。
そしてまた職員の皆さんも、こんなに大勢お越しいただいて
感激であります、また、その前に市長から・・・・・恐縮しております。
皆さんもお立ち頂いている中恐縮でございますが、
お時間をいただいてちょっとご挨拶をと思います。
平成24年6月、市長のご要請を受けまして、そして、全ての議員の
皆様のご承認をいただきまして、副市長に就任して以来、
同僚、後輩の暖かい声を背中に受けながら、微力を尽くしてまいりましたが、
一身上の都合により5月31日で退任する、ということになりました。
これは市長とも協議をしました結果の適切な選択であったと考えておりますが、
一方で、多くの方々の期待に十分にお応えできなかったと言うことにつきまして、
これは私の力不足によるものでありまして、二年の任期を残して退任、
心からお詫び申し上げます。
どうぞお許しいただきたいと思います。
本日は貴重な時間でありますが、この経過の概要を報告して
併せて私の仲間である職員の皆さんに、いささかの年長者として
贈る言葉を申し上げたいと思います。
私は職員とのパイプ役となること、市長から期待されまして、
その後肝に銘じて職務に取り組んでまいりましたが、
実際にはなかなかそういう役割は難しい、ということは困難を覚えることも
少なからずあり、容易ではございませんでした、そうした中で本年3月、副市長として
2回目となる当初予算編成そして人事異動を見届けてきたわけでありますが、
それらの重要な作業のの課程においても、職員の中に蓄積をされてきた
良質の情報を十分に生かすことができなかった。
あるいは現場の声をしっかりと市長に聞いていただくことができたかという点において、
私自身が非常に反省するところがございます。
で、お断りするまでもございませんが、予算は議会の慎重審議の結果承認を
いただいております。
人事についても新体制が円滑に動いて新年度がスムーズに動いておりますので、
何ら問題はございません。
私はあくまで、組織の内部の意思決定のプロセスにおける私自身の
役割と言うことで申し上げておるものでございます。
また時を同じくして3月、職員の分限化の条例の適用を求めて1,900人に上る
職員からの嘆願書が提出されまして、これに対して本市は、責任に基づく
慎重な判断の結果で条例については、これについては不適用と言う決定を行ったわけです。
この決定と、また別にですね、私はこの時に多数の職員の意思表示に私自身として、
真っ向から向き合えたのかどうか、そして、それに対して確かなメッセージを返すことが
できたかと言うことを自問いたしました。
すなわちこれまた、一つの重要な場面に立ち会ってパイプ役の本来的な機能を
果たすことができたかどうか、この部分についても私は残念ながら
不十分な対応しかなし得なかったということだと思います。
こうしたことから、副市長としてすでに2年分の結果責任を負うところの
私が今後とも職務を続けるうえで、一つの大きな分かれ道に差しかかったと
感じたのはやはり3月であります。
これは一つとしては副市長としての私の力量の問題でありますし、
もう一つは市長とその右腕であるところの私の相互の関係の問題でもある、
で、そこでそのことを率直に市長に申しあげまして、しっかりと市長のお役に立てない、
であれば、私としたらもはや辞職しかない、と言う気持ちをお伝えしましたところ、
市長も真剣に耳を傾けていただきまして、私の進退に係る協議が始まりました。
ところがちょうどその時に、富田教育長の辞職という大きな出来事がありました。
富田氏は技術者としての合理的精神とそれから教育改革に賭ける情熱を併せ持った方で、
子どもの立場からの教育改革に一生懸命に努めておられたのですが、
就任以来市長部局との連携の在り方について、苦慮しておられました。
私と富田氏はお互いに信頼をおく間柄でありましたが、同氏は26年当初の
予算の編成において、教育委員会の意見の反映がなかなか難しいということについて
心を痛めておられました。
こうした事情がご本人の重大な決断に結び付いたと私は認識いたしております。
もちろん、一時は健康を損なわれて、それを理由に退任されたという事実を否定するものではありません。
これもまた市長部局と教育委員会との連携調整と言う私の大変重要な役割に
係ることとしてお話をしているわけであります。
やがて年度末であったことから、26年度当初予算の事業推進を最優先しようと
