2017年12月25日
校正
来年の一月に発行する会派の広報紙の校正がきました。
通常会議で一般質問をした議員は自分の原稿の推敲もあります、
多くの目で校正をすることは、誤字や脱字の発見につながりますし、
表現方法のアドバイスも行え効果的だと思っています。
ただ、あまり多くの人が見ると人任せになり自分の原稿にも
目を通さないことや他人からの意見や指摘が多すぎて、その人の
味が消されてしまうという面もあります。
誤字や表現方法のチェックでは国語力も問われますし、正しい用語の
使用ができているかということについては、議員としての資質も
問われます。
議員に限らず文章は苦手だという人はたくさんいます。
しかし、私たちが生きて行く上で言葉は気持ちを伝える一つの
ツールですし、正しい言葉遣いは大人として最低限身につけたいと
考えています。
パソコンの普及で文字を書かなくなったという人や急に漢字が
浮かんでこないという話はよく聞きます。
広報紙でもそうですが、文章や記事は残ります。
残るものの怖さを知っている人は案外少なく、残るから重要だと
いう認識も薄いのが一般的かも知れません。
所属している会で週報の作成を2年と年報の作成を4年しました。
毎週火曜日に発行の週報は初稿が木曜日、二校が金曜日で
三校が月曜日で火曜日の発行でした。
年報は原稿集めに一月から二月、その前に記事の割付があります、
印刷会社から初稿が来て原稿を依頼した人に確認してもらう部分と
こちらが校正をする部分の仕分けを行いますが、校正は全体を
しなければいけません、細かい数字、人名、写真と記事があっているか、
間違いやすい部分は特に念入りに校正をして印刷会社に返却、
二校、三校、四校と確認していくのですが、その度に訂正があります。
こうした作業が苦ではありませんし、印刷物のインクの匂いが好きですので、
老眼を苦にせずに原稿に集中できるのかも知れません。
それがありがたいことかどうかは別ですが、世の中には長い間、同じ役割を
可もなく不可もなく無難にこなしている人は、同じ役割が当たり前だと
思われてしまうことが結構あるものです。
人の顔色を伺うこともなく仕事ができますので、私は歓迎ですが・・・・・・。
通常会議で一般質問をした議員は自分の原稿の推敲もあります、
多くの目で校正をすることは、誤字や脱字の発見につながりますし、
表現方法のアドバイスも行え効果的だと思っています。
ただ、あまり多くの人が見ると人任せになり自分の原稿にも
目を通さないことや他人からの意見や指摘が多すぎて、その人の
味が消されてしまうという面もあります。
誤字や表現方法のチェックでは国語力も問われますし、正しい用語の
使用ができているかということについては、議員としての資質も
問われます。
議員に限らず文章は苦手だという人はたくさんいます。
しかし、私たちが生きて行く上で言葉は気持ちを伝える一つの
ツールですし、正しい言葉遣いは大人として最低限身につけたいと
考えています。
パソコンの普及で文字を書かなくなったという人や急に漢字が
浮かんでこないという話はよく聞きます。
広報紙でもそうですが、文章や記事は残ります。
残るものの怖さを知っている人は案外少なく、残るから重要だと
いう認識も薄いのが一般的かも知れません。
所属している会で週報の作成を2年と年報の作成を4年しました。
毎週火曜日に発行の週報は初稿が木曜日、二校が金曜日で
三校が月曜日で火曜日の発行でした。
年報は原稿集めに一月から二月、その前に記事の割付があります、
印刷会社から初稿が来て原稿を依頼した人に確認してもらう部分と
こちらが校正をする部分の仕分けを行いますが、校正は全体を
しなければいけません、細かい数字、人名、写真と記事があっているか、
間違いやすい部分は特に念入りに校正をして印刷会社に返却、
二校、三校、四校と確認していくのですが、その度に訂正があります。
こうした作業が苦ではありませんし、印刷物のインクの匂いが好きですので、
老眼を苦にせずに原稿に集中できるのかも知れません。
それがありがたいことかどうかは別ですが、世の中には長い間、同じ役割を
可もなく不可もなく無難にこなしている人は、同じ役割が当たり前だと
思われてしまうことが結構あるものです。
人の顔色を伺うこともなく仕事ができますので、私は歓迎ですが・・・・・・。
Posted by いとう茂 at
21:15
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