2019年01月20日
新しいパンフレットができました
ひきこもりや不登校等の相談窓口として昨年6月に
開設した「フリールーム*えこ~」の新しいパンフレットが
できました、手作りですのでデザインやレイアウトは・・・・・・・、
その代わり手作りのぬくもり感は伝わると思っています。
今回はA4の用紙を二つ折りにして、見開きの4面構成にし、
裏面には「おおつ光ルくん」を印刷しました。
もちろん産業観光課の許可もとっています。
これまでは、A4の裏表でしたが、より手に取ってもらいやすく
そんなことを考えての結果です。
市民センターや大津社協のほかにいくつかの公共施設に
直接お願いに出向いて置かせてもらっています。
これは議員という立場ではなく、一市民としてボランティア活動を
しているというスタンスでお願いしてきました。
議員の職をいつか辞する時が来ますが、それ以降も継続して
フリールーム*えこ~は活動を続けていこうと思いますので、
開設時にそう決めました、議員の肩書でひきこもりや不登校が
救えるのなら、世の中にはそうした生きづらさを感じている人は
いないと思いますから。
誰かに借りたら誰かに返そう、こんな私でもこれまでに
大勢の方に借りがあります、お金の話ではありません、
誰かに借りたもので、学んだことや感じたこと、気づいたことが
たくさんあります、その中でこのことはこの人に返せば喜んで
もらえる、そんなことも数多くあるはずです、ひきこもりや
不登校は期間があってないもので不登校でも学生時代は
決まっています、その人の人生は学校を卒業してからの
方が長く、自立ができるように手助けができるなら、そのことで
少しでも自立の役に立てるなら、悪い頭ですが最近は
福祉関係の文献にも目を通すようになりました。
議員として議案に目を通すのは仕事としてですが、福祉関係の
文献に目を通すときは、少しでも未見の人の役に立つ
知識の蓄え、そんな思いですが、何分、粗悪な頭脳ですので。
人様を導くことができるのか、開設前の不安でしたが、導くという
上からの物の考え方が間違っている、保護司と同様にその人の
側に立ってその人とともに悩んだり考えたりすることが
大切なことだと考えて開設に踏み切りました。
新しいパンフレットができたといっても肝心なのは、どこまで
寄り添えるか、自分事として考えられるかだということは
十分承知しています。
それでも、何となく新しいものができたことが嬉しくて取り上げて
みました。
開設した「フリールーム*えこ~」の新しいパンフレットが
できました、手作りですのでデザインやレイアウトは・・・・・・・、
その代わり手作りのぬくもり感は伝わると思っています。
今回はA4の用紙を二つ折りにして、見開きの4面構成にし、
裏面には「おおつ光ルくん」を印刷しました。
もちろん産業観光課の許可もとっています。
これまでは、A4の裏表でしたが、より手に取ってもらいやすく
そんなことを考えての結果です。
市民センターや大津社協のほかにいくつかの公共施設に
直接お願いに出向いて置かせてもらっています。
これは議員という立場ではなく、一市民としてボランティア活動を
しているというスタンスでお願いしてきました。
議員の職をいつか辞する時が来ますが、それ以降も継続して
フリールーム*えこ~は活動を続けていこうと思いますので、
開設時にそう決めました、議員の肩書でひきこもりや不登校が
救えるのなら、世の中にはそうした生きづらさを感じている人は
いないと思いますから。
誰かに借りたら誰かに返そう、こんな私でもこれまでに
大勢の方に借りがあります、お金の話ではありません、
誰かに借りたもので、学んだことや感じたこと、気づいたことが
たくさんあります、その中でこのことはこの人に返せば喜んで
もらえる、そんなことも数多くあるはずです、ひきこもりや
不登校は期間があってないもので不登校でも学生時代は
決まっています、その人の人生は学校を卒業してからの
方が長く、自立ができるように手助けができるなら、そのことで
少しでも自立の役に立てるなら、悪い頭ですが最近は
福祉関係の文献にも目を通すようになりました。
議員として議案に目を通すのは仕事としてですが、福祉関係の
文献に目を通すときは、少しでも未見の人の役に立つ
知識の蓄え、そんな思いですが、何分、粗悪な頭脳ですので。
人様を導くことができるのか、開設前の不安でしたが、導くという
