2016年01月27日

涙の行方

人は泣きながら生まれてきます、最初に発する声がオギヤァー。
そして本人も周囲も涙して誕生の瞬間を実感します。
生まれてから私たちは何度くらい涙を流すのでしょう。
鬼の目にも涙、ということわざがあります、思いやりがなく、ひどく冷たい人でも、
他人の苦しみや 悲しみに、同情して、涙を流すこともあるというたとえですが、
ほとんど泣くことのない鬼でも時には泣くことがある、鬼でさえ泣くのに
人間なら泣いて当然、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」。
鬼が善人とは言いませんが、歎異抄のフレーズと似ています。

涙の入ることわざは鬼しか思いつきませんが、涙の入る熟語は、
涙腺・感涙・血涙・催涙・熱涙・落涙・涙雨・涙声・・・・・ほかにもたくさんありそうです。

涙を流す理由は人それぞれケースによって違うでしょうが、悲しみのどん底で、ただ泣くしかない、
そんな辛い日々を過ごした人もいるでしょうし、涙も枯れ果てるという表現もあります。
枯れたはずの涙はやはり出てくるものなのでしょうか。
涙が乾く間がないという表現も目にしたことがあります。

朝の来ない夜はない、やまない雨もない、乾かない涙もない。
すべて時間がたてばということですが、流した涙はどこに行くのでしょう。
物理的には蒸発するのでしょうが、頬を伝いこぼれ落ちた涙の行方はどこでしょう。
悲しい涙か嬉しい涙で行方も違うのでしょうが、悲しくて泣いて、泣いて、流した
涙は種になる、そう思います。
悲しい涙が嬉しい涙に変ってくれる日、そんな日が来るのを期待して待ち続け、
嬉しい日が来たなら悲しい涙の種が花開いた、そんな風には考えられない
でしょうか。
悲しい涙を悔し涙と読み替えても良いかもしれません。

種になるのなら涙も流し甲斐があるかもしれませんが、多くの涙は悲しみを増幅するか、
別の道を歩むための訣別の一歩になるように思います。
悲しい涙や悔し涙を嬉しい種にするには、涙を無駄にしないという決意が必要になります。
自分ひとりの努力で夢に近づくのなら、さらに精進する覚悟がいるでしょうし、
何人かで夢を実現させようとするなら、同じ方向を向き同じ気持ちを共有して
歩き出さなければならないように思います。

一度や二度の挫折や絶望感はあるでしょう、それにめげずに夢を追い続けることで
種は開花する、日本的な発想かもしれませんが、念ずれば花開く、このことを
個人的にはずっと信じています。

信じ続けるには信ずるに足りる何かが必要です、手応えというのでしょうか、
確かな何かが必要です、確かなものは具体的なこともあれば抽象的な場合も
あります、いずれにしても信じる心はしっかり持っていなければいけないと思っています。
それは強要されるものではなくてあくまで自分が持つべきものでしょう。
時に、信じたい気持ちを信じられるものと思い込ませて自分を納得させる場合もあります。
それは、執着と保身さらには前に進むための自分への言い訳かもしれません。

涙の行方からそれてきました。
大切な人や同じ思いの人が涙しているのを見て、もう泣かせない、そう誓う人にとって、
目に浮かぶ涙の行方は成就の瞬間を見据えていると思います。
もちろん、成就までの苦労や困難に立ち向かう時間と努力も覚悟の上で。

流した涙を無駄にしたくないのは、流した人だけでなく見守る人、傍にいる人も同じです。
見守る人や誰かが傍についていてくれたら・・・・・・。
涙の行方は明るい方でしょう。

  
Posted by いとう茂 at 13:45Comments(0)