2022年02月11日
もう少し長い時間が計れるものが欲しいけど・・・
2月に入ってすぐに、細い糸のような月が生まれました、
それから3日ほどたつとちょっと太めの三日月になっていました。
1週間でほぼ半月、昨夜はちょっと太めの三日月でした。
もう1週間もすれば満月に膨らんでいきます。
えっ、もうこんなに大きい月、時間の経過の速さに改めて
持ち時間が減っていく現実が重なります。
デジタル時計は24時間で元に戻りますし、月の満ち欠けも15日で満月、
さらに15日で新月と毎夜見上げているとこちらも結構速いことに気がつきます。
潮の満ち引きも大潮、小潮、若潮とこれも月の満ち欠けと
関係がありますので長い時間の計測はできません。
今月に孫が相次いでやってきますが、こちらは不定期ですので、
この前から何日後と言った計測の対象外です。
月よりも長く時間の経過を計れるものはないのか・・・・。
考えてみれば約1か月先までの生活をどうして充実させるか、
密度の問題ですが、ぎっしり詰まった時間は息苦しいし、
スカスカの時間なら空しさが出てきそうです。
それ以前に、1か月先のことを考えて今日とつなぐ考えが
間違っているのかも知れないと考えたり。
もしかすると1か月先は煙と骨になっているかもしれません。
今日を丁寧に精一杯生きる、その繰り返しが1か月先に
つながっていくのでは・・・・。
そんなことを思うと、勝手者の自分を再発見します。
活動をしている時もその自分を見るもうひとりの自分、
これがゆとりにつながるのですが、そうした意識を持つのが
ベストなのかとも考えます。
世の中に右肩上がりで成長を続けるものはないのかもしれない、
繰り返しの出来事、そのスパンは違いますが誕生から無に帰すまでの
道は同じかもしれないと思ったり・・・。
人も生まれたらいつかは死にます、樹齢1000年とかの屋久杉も
いつかは朽ち果てますし、東南海地震もプレートがずれて維持できなくなったときに
大地震が起きて、エネルギーを放出し収まると再びエネルギーの蓄積です。
大阪城の立派な石垣も風雨にさらされて、少しずつ丸く小さくなっているはずです。
明日をも知れない命、そのことを常に意識しているわけではありませんので、
思考はどうしても右肩上がりになってしまいます。
「今日も一日生き切ったぞ」その繰り返しで
満ち欠けを見られたらいいのかも知れません・・・・。
それから3日ほどたつとちょっと太めの三日月になっていました。
1週間でほぼ半月、昨夜はちょっと太めの三日月でした。
もう1週間もすれば満月に膨らんでいきます。
えっ、もうこんなに大きい月、時間の経過の速さに改めて
持ち時間が減っていく現実が重なります。
デジタル時計は24時間で元に戻りますし、月の満ち欠けも15日で満月、
さらに15日で新月と毎夜見上げているとこちらも結構速いことに気がつきます。
潮の満ち引きも大潮、小潮、若潮とこれも月の満ち欠けと
関係がありますので長い時間の計測はできません。
今月に孫が相次いでやってきますが、こちらは不定期ですので、
この前から何日後と言った計測の対象外です。
月よりも長く時間の経過を計れるものはないのか・・・・。
考えてみれば約1か月先までの生活をどうして充実させるか、
密度の問題ですが、ぎっしり詰まった時間は息苦しいし、
スカスカの時間なら空しさが出てきそうです。
それ以前に、1か月先のことを考えて今日とつなぐ考えが
間違っているのかも知れないと考えたり。
もしかすると1か月先は煙と骨になっているかもしれません。
今日を丁寧に精一杯生きる、その繰り返しが1か月先に
つながっていくのでは・・・・。
そんなことを思うと、勝手者の自分を再発見します。
活動をしている時もその自分を見るもうひとりの自分、
これがゆとりにつながるのですが、そうした意識を持つのが
ベストなのかとも考えます。
世の中に右肩上がりで成長を続けるものはないのかもしれない、
繰り返しの出来事、そのスパンは違いますが誕生から無に帰すまでの
道は同じかもしれないと思ったり・・・。
人も生まれたらいつかは死にます、樹齢1000年とかの屋久杉も
いつかは朽ち果てますし、東南海地震もプレートがずれて維持できなくなったときに
大地震が起きて、エネルギーを放出し収まると再びエネルギーの蓄積です。
大阪城の立派な石垣も風雨にさらされて、少しずつ丸く小さくなっているはずです。
明日をも知れない命、そのことを常に意識しているわけではありませんので、
思考はどうしても右肩上がりになってしまいます。
「今日も一日生き切ったぞ」その繰り返しで
満ち欠けを見られたらいいのかも知れません・・・・。
Posted by いとう茂 at
12:00
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