上からの物の考え方が間違っている、保護司と同様にその人の
側に立ってその人とともに悩んだり考えたりすることが
大切なことだと考えて開設に踏み切りました。
新しいパンフレットができたといっても肝心なのは、どこまで
寄り添えるか、自分事として考えられるかだということは
十分承知しています。
それでも、何となく新しいものができたことが嬉しくて取り上げて
みました。
Posted by いとう茂 at
21:09
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2019年01月19日
久しぶりに………
昨夜は小売商業部会と関係議員の新年会でした。
関係議員といっても市会議員などの政治関係の議員ではなく、
商工会議所の議員です。
部会長が交代して2年以上経ちますが、この間、ゆっくり話を
したことがなく、久しぶりにお出会いして話ができると
思っていたのですが、風邪気味で欠席ということでした。
私よりも10歳ほど年上ですが、かれこれ40年の付き合いになります。
大津市の後継者育成講座の一期生で、7名の修了した受講生の
二人で、修了生で会を作って商業振興について色々と活動を
していた時期もありました。
頭のいい人でたくさんのことを学ばせていただきました、
それだけに楽しみにしていたのですが、ご縁がありませんでした。
それとは逆のこともありました、こちらも昭和の時代の話に
なりますが、市内の有名な物産店の息子さんですが、こちらは
私よりも10歳ほど年下で店を継ぐ前に車屋さんで営業をしていたのですが
そのとき、その息子さんから車を買った経験があります。
そのことを彼はいまも覚えていてくれて丁寧に挨拶をしてくれました。
こちらはご縁があったのでしょう、人の話で彼が店を継いだとは
聞いていましたが、ゆっくり話をしたのは久しぶりで、彼の
母親とは、市内の会議などで時々顔を合わせていましたので、
様子を訪ねることはありました。
これからは、母親に代わり彼とのご縁が深くなると思います。
わずか、10人余りの新年会でしたが、それでもこうして、ご縁の
不思議を感じた次第です。
一期一会のありがたさと不思議さ、そして大切さを認識して
生きろよ、これはお大師さんのお導きでしょうか。
関係議員といっても市会議員などの政治関係の議員ではなく、
商工会議所の議員です。
部会長が交代して2年以上経ちますが、この間、ゆっくり話を
したことがなく、久しぶりにお出会いして話ができると
思っていたのですが、風邪気味で欠席ということでした。
私よりも10歳ほど年上ですが、かれこれ40年の付き合いになります。
大津市の後継者育成講座の一期生で、7名の修了した受講生の
二人で、修了生で会を作って商業振興について色々と活動を
していた時期もありました。
頭のいい人でたくさんのことを学ばせていただきました、
それだけに楽しみにしていたのですが、ご縁がありませんでした。
それとは逆のこともありました、こちらも昭和の時代の話に
なりますが、市内の有名な物産店の息子さんですが、こちらは
私よりも10歳ほど年下で店を継ぐ前に車屋さんで営業をしていたのですが
そのとき、その息子さんから車を買った経験があります。
そのことを彼はいまも覚えていてくれて丁寧に挨拶をしてくれました。
こちらはご縁があったのでしょう、人の話で彼が店を継いだとは
聞いていましたが、ゆっくり話をしたのは久しぶりで、彼の
母親とは、市内の会議などで時々顔を合わせていましたので、
様子を訪ねることはありました。
これからは、母親に代わり彼とのご縁が深くなると思います。
わずか、10人余りの新年会でしたが、それでもこうして、ご縁の
不思議を感じた次第です。
一期一会のありがたさと不思議さ、そして大切さを認識して
生きろよ、これはお大師さんのお導きでしょうか。
Posted by いとう茂 at
10:54
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2019年01月18日
小売商業部会
今夜は商工会議所の小売商業部会と関係議員の
新年会でした。
午後から競輪場跡地の活用策についての説明会がありましたが、
そちらの方は他の用事と重なっていましたので欠席しましたが、
跡地利用については議会でも審議がありましたので概要に
ついては承知しています。
