2018年06月25日
大津市展
昨日は歴史博物館で開催されている市展を
見学に行きました。
和太鼓の仲間が籐工芸をしていて展示してあるので時間が
あれば見にきて欲しいと依頼がありましたので、芸術とは
全く無縁ですが行って来ました。
書道は小学校の時に習いに行っていましたので、見るのは
嫌いではありません。
絵画は全く門外漢で、知識も何も持ち合わせていませんので、
美しい色使いとか正確なデッサン、その程度しかわからず、
展示されている方に失礼な見方しかできません。
籐工芸は仲間の一点だけでしたが、絵画よりも立体感があり、
周りの絵画の中で一際存在感がありました。
何度も日展に入賞経験があり、市展でも何度か入選した
ことから市展は無鑑査となっています。
人それぞれ思いもかけぬ才能があるものです、とは言うものの
自分にはこうした芸術的なセンスは皆無で、♯だ♭だという
音符のない和太鼓を叩けることくらいで、ハ長調以外の
楽譜も読めません。
文章を書くのは好きですが駄文ばかり、スポーツも好きですが
球技はまるでダメで、陸上経験があると言っても長い距離も
短い距離ももう走れません、カメさんの様に歩くだけ。
ここで才能がないことを嘆いたり、人の才能をうらやんでも
始まりません、人見知りが激しくて、すぐに熱くなる、
負けん気だけは強くて、頑固、これも立派な才能だと・・・・・
誰も言ってくれないか。
ないものを数えずあるものを数えて生きていく。
これに尽きるのでしょうか。
絵画、書、陶芸、彫刻、市展を鑑賞して夢が広がる人、
自分の立ち位置を確認する人、目の前の階段は人それぞれ
違うところに通じているのかもしれません、全ての人が
2階に上がるとは限らず、地下に降りていく人もいます。
2階が偉くて地下が偉くない、そんな価値観があっても
いいと思っています。
新しい何かを吸収して自分の肥やしにすることと、
自分が持っている物に磨きをかけて、さらに光るものに
コツコツ仕上げていく(人に認めてもらえるかどうか、それは
自分が決めることではありません)その両方がうまくかみ合う、
その結果が芸術もそうですが、豊かで満ち足りた人生に
つながるのかなぁ、そんなことを考えていました。
見学に行きました。
和太鼓の仲間が籐工芸をしていて展示してあるので時間が
あれば見にきて欲しいと依頼がありましたので、芸術とは
全く無縁ですが行って来ました。
書道は小学校の時に習いに行っていましたので、見るのは
嫌いではありません。
絵画は全く門外漢で、知識も何も持ち合わせていませんので、
美しい色使いとか正確なデッサン、その程度しかわからず、
展示されている方に失礼な見方しかできません。
籐工芸は仲間の一点だけでしたが、絵画よりも立体感があり、
周りの絵画の中で一際存在感がありました。
何度も日展に入賞経験があり、市展でも何度か入選した
ことから市展は無鑑査となっています。
人それぞれ思いもかけぬ才能があるものです、とは言うものの
自分にはこうした芸術的なセンスは皆無で、♯だ♭だという
音符のない和太鼓を叩けることくらいで、ハ長調以外の
楽譜も読めません。
文章を書くのは好きですが駄文ばかり、スポーツも好きですが
球技はまるでダメで、陸上経験があると言っても長い距離も
短い距離ももう走れません、カメさんの様に歩くだけ。
ここで才能がないことを嘆いたり、人の才能をうらやんでも
始まりません、人見知りが激しくて、すぐに熱くなる、
負けん気だけは強くて、頑固、これも立派な才能だと・・・・・
誰も言ってくれないか。
ないものを数えずあるものを数えて生きていく。
これに尽きるのでしょうか。
絵画、書、陶芸、彫刻、市展を鑑賞して夢が広がる人、
自分の立ち位置を確認する人、目の前の階段は人それぞれ
違うところに通じているのかもしれません、全ての人が
2階に上がるとは限らず、地下に降りていく人もいます。
2階が偉くて地下が偉くない、そんな価値観があっても
いいと思っています。
新しい何かを吸収して自分の肥やしにすることと、
自分が持っている物に磨きをかけて、さらに光るものに
コツコツ仕上げていく(人に認めてもらえるかどうか、それは
自分が決めることではありません)その両方がうまくかみ合う、
その結果が芸術もそうですが、豊かで満ち足りた人生に
つながるのかなぁ、そんなことを考えていました。
Posted by いとう茂 at
22:07
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