2019年01月25日

中部会新年の研修会

今日は大津保護区の中部会の新年研修会があり、
その後に交流会がありました。
交流会と言っても中部会はアルコールなしで意見交換を
しながらの食事会です。
講師は滋賀刑務所の法務教官教育専門官と舌を噛みそうな
肩書の方でしたが、県市の教育委員会での講演もされており、
不登校やひきこもりの分野にも精通した人でした。

講演の中で奈良少年刑務所の受刑者の手記の紹介がありました。
奈良少年刑務所は26歳未満の人間を収容する施設で、
手記を書かせるのも反省の意味があります。
今日と明日に分けて手記を紹介します、罪を犯して犯罪者と
被害者が出てしまう社会があるのなら、罪を犯させない社会の
構築もできるはずです。

母 母さん、なぜ僕を生みすてたのですか。
  僕は母さんの顔を知らないし会いたい。
父 父の背中の大きさも知らないし、一緒にふろに入ったことなく
  一緒に入りたい。

私は、四歳の時から祖父母に育ててもらい両親の顔はおろか、
どういう人だったか知りませんし、一般社会でいう親子みずいらず
という家族のあたたかさというものもはっきり言って知りません。
ある日、祖母に聞きました。
すると「母が別の男の人とにげていったので祖父母が私を
ひきとって育てている」と。
それにはらを立てて家を飛びだして、それ以来連絡もなしで
という状況で今にいたっているのです。
昔の言葉にもある「子は親の背中を見て育つ」という事もなく
淋しい生活をしてきたので、そういった意味で短い手紙に
かきました。
だって、ショッピングしている家族をみていると
すごくうらやましかったし、ファミリーレストランで楽しく
食事している風景を見ていると、すごくおいしそうに思ったし、
そういうあたりまえの事というか平凡な家族のだんらんができなかった
事については、すごく両親をにくんでいます。
親の都合で子どもをすてて、その子どもがすてごといって
いじめられた私の気持ちなどわからないと思う。
どれほど精神的にくつうをうけたかまったくしらんと思うので、
今でもにくんでいますが、もし両親に会えるきかいがあったら、
一緒に住む気持ちはないけど、せめてコーヒーでもいいし、
お茶でもいいから一緒にのみながら、親子のだんらんという
気持ちをあじわいたいと思います。
かいものとかいって何か一つかってもらってよろこんで
みたい様な気もします。
こんな年になってと思うかもしれませんが、本当ふつうの
両親愛がほしかったなあと思います。

  
Posted by いとう茂 at 22:48Comments(0)

2019年01月24日

ネズミ

平成最後の新年を迎えたというのに・・・・・・・。
我が家は昭和に逆戻りしたようです。
近くの古い家が取り壊されたせいか、年末から天井で
運動会が始まっています。
小さい犬が下から吠え立てて応援をするものですから、
天井裏はさらにヒートアップして右へ左へ爆走する足音が
絶えません。

それまでは閑静な住宅で、時折通りを走る車の音が
わずかに聞こえるだけでしたが、ここ一月足らずの間に
すっかり様変わりしてしまいました。

同居家族の安眠を守るために、家主としての責任が問われ、
原因究明と早急に対策を講じる必要があります。
説明責任を果たすためには、まず、成果物を同居家族に示す
義務があり、早速、捕獲用の仕掛けを購入しました。
外部委託の方法も考えましたが、予算的なめどが立たず、
子どものころに見ていた経験に頼って、捕獲に乗り出しました。

我が家では、捕獲のための餌は油揚げと決まっていましたので、
早速、マネをして獲物が通りそうなところに仕掛けましたが、
まるで反応がなく、半世紀も前とでは獲物の好みも変わって
いるのかと考え、チーズかまぼこにしてみました。
・・・・・こちらも反応がありません、しかし・・・・・・誘導用に
置いておいた煮干しはきれいになくなっています、ここを
通っていることは間違いがないことと、煮干しならという期待が
膨らみ、エサを煮干しに変えました。
すると・・・・・捕獲成功です、これで家主の責任のわずかは
果たすことができましたが、獲物が個別に移動するはずもなく、
運動会も集団だから実現した話で、まだまだ仲間がいるはずです。
根絶やしにできるかどうかは分かりませんが、複数の捕獲が
実現しないことには、同居家族への十分な説明責任を果たしたとは
言えません。