いうことでありまして、新規事業計画とか部局長意見の聴取など一連の仕事を
進めて新年度をスタートしつつ、また市長とのご相談を再開してまいりましたと言う次第です。
さて、私の尊敬するところの先輩であり目標でもありました佐藤賢氏井上俊生氏のお二人の副市長は
時の市長の厚い信任を受けて行政推進を果たされましたが、私としてなかなか同様の働きをすることが
かなわずに、また、パイプ役として十分な働きをなし得なかったと、いうことにつきましては
先ほど述べました通りであります。
一方市長は、就任3年を迎えて、内外の事情にも通じてこられましたことから、
私も少々、いわば案内役と言うことでの、その仕事は一定完了しておりましたし、
市長からございましたゴミ処理施設についても・・・・・方針転換がはかれた
これ一つの到達でございまして、市長におかれては一山越えられた
こんな状況でございます。
で、私にとって容易ではなかった職員とのパイプ役と言うことにつきましても、
今後、市長ご自身がパイプ役、パイプとなられますよう、むしろその方が好ましいのではないかと
本市内部の現状を踏まえつつ、こうした状況を重ね合わせた結果、円滑な組織運営と、
市政推進のためには私の退任もありうる選択肢である、いうご判断をいただいて
私は市長から一身上の都合での退職、いうことをお認め頂いたわけであります。
以上が概略のご説明でありまして、皆様にはどうぞよろしくご理解いただきたいと存じます。
次は、私の在任期間中の忘れがたい出来事を3つだけ、
主に、内部の視点からお話ししたいと思います。
まず、一昨年に全国的な社会問題と化しました、いじめ事件について
避けて通るわけにはまいりません。
私たちは大変尊い犠牲の上に、重要な課題認識とそれから
貴重な教訓を得たわけであります。
それらを踏まえて教育委員会、学校現場において真摯な取り組みが
着実に進められていることをここでお伝えしておきたいと思います。
その取り組みの第一歩をしるされたのが、澤村元教育長であると
私は考えております。
同氏はかけがえのない一つの命が失われたということを
重く受け止めつつ、また一方でいじめを行った少年たち、
さらには行わなかった多くの同級生たち、こうした子どもたちが
いまだ未完成で保護を必要とする存在でもあるという認識の下で、
この体験が避けがたく、彼らの心の傷となって残るであろうということについて
教育者として深く憂慮し、行動しょうとされました。
このことが強く印象に残っています。
二つ目は災害です、本市は二年続きで大きな災害に見舞われました。
市民の皆様は大変ご苦労いただきましたし、本市も常に市長が陣頭指揮に
立たれ、消防、危機防、建設をはじめ全部局が力を合わせて
救援と復旧に取り組みました。
特に一昨年は、県内12市から支援の申し出がありまして延べ260人の
各市の職員の方々が、本市職員に交じって土砂撤去に汗を流していただきました。
このことも忘れられない思い出です。
災害復旧に技術職を派遣するということはよくある話なんですが、
一般職をこうした業務にかりだした、極めて異例のことでありまして、
特に災害の少なかった本市にとって初めての受入れでありました。
近隣との市町との平素のお付き合いの大切さを再認識した出来事でもございました。
三つ目は南部クリーンセンターの白紙撤回です。
本市は、越市長のもとで将来世代の負担軽減を重視し、
安定操業と災害対応にも十分配慮して、ゴミ処理施設を3から2へ、
方針転換を行いまして、説明を尽くして地元及び議会のご理解をいただいたところであります。
しかし、地元の方々にしてみれば、かつて市からのたっての要請を受け、
様々な意見がある中で議論を重ねた挙句、大津市全体の利益を考えて、
ようやく受け入れを承知したところ、今度は一転して大津市から
一方的に建設中止を告げられたわけですから、そんな状況でありましたから、
一時は行政不信の声が上がったということも避けがたい成り行きであります。
ゴミ焼却施設の建設計画が無くなるんだったら、地元には受け入れやすい方針変更である
という見方がもしあるとしたら、それは極めて表面的な見方であります。
施設の受け入れ決定に当たって、地域の方々が費やしてこられた
身を削るような多くの時間、それから突きつけられた課題の克服に注がれたエネルギー
というのは大変なものでありまして、これが自らの原因によらず、