ここで商業施設などが整備されれば大津京駅の量販店や
湖岸のスーパーともに面としての商業集積が進み、
膳所駅周辺のショッピングセンターを中心とする
商業施設に対抗する集客施設が誕生します。
近江大橋を渡ったところの商業施設に奪われていた
客足が戻るか、大津市と草津市の商戦が激しくなり、
結果として大津市と草津市の活性化が図れることを
願います・・・・・・・。
市役所に向かう車中から淡く雪が積もった比叡山と、
灰色の雲に覆われた比良山を見ながら市役所に行く日が
続いていますが、1週間ほど前にくっきりと稜線が見える
雪をかぶった比良山が見えました。
あの灰色の雲の向こうには雪が積もった比良山がある、
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ
金子みすゞの星とタンポポではありませんが、思いが
膨らんでいきます。
こんな時期に阪神淡路大震災があったのか、さぞかし
避難生活は辛かっただろうな、東日本大震災は3月11日
でしたが東北は3月はまだ冬の季節、水をかぶったり
雪に降られたり、灰色の空を見上げて人々は何を
考えていたのだろう、四季がある日本に生まれたことを
恨んだ人もいるのだろうな。
そんなことを考えていました。
議員の控室から見える山もよく見ると少しずつ色に
変化があります、紅色や黄色が秋から冬にかけて
山を一気に駆け下りて今は深緑ですが日光が当たる時間で
微妙に色に変化が出ます。
しばらくこの色の変化ですが、春になるとまた色が変わります。
ゆっくりした変化には気づきにくいのが人間です。
人の心もゆっくりした変化だと気づかずに見過ごしてしまうかも
知れません、気がついたころには周りの人が別人になって
いるかもしれません、周りの微妙な変化に気づかないのなら
せめて自分の言動は細心でありたい、そんな今日でした。
新年会でした。
午後から競輪場跡地の活用策についての説明会がありましたが、
そちらの方は他の用事と重なっていましたので欠席しましたが、
跡地利用については議会でも審議がありましたので概要に
ついては承知しています。
ここで商業施設などが整備されれば大津京駅の量販店や
湖岸のスーパーともに面としての商業集積が進み、
膳所駅周辺のショッピングセンターを中心とする
商業施設に対抗する集客施設が誕生します。
近江大橋を渡ったところの商業施設に奪われていた
客足が戻るか、大津市と草津市の商戦が激しくなり、
結果として大津市と草津市の活性化が図れることを
願います・・・・・・・。
市役所に向かう車中から淡く雪が積もった比叡山と、
灰色の雲に覆われた比良山を見ながら市役所に行く日が
続いていますが、1週間ほど前にくっきりと稜線が見える
雪をかぶった比良山が見えました。
あの灰色の雲の向こうには雪が積もった比良山がある、
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ
金子みすゞの星とタンポポではありませんが、思いが
膨らんでいきます。
こんな時期に阪神淡路大震災があったのか、さぞかし
避難生活は辛かっただろうな、東日本大震災は3月11日
でしたが東北は3月はまだ冬の季節、水をかぶったり
雪に降られたり、灰色の空を見上げて人々は何を
考えていたのだろう、四季がある日本に生まれたことを
恨んだ人もいるのだろうな。
そんなことを考えていました。
議員の控室から見える山もよく見ると少しずつ色に
変化があります、紅色や黄色が秋から冬にかけて
山を一気に駆け下りて今は深緑ですが日光が当たる時間で
微妙に色に変化が出ます。
しばらくこの色の変化ですが、春になるとまた色が変わります。
ゆっくりした変化には気づきにくいのが人間です。
人の心もゆっくりした変化だと気づかずに見過ごしてしまうかも
知れません、気がついたころには周りの人が別人になって
いるかもしれません、周りの微妙な変化に気づかないのなら
せめて自分の言動は細心でありたい、そんな今日でした。
Posted by いとう茂 at
23:04
│Comments(0)
2019年01月17日
24年目の阪神淡路大震災
今日は阪神淡路大震災が発生してから24年目になります。
朝のワイドショーで天皇陛下と皇后陛下が震災から2週間後に
現地を訪れ、体育館に避難している住民の手をとって
一人ひとりの目を見て励ましておられる姿や、長田の