で、次の課題は捕獲したものの、どのように処分するか・・・・・・。
じっと見ていると可愛い目をしています、間近に人間を見て
怯えているようで、じっと身を縮めてこちらを凝視しています。
昔は・・・・・バケツに水を張ってそこへザブン・・・・・・・・。
ちょっと酷な気分になっていた時に、救世主が出現しました。
水曜日はひきこもり、不登校等の相談の日で、来た人に話を
すると「かわいそ~」「山に逃がしてやろう」・・・・・・。
それでは問題解決にならないのでは?
じゃ、殺しなさいよ!
それはかわいそうですね。
だったら逃がしてやりましょうよ。
・・・・・・・・・

山には食物連鎖の社会があります、イタチやキツネ、タヌキまでいます、
この獲物の運がいいか悪いかに賭けるしかありません。
あの可愛い目に誘惑されそうになり、飼ってもいいかと思いかけた
自分がいたのですから、どこかで生きてさえいれば再び会う機会が
ないとは言えませんし、家族ごと捕獲して山へ移住してもらうのも
方法としてあります。
  
Posted by いとう茂 at 22:22Comments(0)

2019年01月23日

梅の花

梅一輪 一輪ほどの 暖かさ   服部嵐雪

梅が一輪だけ咲いた。まだ冬だけれども、どこか
にほんの少し暖かさが感じられるようで、春の訪
れが間近いようと思われる。

服部嵐雪という名前はあまり知りませんでした。
江戸前期の俳人で松尾芭蕉門。
江戸湯島に生まれ、元服後約30年間,転々と主を替えながら
武家奉公を続け、芭蕉への入門は延宝3(1675)年ごろ。
元禄1(1688)年1月、仕官をやめ、宗匠として立ち、
榎本其角と共に江戸蕉門の重鎮となった。
芭蕉は,同5年3月其角と嵐雪を「両の手に桃と桜や草の餅」と
称えているが嵐雪は師の説く「かるみ」の風体に共鳴せず、
晩年の芭蕉とはほとんど一座していない。
しかし、師の訃報に接し西上して義仲寺の墓前にひざまずき、
一周忌には『芭蕉一周忌』を編んで追悼の意を表すなど、
師に対する敬慕の念は厚かった。
青壮年期に放蕩生活を送り、最初は湯女を、のちには遊女を
妻としたが、晩年は、俳諧に対して不即不離の態度を保ちつつ、
もっぱら禅を修めたことからもわかるように、内省的な人柄であり、
それが句にも表れ、質実な作品が多い。

少し長くなりました、ほぼ引用ですが義仲寺がある大津にも
来ていたことも分かりました。
ホームセンターに買い物に行き、久しぶりに園芸コーナーを
のぞくと、白梅の小さな盆栽が目に入ってきました。
隣には紅梅の盆栽も並んでいましたが、そちらには目もくれず、
白梅の枝ぶりを眺めながら、気に入ったものを選びました。
翌日に植木鉢をサロンに置きましたが、午後には一輪がほころび、
俳句と同じ状況になりました。
小さい花ですが桜と違い一輪でも存在感があります。

写真は翌日のもので予想以上に早く開花しそうで、一気に
賑やかに、そして華やかな空間ができそうです。

樹木の中では梅とケヤキが好きで、花なら桔梗、どちらも
白い花が好きで紅梅や紫色の桔梗ではありません。
なぜ白い花なのか自分でも理由がわかりませんが、好きなものは
好きとしか言えません。

梅の盆栽は10輪以上のつぼみを載せていますが、咲き終わる頃は
月が改まっているのでしょう、こちらは見ているだけですが、梅の木の
中では若葉を出す準備が始まっています、来年も咲くようにある程度
枝が伸びた時期に剪定をしてやらなくてはいけません。
桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿、この言葉は嵐雪よりも以前から
あるのでしょうか。
当分、目を楽しませ心を和ませてくれる白梅です。
  
