2024年07月20日

夏休み②

多くの子どもたちが楽しみにしている夏休みが始まりました。
今年は9月1日が日曜日ですので1日多い夏休みです。
行くまでが楽しい旅行の計画を立てている家族も多いことでしょう。
40日余りの長い休み、山ほど宿題を出された子どももいるかも知れませんが、20・30・40・50・60歳と人生の節目に40日の休暇があれば、人生の方向転換を考える人も多くいそうな気がします。
ひきこもりが増えてしまう可能性もあります、しかし、人間は何かに束縛されて、ずっと同じ箱の中にいると視野が狭くなり活性が鈍るように感じます。
子どもの頃はそんな発想もなく、夏休みと言うだけで舞い上がり、夜更かしして翌朝のラジオ体操はパス。
親からは宿題を早く済ませておくように言われましたが、こちらは鍵をかけて封印でした。
その報いは毎年8月30日と31日の二日で受けていました。
朝からと昼から釣り三昧、日射病になると言われて大きな麦わら帽をかぶっていました。
夜は前の神社に地虫取りに出かけ、庭の木や蚊帳で返らせて翌朝は蝉の大合唱、その子孫が今は庭で鳴いているのかも知れません。
家が商売をしていますので親子で旅行に行ったのは1度しかありません。
白浜と勝浦の2泊3日の旅行でした。
勝浦では旅館の防波堤で親父が大きなボラを釣り上げ、それを洗いにしてもらって食べた思い出があります。
ディズニーランドやハウステンボスなどはありませんでしたので、奈良のドリームランドが憧れでした、1度日帰りで行った記憶はあるのですが、どんな乗り物があったとか、中の風景はどうだったかは全く覚えていません。
当時は有意義な40日の休みだったのでしょうが、戻れたら違う時間の使い方をすると思います。
今の子どもたちはどんな夏休みを過ごすのか、朝から晩までゲーム三昧の子どももいるでしょうし、夏季特別講習とかで塾通いの子どももいるでしょう。
ただ昔と違って外で遊ぶことは少なくなっているように感じます。
どうぞ、40年、50年先に楽しい思い出となって残っている夏休みでありますように。

  
Posted by いとう茂 at 10:53Comments(0)

2024年07月19日

夏休み

明日から子どもたちが楽しみにしている夏休みです、ただ、すべての子どもが楽しみにしているかと言うと・・・。
貧困家庭の子どもたちは給食がないので、1日1食か2食と言う日々の始まりです。
多くの人が当たり前だと思っていることでも、世の中には当たり前ではないことが他にも多くあります。
家にエアコンがないので暑くてたまらずに、空腹を抱えてスーパーに1日いる子ども、子どもだけではなく中には高齢者もいます。
滋賀県は全国でも子ども食堂が多く、定期的に食事ができますが毎日ではありませんので、空腹を十分満たすというところまではいきません。
今ほど貧困が社会問題になっていない時代に、得々うどんで母子3人がうどん玉のトリプルを注文して食べている姿を見たことがあります。
うどん玉は1個でも3個でも値段は変わりません。
子どもは小学校の中学年と低学年だと思いますが、小鉢3個に母親がうどんをよそって食べていました。
その母子が貧困家庭だったのかは分かりませんが、子どもが嬉しそうに「おかわり」と言っていたのが印象に残っています。
もし、この母子が貧困家庭で、先に書いた1日をスーパーで過ごす子どもの両者が夏休みの絵日記の宿題には、どんな出来事を描くのだろう。
それを見た教師は何を感じるのだろう、この子どもたちは将来の日本の象徴かも知れない、円安の影響もあって外国人が大勢日本に観光に来ています。
しかし、円安の影響だけでしょうか、かつて日本が高度成長の時代にはお隣の韓国や東南アジアに大挙して押し寄せました。
そして現在は、その逆で貧しくなりつつある日本に、かつては貧しかった国から観光に来る、そうしたことに敏感な若い世代に子どもを産んでください・・・。
自分たちに夢がないのに子どもに夢を持てと言えないのが親心、格差はますます広がり治安はもっと悪くなる。
倉廩(そうりん)満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。
  
Posted by いとう茂 at 15:27Comments(0)