無に帰することとなった時の虚しさ、あるいは徒労感と言うのは
本当に大きなものであったろうと想像します。
そしてその感覚は、建設推進のために地元との対話を続けてきた環境部の
職員も、当時は深く共有されました。
これは彼らの誠実な仕事ぶりの反映でもあったと私は認識しています。
こうした中、本市は精力的に内部協議を重ねまして、職員一丸となって、
方針転換を図ることとなり、各方面への説明を丁寧に尽くした結果、
今は、ありがたいことに地元のご理解と信頼をいただいていますが、
南部クリーンセンターに限りません。
ゴミ処理施設をお受入れいただいている各学区の住民のみなさん、
とりわけ自治会の役員の方々のご苦労の大きさに、これに改めて気づかされて、
そして、そうした方々の大津のまちづくりに対するご理解とご協力に対して、
行政職員として、感謝の念を一層深めることとなった重要な契機となりました。
次は私から職員の皆さんへのメッセージです。
職員の皆さん、特に部下を持った職員の方におかれましては、
職場の仲間を大切にしてください。
すべての職員は、縁あって人生のある時期に、
同じ職場で働くわけですが、家に帰れば夫であったり、
妻であったり母や息子、娘であったり、それぞれ誰かにとって、
かけがえのない存在として固有の人生を生きているわけであり、
そんなかけがえのない一人ひとりが毎朝、出勤してきて上司として
部下として机を並べる、これが職場であります。
もちろん我々は第一に公務員でありまして、職場には職場のルールがあり、
職員たる者これに従うことが大原則であります。
そのうえで上司は、全ての職員が世の中において
かけがえのない存在であるという当たり前の
事実を常に忘れないでほしいと思います。
そうした当たり前の感覚と認識に支えられた民主的な
職場を作るよう、築くよう特に、人の上に立つ人にお願いを申し上げます。
職員を将棋の駒ではなく一人の生身の人間として尊重してください。
そのような職場で職員が互いに心を通わせ、
自ら選んだ道である公務の遂行を通じて自己実現の
喜びを実感できるということでありましたら、そして、その力を
市長のもとで一つに束ねることができるなら、モラルとモチベーションは
おのずから高まり、市民のためにより良い仕事ができるものと私は確信しております。
これに関連して不祥事について申し上げます。
昨今の本市の状況は市民の皆様に本当に申し訳ない事であり、
引き続き全庁挙げての取り組みを着実に進めていくことが肝要であります。
しかし、現状を通して、市役所には膿がたまっているとの言葉があります。
これはどういう実態を指すのか、職員は我が事として考えてみる必要があります。
実は私自身は膿がたまっているとは思っておりません。
同じく物のたとえでいうならば、大量の白い砂の中に一つまみの
黒い砂が混じっている状態であると思いますし、さらによく見れば
黒い砂の中にも灰色や白黒マダラやそうした粒が混入してます。
黒い砂は断固排除すべきですし、灰色やマダラは、よく見極めたうえで、
適切な対処が必要であります。
もし、白い砂を黒く変色させていく組織風土や文化が確かに
この市役所にあるとするならば、それこそ膿がたまっている状態でありまして、
組織の存立の根幹にかかわる問題であります。
不祥事の対策は究極のところ全体の奉仕者たる公務員を志して市役所に入った
職員一人ひとりのモラルの問題に突き当たります。
内部通報もセキュリティも大変大切ですが、最後の砦は個人の心の中にあります。
その深みに直接響くような働きかけをいかにして行うことができるのか、
これが難題でありますが根本解決への正しい道筋であり、その環境を整備するのが
先ほど述べたような職場づくりであることは間違いありません。
最後に市長に申しあげます。
市長は4年で結果を残そうと積極的に行動してこられましたが、
特に、今年度は市民に対して変化を実感していただける
年にしたいと抱負を語っていらっしゃいます。
人口が減り高齢化が進むこの我が国において、
市民の幸福を求めて将来のまちづくりを展望する時、
本市の現在の姿をどのように解釈するかは極めて重要な問題であります。
その姿は多面体であって私たちの前には長年にわたる
人々のたゆまぬ営みの成果、試行錯誤を重ねて行き着いた先の安定の形、
これから大切に育てていくべき若木の苗床、さらには時代の変化に