Posted by いとう茂 at 22:23Comments(0)

2019年01月22日

十四の心

今日は滋賀県市議会議長会主催の議員研修会が
栗東市であり、大津市からは30名の議員が参加しました。
講演の内容はマクドナルドやスーパーの事例でしたが、
「聴く力」の大切さを説明されるときに「聞く」ではなく
十四の心という表現がありました。
聴くという漢字を分解すると、耳に十四と心になります。
聞くは、門の間に耳で、取りようによっては盗み聞きとも
とれますが、聴くの方を十四の心と表現されたところに
共感を覚えました。
14という数字は、論語の中の三省、我日に三省す、私は
1日に何度も行いや言葉遣いを反省するということですが、
3回とは朝、昼、夜、折につけということで回数ではありません。
同様に14の心も心を14集めるということではなく、精いっぱいの気持ち、
真剣に、集中して、そんな意味だと思っています。

一を聞いて十を知ると言う諺もありますが、心を十四集めて
集中して相手の話を拝聴する、多弁や無駄口を戒める諺は
たくさんあります。
巧言令色鮮し仁、駟も舌に及ばず、空き樽は音が高い、多弁は銀、
沈黙は金・・・・・・・・ほかにもあったと思いますが・・・・・。
反対の意味の諺は・・・・・剛毅木訥仁に近し、話し上手は聞き上手、
こちらも忘れてしまったものがありそうです。

諺の話はいったん置いておきます。
聴くと聞く、意識して話をきく場合は聴くの方が適切だと思います。
門の中に耳だと聞きたくない話は門を閉めてしまいそうです。
演説会などでは聴衆という字をつかいますし、聴診器、傾聴、聴覚、
などの熟語もあります。
まっすぐな気持ちで相手の話をきく、普段このことを心にかけているか、
自分の言いたいことだけを一方的に話して、相手が違う意見だと、
さらに上から言葉をかぶせてねじ伏せようとしていないか。

市民の声を代弁する、市民の声を集約する、その作業を正確に行うには
話すことよりも聴くという姿勢が求められます。
講演会の内容はレジメとメモを見て思い出したいと思いますが、
今日の収穫は自分のあるべき姿を再確認させてくれた聴く力の
必要性でした。
  
Posted by いとう茂 at 23:42Comments(0)

2019年01月21日

朋有り遠方より来たる

今日はお昼前に予想もしなかった来客がありました。
高校時代の陸上部の先輩で、ずっとお会いしていなくて、
不意の面会を詫びておられましたが、こちらは大歓迎で
長い時間話し込んでしまいました。
まさに、朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。
議員をしていることは新聞で知っていたが・・・・・、
市役所に来たのでいるか分からなかったが、議員の控室を
聞いて訪ねてきた、ということでした。

時々、陸上部で集まっていたのですが、ほぼ音信不通状態で
いつも欠席の先輩でした、体の具合が悪いらしいという話は
出ていましたが、詳しいことは誰も知らず出席者もどうしているのか
心配するだけでした。
体は私よりも一回り小さいのですが、走ることにかけては
滋賀県でもかなり名前が通っていた先輩で、憧れでした。

今も病院通いが続いているとのことでしたが、顔色もよく
とても病気だとは感じませんでしたが、近々、胃カメラを飲んで
検査を受けるということで医者とのご縁が長く続いているようです。
学年は1年しか違いませんが、高校時代は遠い存在でありながら
親近感を持ってしまう、不思議な魅力がありました。
厳しい時の方が多かったように思いますが、優しかった時の
記憶しか残っていません、走ることが速いこともあり憧れが
尊敬を上回る・・・・・無条件の尊敬・・・・・表現が難しいのですが、
とにかくかっこいい先輩です。

次に陸上部で集まる時には私だけでなくほかのメンバーにも
元気な姿を見せていただけるように願っています。
また顔を見せてください。
  
Posted by いとう茂 at 21:45Comments(0)