商店街を訪れて皇居に咲いていた水仙を17本献花されている
様子が報道されていました。
見ていて目頭が熱くなる思いにかられた方も大勢おいでに
なったのではないでしょうか。
以前にも書きましたが私も商店街の有志と震災の1週間後に
2か所で炊き出しを行い、現地の様子だけでなく避難している
人たちと言葉を交わして激励してきました。
ようやく自衛隊が運動場にトイレの穴を掘る準備をするところで、
校舎に足を踏み入れると汚物の激しいにおいで吐き出しそうに
なったのを覚えています。
そんなところにしか避難できない人がいる、生死を分けたものは
寝ている場所や部屋のレイアウトだったかもしれません。
家は全壊したのにうまく家具の間で生存空間があり命拾いを
した人もいれば、家は無事でも倒れてきた家具の下敷きになり、
落命した人もいたと思います。
報道を見ていて人は人の心で救われる、前へ進むことができる、
そんなことを感じました、陛下が膝をつき被災者の手を握られて
話しかけられ、そのことでどれだけの人が救われ復興の勇気を
いただいたか、絶望の暗い穴に落ちていく途中でも、そうした
暖かいお言葉で羽が生えたように羽ばたけた人もいるでしょう。
自然の猛威をもってしても人の心までは破壊することはできない、
たとえ一時的に破壊されても人は立ち直れる力を持っている。
切り替えが早いとか諦めがいい、そんな問題ではなく、命の持つ
力は無限ではないか、自分ではもう駄目だとか思考力もない
抜け殻の状態でも外部の暖かい命のぬくもりに触れることで、
前に進む気力がわいてくるのではないでしょうか。
人は誰かに支えられて生きている、その典型ではないのかと
改めて人は一人で生きられるほど強くもないし、目に見えない
誰かに支えられて生きている、そのことを実感しました。
自然は目に見えるものは壊せても目に見えないものは壊せない、
人は目に見えないものでつながっているから、どんな時でも
どんなところからでも再出発できる。
これ自分に言って聞かせてます。
朝のワイドショーで天皇陛下と皇后陛下が震災から2週間後に
現地を訪れ、体育館に避難している住民の手をとって
一人ひとりの目を見て励ましておられる姿や、長田の
商店街を訪れて皇居に咲いていた水仙を17本献花されている
様子が報道されていました。
見ていて目頭が熱くなる思いにかられた方も大勢おいでに
なったのではないでしょうか。
以前にも書きましたが私も商店街の有志と震災の1週間後に
2か所で炊き出しを行い、現地の様子だけでなく避難している
人たちと言葉を交わして激励してきました。
ようやく自衛隊が運動場にトイレの穴を掘る準備をするところで、
校舎に足を踏み入れると汚物の激しいにおいで吐き出しそうに
なったのを覚えています。
そんなところにしか避難できない人がいる、生死を分けたものは
寝ている場所や部屋のレイアウトだったかもしれません。
家は全壊したのにうまく家具の間で生存空間があり命拾いを
した人もいれば、家は無事でも倒れてきた家具の下敷きになり、
落命した人もいたと思います。
報道を見ていて人は人の心で救われる、前へ進むことができる、
そんなことを感じました、陛下が膝をつき被災者の手を握られて
話しかけられ、そのことでどれだけの人が救われ復興の勇気を
いただいたか、絶望の暗い穴に落ちていく途中でも、そうした
暖かいお言葉で羽が生えたように羽ばたけた人もいるでしょう。
自然の猛威をもってしても人の心までは破壊することはできない、
たとえ一時的に破壊されても人は立ち直れる力を持っている。
切り替えが早いとか諦めがいい、そんな問題ではなく、命の持つ
力は無限ではないか、自分ではもう駄目だとか思考力もない
抜け殻の状態でも外部の暖かい命のぬくもりに触れることで、
前に進む気力がわいてくるのではないでしょうか。
人は誰かに支えられて生きている、その典型ではないのかと
改めて人は一人で生きられるほど強くもないし、目に見えない
誰かに支えられて生きている、そのことを実感しました。
自然は目に見えるものは壊せても目に見えないものは壊せない、
人は目に見えないものでつながっているから、どんな時でも
どんなところからでも再出発できる。
これ自分に言って聞かせてます。
Posted by いとう茂 at
22:08
│Comments(0)
2019年01月16日