取り残された旧態依然たる風習やシステム等々、様々な景色が展開しております。
その中から変えていくもの、守っていくものを、これについて
現場の声、職員の声に耳を傾けて丁寧に仕分けをしたうえで、
次なる行動に移ることが重要であると考えます。
変えるべきものは痛みを伴っても変えなければなりませんが、
一方、守るべきものを変えてしまった場合は取り返しがつきません。
変える、変えないの仕分けに一人の意思ではなく、多くの英知を動員してくださるよう
お願い申し上げます。
思いの強さは正義ではありません。
偉そうなことを申し上げましたが、実は私5月22日に部長会において、
市長が全部局長に対して、職員の声をよく聞き、そして信頼し
任せると表明されたことに深く感動いたしました。
これは極めてシンプルな言葉ながら、指導者にとっては
決して簡単なことではありません。
2年間、市長のお仕事をまじかで拝見し、手伝わせてもいただいて、
市長の権限の大きさと責任の重さを改めて知り得た私としましては、
市長が決意を持ってこの発言をされたものと理解し、大変嬉しい気持ちで拝聴しました。
市長職は激務ですが、どうぞ健康にご留意いただき職員を大切に、
市民にお役立ていただきますようお願いを申します。
また、伊藤副市長には、このたび大変ご迷惑をおかけすることになり、
誠に申し訳ございません。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
大変長いご挨拶となりました。
職員の皆さん、大津は本当に素晴らしいまちであります。
皆さんは、この大津のまちで、市民のために働くことの喜びと誇りを胸に、
一丸となって市長を支え、精一杯いい仕事をして下さい。
私は39年の公務員人生を終了しますが、実に多くの方々にご指導いただき、
お世話になったことが思い出されます。
人に支えられてしか人は生きられません。
そのありがたさを最後の日に噛みしめております。
市議会議員各位、職員の皆さん、ご出席くださったすべての方々に対しまして、
私の39年分の心からのお礼を申し上げて終わりとします。
皆様、長い間、本当にありがとうございました。
Posted by いとう茂 at
15:09
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2016年12月22日
どこで笑うか、何が面白いか②
知的レベルの検証の続きです。
今年を振り返って苦しいこと、悲しいこともありましたが、
せめて年の暮れは笑って新しい年を迎えられたら、
そんな願いを込めて、江戸小話から私が思わず
笑ってしまった話をアップします。
「尻違い」
あるところに、頭の弱い息子がおりました。
親父さんがアメをこしらえてかめの中に入れ、
高い棚の上にあげておきました。
ある日の事。
息子がしきりと、
「ああ、なめたい、なめたい。アメがなめたい」
と、言うので、親父さんは仕方なく、
「わかった。今、かめを下ろしてやるから、お前は下にいて受け取るんだぞ」
「うん。わかったよ」
親父さんは棚の上に上がって、かめをかかえると、
「それ、いいか。こっちへ来て、しっかり尻を押さえるんだ」
すると、下から息子が言いました。
「ああ、いいよ。しっかり押さえるよ」
そこで親父さんは、そろそろと手を伸ばしてかめを下ろしました。
「どうだ? しっかり押さえたか?」
「押さえたよ」
息子が言うので、親父さんが安心して手を離すと、
ガシャーン!
かめは土間に落ちて粉々に砕け、アメはみんな流れてしまいました。
親父さんは、かんかんに怒って言いました。
「あれほど言ったのに、お前は、どうして尻を押さえていなかったんだ!」
すると息子は、しっかりと両手で自分の尻を押さえたまま言いました。
「父ちゃん、見とくれよ。おれはこんなにしっかり尻を押さえていたんだ」
「貧乏神」
ある仲の良い夫婦がいました。
夫婦はよく人の世話もしますし、商売にも精を出すのですが、
どういうものかいつも貧乏でした。
女房は、ひどく心配して言いました。
「これはきっと、あたしらの家に貧乏神がいるに違いないよ」
「どうも、そうらしいな。よし、さっそく追い出してやろう」
そこで夫婦は生の杉葉を燃やして煙を出し、
その煙を家のすみからすみへ行き渡らせました。
そして竹ほうきで、そこら中を叩いて回りました。