2024年07月18日

担々麺

夜中に時々カップ麺を食べることがあります。
録画しておいたビデオを見ながら食べているのですが、食べるのはほとんどが担々麺です。
お薦めは「麵職人」と「麺づくり」の担々麺、どちらにもラー油をたっぷり入れて食べています。
麺職人は麵が私好みですが、スープは麺づくりに軍配が上がります。
二つを同時に開封してスープを交換すれば文句なしに美味しいと分かっていますが、残ったカップ麺を食べるのも私になりますから、いまだ実現できていません。
昔はよくラーメン屋にも行きましたが、最近は足が遠のきほとんど行くことがありません。
近くに近江ちゃんぽんの店もできましたが行ったことはありません。
夜中の事ですので、カップ麺で十分です。
昔ロイヤルオークの中華のレストランで食べた担々麺はおいしかった記憶があります。
支配人と知り合いでしたので昼時を過ぎたころに二人で担々麺とどんぶり飯をよく食べました料金は1000円。
もう25年は経っていると思います、振り返ると時間が知らず知らずに過ぎています。
担々麺は他にもありますが、食べ比べてみて残ったのは先の二品だけですが、最近になって担々麺以外では「博多」とプリントされたカップの面も食べるようになりました。
とんこつ味で熱湯を入れて2分で出来上がります。
こちらにもラー油をたっぷり入れて食べています。
さっぽろ一番のみそ味も好きですが、これは鍋で作らないとおいしくありません、具はなくても七味をたっぷり入れて食べると冬場は暖かく、一時凝りましたが鍋を出すのが面倒になりやめました。
スーパーに行くとカップ麺がたくさん並んでいます、それぞれにファンがいて生き延びているのだと思います。
ネーミングやパッケージに釣られて買うものは、ほとんどがはずれでした。
そう言えばアルミの鍋に入った鍋焼きうどんは冬場限定で、夏場は見かけません。
鍋に出汁と具とうどん、それに卵を入れて煮るだけ、値段を考えるとこれも夜食の定番です。
あんまり大したものは食べていない・・・それでも健康で食べられるのが一番だと感じています。
  
Posted by いとう茂 at 11:05Comments(0)

2024年07月17日

北海道旅行

元警備員さんが雨の中をやって来ました。
相変わらず大きな声で「おじゃまします」。
北海道に行ってきたとお土産をいただきました、会社の方から昨年の有休を消化するように言われて、奥さんと二人で4泊5日の旅行でした。
豪遊はせずに宿泊は小樽と函館の2か所で、ビジネスホテルに連泊し、移動はJRでホテルのレンタサイクルで漁港まで行き、そこの食堂で漁師たちに混じって地元の魚を堪能したということでした。
朝と昼は漁港で食事、夜はラーメンライスの旅行だったそうで、居酒屋2回分で食費は足りたと言っていました。
ずいぶん利口な方法もあるもんだと感心しました。
観光は、と聞くと暑かったけれど漁港で釣りをしている人がいたので、見ていると釣人が竿を貸してくれて、それで釣りを二日したということで、釣れた魚をくれるというのですが旅行中だからと断ったと言っていました。
これもお金がかからず体験旅行です。
残りは二人で海を眺めてカモメにエサをやっていたそうです。
広い海を見ながら飲むビールは格別で、酒の肴は漁港の食堂で調達し、日陰でのんびり昼寝もしていたようです。
今回の旅行は夫婦で観光ではなく、気分転換と骨休めと決めていたので、観光地には一切足を向けずにホテルと漁港だけで、最終日に空港の売店めぐりが観光だったということでした。
お金はかかっていませんが、随分ぜいたくな時間の使い方でしたね、と言うと人の顔を見に行くような観光は疲れしか残りませんからと、徹底していました。
元警備員さんは、他人はせっかく北海道まで行くんだから、もっといっぱい見て来ればいいのにと言うけれど、せっかく北海道まで行くんだから私はのんびり時間を過ごしたいんです、ということです。
こちらでは食べられない美味しいものをいっぱい食べてそれで満足、
美味しいものが腹いっぱい詰まっているのに、あちこち動き回るとすぐに消化してしまいもったいないとも言っていました。
時間の贅沢、お金をかけなくても食の贅沢、そんな旅行もいいなぁ、と羨ましくなりました。
  
Posted by いとう茂 at 15:00Comments(0)

2024年07月16日

一人、また一人

最近身近な人が亡くなっていきます。
一人、また一人、友人・知人だけでなく親戚も亡くなっていきます。
生老病死は避けられないことですが、寂しさと悲しさがあります。
生きているということは亡くなる人を見送ることでもありますが、そのたびに感情が揺れます。
こうした感情の揺れがなくなったら、近いうちに順番が来るのかとも考えたりします。
人はやりたいことをすべてやりつくして死ぬことはできません、亡くなった人は口がきけませんが、命をもって生きている人間に何かを訴えているとしたら、その意味をくみ取る努力をしなければいけないように感じます。
義兄が亡くなりました、二人いた義兄がいなくなりました。
これで兄弟姉妹と呼べる人間は、義姉と実弟がそれぞれ一人ずつになりました。
寂しさと悲しみを抱えて、残った人間は生きていかなくてはなりません。
日常生活がその寂しさと悲しみを紛らせてくれるのも事実です。
いつか自分もこの世から消えていきます、どれだけの人の記憶に残るかは分かりませんが、なるべく楽しい人間として残っていればと願っています。
それと、死ぬまでに会いたいと感じる人にも会っておかないと、そんなことも考えています。
  
Posted by いとう茂 at 15:33Comments(0)