懐かしいものが出てきました
昨日は更生保護施設の将来像を考える会議と、
夜は和太鼓の練習と地域の会議でダブルブッキング、地域の
会議を優先して、終了後に練習に合流しました。
会議で3月2日に開催される火まつりの概要が承認され、
実行委員会で詳細な内容の確認になる予定です。
今年で28回目を迎える火まつりですが、平成7年の実施要項が
出てきました。
そう言えば、明日は平成7年の阪神淡路大震災から28年目の日です。
火まつりは平成4年から始まりましたので4回目になります。
1回目を開始するときに開催趣旨を前の春に着任してきた
支所長が草稿を作成していましたが、堅苦しい原稿でしたので、
私が書き換えました。
この趣旨が各戸配布のチラシに掲載されており、それも一緒に
綴じられていました。
懐かしい思いでほぼ30年前の自分と対面しました。
30代半ばの自分と感性がどのように違うか…………。
趣旨:「環境汚染」そのことを私たちはどれくらい、心と体で
大切な克服しなければならない問題としてとらえているのだろうか。
エビガニを釣った池は、酸性雨でいっぱい。
ままごとをした野の草は農薬でいっぱい。
それが当然と受けとめ育つ子どもたちにキラキラ輝く地球を
残さなくていいのだろうか。
母なる湖に目をやるとゴミや空き缶だらけ。
昔、参観日に来るお母さんは美人だった。
その美人のお母さんを友だちに自慢できた。
でも今、琵琶湖の美しさを誰にも自慢できない。
お母さんが隣にいると、とっても心が落ち着いた。
しかし今、ときには悪臭さえ漂う湖辺に、心が安らぐ場所は
少なくなった。
自分の皿から私の皿に、そっと肉を入れて「たくさんお食べ」と
言ってくれた母が今は泣いている。
思えば、ずい分親不孝をしたものだ。
化粧をすることも、着飾ることも忘れてしまうほど、
お母さんは疲れてしまった。
母はずっと私たちの健やかな成長と、身の安全を願って
くれているのだろう。
そんな母のためにヨシ刈りを行い、「美しく元気になって」という
願いをヨシたいまつにこめ、せめてもの親孝行を……と思います。
母(琵琶湖)のために、そして私たちの未来のために。
夜は和太鼓の練習と地域の会議でダブルブッキング、地域の
会議を優先して、終了後に練習に合流しました。
会議で3月2日に開催される火まつりの概要が承認され、
実行委員会で詳細な内容の確認になる予定です。
今年で28回目を迎える火まつりですが、平成7年の実施要項が
出てきました。
そう言えば、明日は平成7年の阪神淡路大震災から28年目の日です。
火まつりは平成4年から始まりましたので4回目になります。
1回目を開始するときに開催趣旨を前の春に着任してきた
支所長が草稿を作成していましたが、堅苦しい原稿でしたので、
私が書き換えました。
この趣旨が各戸配布のチラシに掲載されており、それも一緒に
綴じられていました。
懐かしい思いでほぼ30年前の自分と対面しました。
30代半ばの自分と感性がどのように違うか…………。
趣旨:「環境汚染」そのことを私たちはどれくらい、心と体で
大切な克服しなければならない問題としてとらえているのだろうか。
エビガニを釣った池は、酸性雨でいっぱい。
ままごとをした野の草は農薬でいっぱい。
それが当然と受けとめ育つ子どもたちにキラキラ輝く地球を
残さなくていいのだろうか。
母なる湖に目をやるとゴミや空き缶だらけ。
昔、参観日に来るお母さんは美人だった。
その美人のお母さんを友だちに自慢できた。
でも今、琵琶湖の美しさを誰にも自慢できない。
お母さんが隣にいると、とっても心が落ち着いた。
しかし今、ときには悪臭さえ漂う湖辺に、心が安らぐ場所は
少なくなった。
自分の皿から私の皿に、そっと肉を入れて「たくさんお食べ」と
言ってくれた母が今は泣いている。
思えば、ずい分親不孝をしたものだ。
化粧をすることも、着飾ることも忘れてしまうほど、
お母さんは疲れてしまった。
母はずっと私たちの健やかな成長と、身の安全を願って
くれているのだろう。
そんな母のためにヨシ刈りを行い、「美しく元気になって」という
願いをヨシたいまつにこめ、せめてもの親孝行を……と思います。
母(琵琶湖)のために、そして私たちの未来のために。
Posted by いとう茂 at
22:51
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