「貧乏神よ、出てこい! 貧乏神よ、出てこい!」
すると何やら汚い物が、ドスン! と、土間に転がり落ちて来ました。
「それっ、貧乏神だ。叩き出せっ!」
二人して追い立てられたので、さすがの貧乏神も、
「たまらん、たまらん」
と、頭をかかえて外に逃げ出しました。
すると夫婦は、ぴたりと戸を閉めて、
「これで、貧乏はお終いじゃ」
「これで、貧乏とはおさらばよ」
と、大喜びです。
でも、しばらくして、
トントン トントントン トントントントン
と、表戸を叩く音がします。
「誰だ」
亭主が戸口を細めに開けると、
「はい、貧乏神でございます」
と、先ほどの貧乏神が立っていたのです。
亭主はびっくりして、怒鳴りつけました。
「お断りじゃ! お断りじゃ! もう二度と、この家に入ってはならぬ!」
すると貧乏神は、涙声で言いました。
「はい。長い事お世話になりました。わたしはこれでおいとまいたします。
・・・でも、あとに残したせがれどもが十人ほどいますので、
どうぞよろしくお願いいたします」
「泥棒のおあいそ」
夜中に亭主は、何やら怪しい物音に目を覚ましました。
ゴシゴシゴシゴシ
ゴシゴシゴシゴシ
それは、のこぎりで壁を切り破っている音です。
「ははあーん。さては泥棒だな」
亭主は起き上がると、壁ににじり寄って身構えました。
やがて壁の一部がガサッと崩れ落ちて、
その穴から手がにゅーと入ってきました。
亭主はその手を、ギューッと掴んで、
「女房、そこの銭、二百文寄こせ」
亭主の声で、女房は驚いて飛び起きました。
「えっ、泥棒? まあ、怖い」
「えい、いいから早く寄こせ、二百文、二百文」
女房が震える手で二百文を差し出すと、
亭主はそれを泥棒の手に握らせて言いました。
「おれは目を覚まして得をしたが、お前は泥棒をしそこなって損をしたな。
さあ、この二百文でかんベんせい。
だが、こんな事は二度とするでないぞ。次は許さぬからな」
やがて、逃げて行き泥棒の足音が聞こえました。
「やれやれ」
ところがしばらくすると、また足音が帰って来て、
壁の穴から、にゅーっと手を出すではありませんか。
「えい、ずうずうしい奴だ! 次は許さぬと言っただろう!」
亭主が腹を立てて、壁の穴に近づくと、
「これはほんの駄菓子でございますが、お子さまがたにあげて下さい。
先ほどは、まことにありがとうございました」
と、お菓子の入った紙包みを差し出したそうです。
「千手観音」
あるところに、ひどく貧乏なお寺がありました。
その日の食べる物にも困った和尚さんは、
(ここは思い切って、千手観音さまのお開帳をやって人を集めよう)
と、決心しました。
この観音さまは寺代々の宝物で、参詣の人にも見せた事がありませんでした。
さていよいよ、千手観音さまのお開帳を始めますと、
「ありがたいお姿が拝める」
と、近隣諸国から行列を作って、人々が参詣に集まって来ました。
おかげでお寺は、押すな押すなの大賑わいです。
ある日の事、参詣人の一人が和尚さんに尋ねました。
「千手観音という、この仏さまは、お手が千本もございますそうで」
「さよう」
「それなのに、お足の方はたったの二本。これはまあ、
どうしたわけでございましょうか」
尋ねれた和尚さんは観音さまに一礼してから、真面目な顔で答えました。
「それは、良いところヘお気がつかれました。そのおあしが足りませぬので、
こうしてお開帳をいたしたのでございます」
今年を振り返って苦しいこと、悲しいこともありましたが、
せめて年の暮れは笑って新しい年を迎えられたら、
そんな願いを込めて、江戸小話から私が思わず
笑ってしまった話をアップします。
「尻違い」
あるところに、頭の弱い息子がおりました。
親父さんがアメをこしらえてかめの中に入れ、
高い棚の上にあげておきました。
ある日の事。
息子がしきりと、
「ああ、なめたい、なめたい。アメがなめたい」
と、言うので、親父さんは仕方なく、
「わかった。今、かめを下ろしてやるから、お前は下にいて受け取るんだぞ」
「うん。わかったよ」
親父さんは棚の上に上がって、かめをかかえると、
「それ、いいか。こっちへ来て、しっかり尻を押さえるんだ」
すると、下から息子が言いました。
「ああ、いいよ。しっかり押さえるよ」
そこで親父さんは、そろそろと手を伸ばしてかめを下ろしました。
「どうだ? しっかり押さえたか?」
「押さえたよ」
息子が言うので、親父さんが安心して手を離すと、
ガシャーン!
かめは土間に落ちて粉々に砕け、アメはみんな流れてしまいました。
親父さんは、かんかんに怒って言いました。
「あれほど言ったのに、お前は、どうして尻を押さえていなかったんだ!」
すると息子は、しっかりと両手で自分の尻を押さえたまま言いました。
「父ちゃん、見とくれよ。おれはこんなにしっかり尻を押さえていたんだ」
「貧乏神」
ある仲の良い夫婦がいました。
夫婦はよく人の世話もしますし、商売にも精を出すのですが、
どういうものかいつも貧乏でした。
女房は、ひどく心配して言いました。
「これはきっと、あたしらの家に貧乏神がいるに違いないよ」
「どうも、そうらしいな。よし、さっそく追い出してやろう」
そこで夫婦は生の杉葉を燃やして煙を出し、
その煙を家のすみからすみへ行き渡らせました。
そして竹ほうきで、そこら中を叩いて回りました。
「貧乏神よ、出てこい! 貧乏神よ、出てこい!」
すると何やら汚い物が、ドスン! と、土間に転がり落ちて来ました。
「それっ、貧乏神だ。叩き出せっ!」
二人して追い立てられたので、さすがの貧乏神も、
「たまらん、たまらん」
と、頭をかかえて外に逃げ出しました。
すると夫婦は、ぴたりと戸を閉めて、
「これで、貧乏はお終いじゃ」
「これで、貧乏とはおさらばよ」
と、大喜びです。
でも、しばらくして、
トントン トントントン トントントントン
と、表戸を叩く音がします。
「誰だ」
亭主が戸口を細めに開けると、
「はい、貧乏神でございます」
と、先ほどの貧乏神が立っていたのです。
亭主はびっくりして、怒鳴りつけました。
「お断りじゃ! お断りじゃ! もう二度と、この家に入ってはならぬ!」
すると貧乏神は、涙声で言いました。
「はい。長い事お世話になりました。わたしはこれでおいとまいたします。
・・・でも、あとに残したせがれどもが十人ほどいますので、
どうぞよろしくお願いいたします」
「泥棒のおあいそ」
夜中に亭主は、何やら怪しい物音に目を覚ましました。
ゴシゴシゴシゴシ
ゴシゴシゴシゴシ
それは、のこぎりで壁を切り破っている音です。
「ははあーん。さては泥棒だな」
亭主は起き上がると、壁ににじり寄って身構えました。
やがて壁の一部がガサッと崩れ落ちて、
その穴から手がにゅーと入ってきました。
亭主はその手を、ギューッと掴んで、
「女房、そこの銭、二百文寄こせ」
亭主の声で、女房は驚いて飛び起きました。
「えっ、泥棒? まあ、怖い」
「えい、いいから早く寄こせ、二百文、二百文」
女房が震える手で二百文を差し出すと、
亭主はそれを泥棒の手に握らせて言いました。
「おれは目を覚まして得をしたが、お前は泥棒をしそこなって損をしたな。
さあ、この二百文でかんベんせい。
だが、こんな事は二度とするでないぞ。次は許さぬからな」
やがて、逃げて行き泥棒の足音が聞こえました。
「やれやれ」
ところがしばらくすると、また足音が帰って来て、
壁の穴から、にゅーっと手を出すではありませんか。
「えい、ずうずうしい奴だ! 次は許さぬと言っただろう!」
亭主が腹を立てて、壁の穴に近づくと、
「これはほんの駄菓子でございますが、お子さまがたにあげて下さい。
先ほどは、まことにありがとうございました」
と、お菓子の入った紙包みを差し出したそうです。
「千手観音」
あるところに、ひどく貧乏なお寺がありました。
その日の食べる物にも困った和尚さんは、
(ここは思い切って、千手観音さまのお開帳をやって人を集めよう)
と、決心しました。
この観音さまは寺代々の宝物で、参詣の人にも見せた事がありませんでした。
さていよいよ、千手観音さまのお開帳を始めますと、
「ありがたいお姿が拝める」
と、近隣諸国から行列を作って、人々が参詣に集まって来ました。
おかげでお寺は、押すな押すなの大賑わいです。
ある日の事、参詣人の一人が和尚さんに尋ねました。
「千手観音という、この仏さまは、お手が千本もございますそうで」
「さよう」
「それなのに、お足の方はたったの二本。これはまあ、
どうしたわけでございましょうか」
尋ねれた和尚さんは観音さまに一礼してから、真面目な顔で答えました。
「それは、良いところヘお気がつかれました。そのおあしが足りませぬので、
こうしてお開帳をいたしたのでございます」
Posted by いとう茂 at
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